2012年1月30日 (月)

雪中管釣りのこと

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日曜日に得さんと小菅のマスの庭に行ってきた。 気温は氷点下にはならないもののせいぜい2度。 それでも池のマスはいやというほど楽しませてくれた。

今年は例年よりも寒い。地球温暖化という言葉をこの冬は一度も見聞きしていない。雪は毎年降り積もり、春になると溶けていく。草木も虫も動物たちも、それをしっかりと知って生きているが、人間だけはそうではないようだ。

有識者というくくりがあるが、どうも彼らはせいぜい数十年くらいのことしか気に掛けていないように思う。人類が数十万年、地球が数十億年の歴史を持つのに比べて、彼らの知識のなんと薄っぺらいことか。

地球のこれまでの歴史を24時間としよう。人類の歴史はそのうちの10分に満たない。 そして彼らの知識はというと僅か20分の1秒だ。100年は知っていたとしても0.1秒に過ぎない。そういう時間のスケールを考えると、震災後の政治、役所、経済を含めた話の傲慢さと稚拙さが手に取るようだ。

人間はもっと謙虚であるべきだ。山と雪を見ていたら、そんな風に見えてきた。

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2012年1月 1日 (日)

年賀のこと

あけましておめでとうございます。

いきなり正月から地震が起こったのは、大地が忘れるでないと警鐘を鳴らしているように感じたのは私だけではないでしょう。政治も行政も東電もマスコミも、とてつもなく深い罪を犯していながらそ知らぬ顔で、時に紛れようとしているのを、国民としては執念深く監視し続けるべきだと思います。

そして、変化への年にしたいものです。この辰年こそは。

今年もよろしくお願いいたします。

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2011年12月31日 (土)

赤坂の坂道を散歩のこと

年の瀬押し迫った昨日、赤坂の坂道を散歩した。東京は台地と谷が織り成す土地の記憶をあちこちに持っている。1600年に家康が江戸に遷都したころ、江戸城は東京湾岸だった。日比谷公園あたりは入り江だったのである。城西にあたる赤坂周辺は大名屋敷と寺社の並ぶ山の手になる。

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TBSの裏手には有名な三分坂がある。「サンブ」ではなく「サンプン」と読む。かなりの急坂だ。江戸時代にこの坂を上るのに三分(今の価値で100円程度)の割増運賃を取ったのに由来するらしい。サンブだと数千円になるので、サンプンが正しい。雪の降る日にはここで車が滑って事故ることが多いらしい。今も割増になることがあるということか。

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坂下の報土寺へ立ち寄り、雷電為右衛門の墓にお参りする。昔の国鉄の列車名板にらいでんとあるのが面白い。報土寺の練り壁は見事である。

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TBSの広大な敷地はかつての安芸藩の浅野氏の屋敷跡。三分坂の西側には今はミッドタウンになっている旧防衛庁敷地があるがそこは長門藩毛利氏、六本木ヒルズの敷地は下関長府藩の毛利氏の屋敷だった。大名屋敷というのはドーム何個分という広さを持っていてすごいものだったといえる。

上の写真は安芸藩浅野氏の屋敷裏に十数件の寺が並んだ円通寺坂。今は道沿いにはこの円通寺しかない。一ツ木通りに下りると浄土寺が残っている。

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赤坂見附交差点で246を渡り、豊川稲荷へ向かい、九郎九坂、弾正坂をやっつけて、山脇学園のある道の牛鳴坂を上る。このわき道がかつての厚木街道である。その途中から、赤坂方面へ降りる道があり、最後は階段になる。これが丹後坂である。坂道が階段になっていると嬉しくなる。車が通れない=生活に密着した道ということになるからだ。

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一ツ木通りに再び降り立つ。赤坂はかつて料亭と芸者で賑わった街。一ツ木通り、みすじ通り、田町通りの間をいくつもの路地が抜けていて、その中に料亭や置屋があった。その名残はほとんどなくなってしまったが、25年ほど前には結構まだ残っていて、置屋の女将と朝8時に音を立てたといって喧嘩になってしまったことがあった。「世間様じゃ朝でもアタシらにはまだ夜中なんだよ、ウチの旦那は今ムショにいるけど出てきたらあんた承知しないからね」なんて脅されたことも懐かしい。

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外堀通りを渡り山王日枝神社へ参拝する。大鳥居をくぐり、右にある参詣用のエスカレーターをよそ目に階段で登る。後ろのビルは建て替えしたキャピトル東急ホテル、ビートルズが泊まったホテルがこんな風に変わってしまった。

本殿前で葉加瀬太郎、髙田万由子夫妻が下の子供を連れてお参りをしていた。奥さん相変わらずきれいだ。境内では初詣の準備でテキヤが忙しそうに行き来している。

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参道の半ばから首相官邸が見える。かつては敬意で眺めたこの官邸だが、今はダメ男くんしか総理にならないので、百円ショップの製品並みの価値にしか思えなくなった。嘘をつかずにちゃんと約束を守れよと、まるでどうしようもない奴に言うように念じている自分に気づいて、日本人として情けなくなってしまった。

でも日本人はきっと腐敗した世の中を立ち直らせることができると信じたい。いつもいつもバクのような政治家たちに(国民のささやかな)夢を喰われてばかりでなるものか。今年は誰にとっても考え直す年だったと思う。来年は行動に移す年になるように、頑張ろうと思う。

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2011年12月30日 (金)

釣り納めのこと

28日から年末休暇を取れたので得さんと大井松田の開成フォレストスプリングスにトラウト釣りに行った。

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大井松田ICからすぐのところにあると聞いていたのだが、旧市街を回らなければならずちょっと迷ったが何とか到着。気温は5度とまずまずで、あちこちでライズしている。

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釣り始めて気づいたのは、この池のトラウトはとてもスレているということ。水がきれいな分、王禅寺よりも見切りがすごい。ドライで勝負したが、20回見に来て1回咥えるかどうかというくらい用心深い。何とか2尾ほどドライで釣ったが、出たのは20番と22番のCDCミッジ。ラインを7Xにすると反応するのだが、5Xにすると無反応。まったく参ったクンだ。

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午後になって気温が上がることを期待したがほとんど暖かくならず、それでも30番くらいのユスリカのハッチに反応してライズしているので、頑張ったが駄目だった。最後はルアーに変えてみたが、得さんは岩魚を何尾か掛けていたものの私は音なし。うーん。

というわけでなかなか厳しい釣り納めになってしまったが、広い池でのんびり釣りができたのでとても気持ちがよかった。来年も頑張って山岳渓流で釣りますぜぃ。

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2011年12月26日 (月)

北の丸公園散歩のこと

日曜日は都心散歩。今回は北の丸公園。といってもピンとこないが、武道館といえば誰もがわかる場所。スタートは東西線の竹橋駅。美術館、公文書館前を通り抜けると北の丸公園に入る。首都高の出入り口がいくつもある。

都会の真ん中だが、いったん公園内に入ると車の騒音は遥かかなたに聞こえるくらいになる。不思議なものだ。

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公園の池の上流には素敵な流れが作られている。黄色く敷き詰められた落葉はコナラの葉。流れのところどころに黄葉が溜まっているのもいい。

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モミジの林ではきれいに紅葉の絨毯が広がっていて、寝転がりたい気分になる。

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流れをたどって上って行くと小さな滝がある。当然ながら人工の滝である。それでも林が豊な植生なので雰囲気はとてもいい。

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滝の周辺は気温が低いせいか今頃になって紅葉が紅く色づいている。本当は定点で毎日眺めて、その変化に季節の移ろいを感じるのが風情があるのだが、都会の生活ではなかなか思うようにならない。

九段下へ出ようと武道館に近寄ると数千人はいようかという若者の群れ。UVERworldのライブに並んでいるのだが大半が十代の娘たち。その若者たちを見下ろすように、銀杏の古木がそびえている。

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北の丸ではもっとも大きな銀杏の樹は年の瀬に向けて若者の熱気を吸い、さらに寿命を延ばすように見えた。

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2011年12月25日 (日)

善福寺の銀杏のこと

六本木ヒルズから回遊できることからここ数年賑わいを見せる麻布十番。 その奥まった一角に善福寺がある。同名の寺社は全国にあるが、この麻布山善福寺は知名度が高い。参道を進むと右手に清水が湧いている。

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柳の井戸とある。弘法大師の杖が水を呼び出したとあるが、全国にあるパターン。しかしおいしそうな水が水量は少ないものの絶えず湧出している。関東大震災や戦時中には周辺住民の飲み水となった。

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山門の背後に末端肥大症のマンション(元麻布ヒルズのタワー)が見えていて時代がミックスした感じがするが、門の左側に枝を広げているのがお目当ての銀杏。

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推定樹齢は700年(鎌倉末期)、樹高は低いものの幹周りは10mを超える堂々とした大銀杏である。東京都では最大の銀杏の木。空襲でいったんは焼けたと思われたが樹勢を復活し今に至るという。

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銀杏の古木によく見られる乳根(チチネ)がすごい。逆さ銀杏といわれる所以だが、このイチョウが弘法大師の杖が伸びたといわれるのも何となくイメージできる。

実は善福寺にはかつての部下が眠っている。彼は40代半ばにして白血病でこの世を去ってしまった薩摩隼人。男気の強い面倒見のいいすばらしい男だった。天は気まぐれなものだ。またお参りに行こう。

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2011年12月23日 (金)

渋谷川沿いのヘンなものたちのこと

イモリ川を下り、渋谷川に出た後は天現寺方面に向かった。私は長州人なのだが、父親は若い時代を天現寺で過ごし、子供たちは都立広尾病院で生まれた。なのでこの辺りは自分に深いかかわりのあるエリアだが、最近は滅多に訪れなくなった。今回も久しぶりで、明治通り沿いの変貌にはいささか驚いた。

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広尾病院は広く樹木も多いので、この辺りの渋谷川には落ち葉が流れている。三面護岸なのが残念だが都会の小河川なので致し方ない。

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天現寺橋では上の写真手前から流れてくる渋谷川本流に左から注ぐ土管がある。これが笄(コウガイ)川。源流は外苑前、根津美術館、青山霊園あたりになる。この支流は後日散策したい川跡だ。

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天現寺橋から広尾を望むとちょっと汚れているが天現寺橋の欄干がある。後ろ側が慶応の幼稚舎。渋谷川の名前はこれより下流で古川と名を変える。

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東京都は水を売っているだけあって水関係にはかなりの予算を使っている。清流を復活させようという事業があちこちに見られるのだが、この渋谷川もそのひとつ。水は結構きれいだ。三面護岸でなくビオトープを作ってくれたら言うことはないのだが、そこまでは予算が付かないのだろう。

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首都高速目黒線の天現寺出口の脇を流れる古川。その護岸上に看板がある。この看板のあるところは誰も立ち入ることができない場所なのだが、いったい何の看板なのだろうと気になった。

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川をきれいにしましょう・・・とある。しかしこの看板、肉眼では読めなかった。望遠でようやく読み取ることができたくらいだ。あたりを調べてみたが、なぜここにこの看板があるのかがどうしてもわからなかった。唯一、護岸の縁を金網につかまってへつって行くと見えるのだが、そんな奴はおるまい。

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次に出くわしたヘンなものはこの表示板。「ここには住めません」とある。こんなところに住む奴などいない。ホームレスでももう少し回りに植え込みでもあって、邪魔にならないところを選ぶだろう。

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四ノ橋の脇で路上に見慣れないものを見つけた。ヘラジカの剥製の首か。延べ3体が空を仰いでいる。手前のやつが一番鼻息が荒そうだった。渋谷川(古川)沿いは面白いものが多い。

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古川橋の手前、高速道路下に軒を連ねるのはほとんどがパーツ屋さん。あちこちにこの風景はあるが、もともと恵比寿周辺は家内製工業が盛んだった。大崎、五反田の大工場の下請け会社が五万とあり、近代の東京の工業文化を支えていたのだ。すぐ後ろはハイセンスな白金だが、なんとなく大正昭和の香りのする景色にほっとした。

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2011年12月22日 (木)

イモリ川散策のこと

表参道の賑わいを見ながら、青山学院大学の東側の路地を下ると首都高3号渋谷線を仰ぐ五叉路に出る。ちょうど青山学院大の南端に近いところ。かつてイモリ川はこの辺りから流れていた。水源は大学の構内だが、現認していない。

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六本木通りを渡り、右手に常陸宮邸のこんもりした緑を眺めながら坂を下り、駒沢通りに続く大通りを渡るとまもなく東京女学館。著名人を多数輩出しているが、興味深いのはここの高校を中退した芸能人が多いこと。浅田美代子、山口いづみ、あびる優などだが、どうも学校が芸能活動を認めていないので転向してしまったらしい。

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その東京女学館の南端がイモリ川のスタートになる。過去を刻むようにいもり川階段という銘板が付いている。この辺りの住所は広尾3丁目。都会のど真ん中だがとても静かな住宅地。(地図①)

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いきなりケヤキの巨木があったりして往年の雰囲気が残っているようだ。路地は最初狭いが徐々に広くなり車も通れる広さになってくる。この下のイモリ川は大きな下水管に変えられてしまったのである。くだりを感じられるところも多く、さぞかし急な流れの小川だったのだろう。

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イモリ川の道には階段が多い。かなりのV字谷だったことがわかる。前述の空川も同様だが、ローム層を深く刻んで流れるのが東京台地の川の特徴なのである。

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広尾2丁目に入ると傾斜は弱まる。それでも左岸側は切り立った崖のまま。斜面には樹木が植えられていたりして、散歩していても往年のイモリ川を彷彿とさせる場所がいくつかある。(地図②)

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臨川小学校脇に到達。振り返ると細い家屋をはさんで台地を登る右の道路に対して、左の路地はイモリ川の跡で上っていない。こういう図はなかなか見られないので面白い。

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明治通りを渡ると公園になっていて、その先数m落ち込んだところに渋谷川がある。昔はこの出合いが滝になっていて、音を立てて水が落ちていたらしい。どんどん橋という橋が架かっていたと伝えられている。

数年前に他界した私の父が戦前にこの辺りに住んでいたことがある。天現寺から路面電車に乗って渋谷へ繰り出していたという話をよく聞いたものだ。彼が若いころはきっとこの滝の存在を知っていたはず。今となっては聞けないのが残念だ。

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2011年12月18日 (日)

空川探索のこと (2)

東大駒場を出て井の頭線をくぐり空川の合流点へ向かう。おおよその水線の痕跡は想像できるが、明確な跡は残っていない。井の頭線の南側で駒場野池から流れてきた支流と合流する場所があり、そこは道路の付き方から推定が可能だった。

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写真の路地奥にその形跡がある。一二郎池からの支流と駒場野池からの支流が路地の突き当たりで合流していたのだ。ここから淡島通りの松見坂下まではほんの数分の距離。

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坂の上が淡島通りと山手通りの交差点で、坂の右側が元は川の流れ、ただし今は通りを潜るトンネルになっている。ブラタモリで「鷹狩り」をやっていたが、徳川将軍が鷹狩りに来てこの辺りで橋を渡り、右に行くと駒場野の鷹狩り場、左へ行くと別の鷹狩り場だったらしい。

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トンネルを潜り交差点下を見ると松見坂地蔵尊がある。この地蔵は300年ほど昔、江戸中期に建立された。その脇にはかつての橋の親柱が残っていた。

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後方右側の欄干の親柱跡には「とおとふみはし」と彫られている。ここは江戸以前は滝坂道と呼ばれ府中方面への道があった。実は私の自宅近くをこの街道は走っていたので、聞き覚えがあり親近感を覚えた。

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この空川沿いにはこんなすごい階段があったりする。こういう階段もまた土地の記憶のひとつなのだ。空川はまもなく山手通に吸収されてしまうので、今回はここまで。松見坂交差点には写真の御影石のきれいな石碑が作られている。

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松見坂の由来はこの上(渋谷道玄坂上)に松の木があり、盗賊(追い剥ぎ)がその松に登り歩いてくる旅人を確認、手下に旅人を襲わせて身包み剥ぎ取った場所だったことからそう呼ばれるようになったと伝えられるが、今でも路地裏ではカツアゲというプチ盗賊が現れることがある。昔から渋谷は物騒な場所だったのかもしれない。

<おわり>

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2011年12月17日 (土)

空川探索のこと (1)

かつて東京には数多の川が流れていた。目黒川や渋谷川は台地を削り谷を作った。渋谷はまさにその名残りだが、渋谷周辺には多くの川の痕跡がある。空川もそのひとつで、目黒川の支流にあたる。現認可能な水源は2箇所ある。ひとつは井の頭線駒場東大前の南西にある駒場野公園、もうひとつが東大駒場校舎の敷地内にある一二郎池だ。

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地図上の①が駒場野公園で源流は試験田圃の奥にある池。旧駒場農学校の実習田だったが、今は筑波大付属駒場中高校の教育水田として生徒が実習に使っている。説明板にはケルネル田圃とあった。明治の初期に科学的な農業アプローチをするのに、北海道大学はアメリカ人のクラーク博士で有名だが、ここ駒場農学校はドイツ人のケルネルが教えた実験田だとある。

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源流の池は上の写真のように決して広くないが今でも水を湛えているということは水源がまだ生きていると思っていいのだろう。

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公園への道がこの水流をまたぐのが蛍橋。実は夏になると蛍が見られるらしい。戦後まで自然発生していたが、今では保護の会の尽力によって復活しつつあるらしい。そして蛍橋の下流には実験田が広がっているが、渋谷から徒歩圏内に田圃があるなんて想像できないだろう。

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ちょうど生徒らしき人影が田圃の昆虫を採取しているようだった(もしかしたらもぐりこんだ子供かもしれないが)。

田圃から井の頭線の踏切を渡って東大駒場校舎へ向かう。妙に人が多いのは何故だろうと思ったら、駒場祭の日だった。

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すれ違う学生たちは垢抜けなさを感じさせるものの知的でいかにも頭がよさそうな会話をしていた。しかし目的は学園祭ではないので、キャンパスの東の端に向かって歩く。だんだん人もいなくなってきて、駒場池(一二郎池)に着いた。上記地図では②の場所である。

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一二郎池はかなりの水量を湛えていた。10万年余り前は東京は完全に海面下にあったが、川からの土砂が溜まり台地になっていった。当然ながら富士や浅間の噴火による溶岩や火山灰の堆積があったものと思われる。それが関東ローム層の成り立ちだが、川の流れはその台地を削っていった。この池はその痕跡なのだが、東大生の何割がそれを知っているだろうか。

<続く>

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2011年11月26日 (土)

新宿十二社のこと

20日の日曜日の散歩は新宿界隈だった。毎日働きに行っている街だが休日はまた違った顔があって楽しめるから面白い。今回は参宮橋駅で降りて北参道を北上し新宿十二社(じゅうにそう)を散歩。それはどこだ?というと初台と新宿の間、西口の中央公園の西側にあたる地域で、以前は角筈(つのはず)と呼ばれた。公園から東の高層ビルエリアの旧名は淀橋で、ヨドバシカメラの由来でもある。

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西参道が甲州街道を渡ると十二社通りと名を変える。ここまでは渋谷区である。この北側に環七から直線で水道道路が通っていてその北側が窪地になっている。今の街区で言うと西新宿4丁目にあたる地域だ。ここにはかつて大池があった。周囲には料亭や芸者街が立ち並ぶ十二社花街として賑わっていた。実際に歩いてみると土地の記憶を読み取ることができる。

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中層マンションの裏手にいかにも料亭っぽい家屋があった。灯篭や信楽焼の狸の置物が玄関にあって風情をかもし出していたので撮影したが、あとで調べたらかつて一松という料亭であったことがわかった。

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そこから少し北上するとこのあたりで一番有名な福助という蕎麦屋がある。この蕎麦屋の脇、マンションとの隙間に銀杏の巨木が残っている。かつてはこの蕎麦屋の裏側までが大池で、小船を浮かべた江戸っ子達が芸者と釣りを楽しんだりしていたという。

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古い旅館が残っていた。一直旅館といって観光旅館だけでなくビジネスユースでも使われているらしい。池の西側にあったためか坂の途中に位置している。この辺りの路地ではいまでも三世代同居があるようで、おばあさんが孫を遊ばせていたりして、往年の雰囲気を残していたのが嬉しかった。

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写真はかつての角筈村の風景で、熊野神社の境内にあったもの。これが江戸時代の新宿の風景。室町時代に鈴木九郎という有力者が紀州和歌山から熊野権現を移し祭ったといわれていて江戸時代は新宿地域の総鎮守だったようだ。

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神社にはいくつも祠があり、狛犬と狐様が並んでいたり鯉塚と弁天があったりする。何となく神様のデパートみたいだと思ったのはバチ当たりだろうか。鳥居の前からは神社の後方に高層ビルが並んでいたりして、時代が折り重なっているような錯覚に捕らわれる。なかなか楽しい神社だった。

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牛の寝の大マテイ山散策のこと (2)

初々しくもほほえましいカップルを山頂に残して下ると、峠には初老の男女グループがいて賑やかにランチを取っていた。昨今の山では昭和20年代生まれの段階の世代がとても多く大半を占めるといっても過言ではない。日本は幸せな国なのだろう。

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イロハモミジがきれいに紅葉している。もっとも1400m近い稜線はもうほとんどが落葉してしまっていて、ベストシーズンは10月下旬だと改めて認識した。このあたりからはずっと下りの登山道で、標高600mほどの山沢川まで降りることになる。ザックからストックを出して下り坂に備えた。

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下るにつれて紅葉が鮮やかになる。やはり11月は里の紅葉の時期なのだと悟る。お山は10月だな。モロクボ平付近は樹種がとても多い。一番きれいに紅葉しているのはハウチワカエデ。標高1,000mあたりまで降りてくると、かつて瀬音の森で取り付けた樹木説明版がまだきれいな状態で残っているのを確認できた。

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ちょっと紐がきつくなって張っているので、2,3年うちには切れてしまうかもしれない。板そのものはとてもきれいな状態のものがほとんどだった。誰かが拭いてくれたのかな?

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さらに急坂を下っていくと広葉樹の森が杉林に変わる。 ところがこの杉林がいたるところで崩壊している。 何箇所か登山道をふさいでいるのである。おそらく今年の1,000ミリを超える雨の被害だろう。跨げない場所はすでに別の迂回路ができていた。やはり山の手入れはしないと本当にやばいと思える一面だった。

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小菅の小屋に到着、ここの標高は820mほど。最近ここで遊んでいないので、また近いうちに来たいものだ。しばらくドアを開けて小屋の中を乾燥させた。ここまでくるとゴールの小菅の湯はもう間近。 バスで楽をして登り、大半が下りの安楽なハイキングだった。

<2011年11月13日(日)登山>

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牛の寝の大マテイ山散策のこと (1)

得さんから山へ行こうと誘われた。 11月の最初のことである。 しかしまだ東京は20度ほどの気温なので、紅葉のきれいな山がいいだろうと大マテイ山に決めた。大マテイ山は小菅村と大月市の境を走る牛の寝通りという尾根筋の山で、標高は1,409m。今年最初の山行なので無理はしたくない。小菅の湯に車を停めて、バスで松姫峠まで登るのである。小菅の湯の標高は650mほど、松姫峠まで600mほどの標高をバスが稼いでくれる。

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松姫峠に降り立つと10台ほど停められる普通車の駐車スペースは当然満杯。見た感じあまり遠くまで歩こうという人はいない。 この紅葉の時期は山頂へ登ると数百人の登山客がいるなんてこともあって、そういう山はちょっと勘弁。

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松姫峠からは富士が見える。手前の稜線は五百円札の裏の絵で有名な雁ヶ腹摺山から続く標高1,400mの楢の木尾根。いつ見ても富士はいい。

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コナラとクリが多い植生の尾根道を歩く。 尾根道は風が通って気持ちがいい。鶴寝山(1,368m)はトラバースしてパス。山沢への道を分ける「山沢入りのヌタ」へはおよそ50分、そこから20分ほどで大マテイ山に届く。

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私は巨樹の道が好きなのだが、ここは前回歩いたので、南側の日向みち(たぶんヒナタと読む)を歩く。とはいえ二つの道は100mから200mしか離れずに並行している。まもなく大マテイ山に到着。

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山頂がどこなのかわかりにくい平坦な峰だが、標識とベンチ2基がしっかりと備えてある。小菅村と山梨県が管理しているのだが、表示板もとてもきれいで要所要所にあるので道に迷うことはないだろう。 山頂にはカップルがいて、まだ付き合い始めたかその手前か、微妙な距離感で話していた。得さんがここは邪魔をしないようにと配慮してすぐに山頂を離れた。私は初々しいカップルについ笑みをこぼしてしまった。

(続く)

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2011年11月25日 (金)

都内も黄葉はじまるのこと

都内にも秋がやってきた。最近の秋は以前よりも短くなった気がする。10月までは汗ばむような陽気だったのが11月になると急に冬めいてくる。気候が変わったのか、体感が変わったのかはわからないが、のんびり秋を楽しめなくなった。

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23日の祝日に都心を散歩した。 平日はビジネスマンやOLで賑わう日比谷公園だが、休日も多くの人が訪れて賑わっている。私と同じように観光地へ出かけるのをやめて都心を選択した人も多いのだろう。日比谷公園は1903年の開園だからもう110年も前になる。この公園の真ん中あたり「松本楼」というレストラン脇に銀杏の巨木がある。「首かけいちょう」と呼ばれている。

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樹齢400年、幹周り6.5mとあるが、実寸以上のオーラがある。この銀杏は1600年以前に徳川家康が江戸幕府を開く前に植えられたと伝えられている。もともともっと日比谷通り側にあったのだが、300歳のころ、1901年に日比谷通り拡幅の際に倒されることになった。しかし公園を設計した本田静六という博士が首を懸けても移植すると主張しこの場所に25日かけ、450mを移動したらしい。静六さん、なかなかいいことをする。樹勢もありまだまだ100年以上がんばりそうだ。この銀杏のおかげか、松本楼は店の外にも数十人が列をなすほど盛況だった。

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2011年11月 9日 (水)

東京の街のこと

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ボクが上京したのは1975年のこと、山口県の田舎町からやってきたおのぼりさんだったので、東京という街のパワーに圧倒されていた。当時はまだ高層ビルもまばらで霞ヶ関ビルが存在感を示していた位だったからいわん東京タワーをやである。東京タワーはどこからも見えるくらい高かった。それが今ではビルの谷間に埋もれてしまいそうな様子。でもやっぱりそのプロポーションは何度見ても秀逸である。東京タワーに比べると新しいノッポ電波塔はいささか風情にかけるが、50年後はどうなのか。その評価は多分変わらないと思うのだが。

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2011年11月 4日 (金)

今の総理は誰?のこと

今の総理大臣は誰?と聞かれて、野田総理とまでは言えても野田○○というところがほとんどの人は言えない。そういう点では野田聖子のほうが知名度は高い。なぜそうなってしまったのか。一言で言えば「何も成果がない」からかもしれない。もう一歩踏み込むと、「何も具体的な行動が起きていない」からともいえるかも知れない。

民主党自体が見ていて当番で総理を決めているようで、リスクを犯して前進する人がまったく見当たらないから、誰がやっても同じという意見には同意。

どじょうは泥の中に埋まったまま生涯を終えるのだろう。こういうお菓子もすでに売り場の隅っこのひっそりしたところにまるでどじょうのように置いてあった。

私はもうとっくに見放したが、なぜ国民は見放さないのだろう?それが不思議でならない。

あ、ちなみに野田さんの下の名前は佳彦(よしひこ)です。千葉県船橋市出身。1957年生まれ(私と同じ学年だ)。確か日本新党~新進党~民主党の順にいた。それくらい覚えておいてあげよう。

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2011年11月 3日 (木)

小菅川の清掃のこと

どうも、PCがおかしいのか、ブログ更新のGUIがうまく表示されなくて、なかなか記事を書く気にならない。FAQにも出ていない現象だし、他のPCでやるとちゃんとなるのでこのPCが原因だということまではわかったのだが、もう長いこと解決していないのだ。さて・・・・・

今年も11月3日がやってきた。小菅村クリーングリーン作戦という山梨県小菅村の村内清掃で「瀬音」メンバーは河川清掃がポジション。

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早めに小菅小学校の校庭に着いてコーヒーを淹れて飲んでいたが、kurooさん、鵜住居さん、野村さんが到着。間に合わないと聞いていた他のメンバーも何とか間に合って校庭にそろった。

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ほんとうは駄目なのだがこの日だけは大目に見てもらい軽トラの荷台に乗って川の下流に移動。この風切って走る開放感は病み付きになる。

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早速下流域から清掃を始める。役場の加藤さんと組合長の小菅さんが今年の清掃区間についての説明をする。驚いたのは台風で川床どころか流れそのものが変わっていたこと。水位は4~5mの高さに及んだようだ。加藤さんの話だと今年の8月9月で1000ミリの雨が降ったとのこと。その後なかなか水量が減らず、川も荒れて釣り人も来なくなり、代わりにカワウがやってきてかなり岩魚山女魚を食ってしまったようだ。

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それでも川には尺岩魚、尺山女魚が悠々と泳いでいた。支流では35cmを越える岩魚がペアリングをしていて、皆しばらく見とれていた。産卵床を掘る岩魚の動きは何度見ても感嘆してしまう。ゴミ拾い再開、台風であまりに多くのゴミが流れてきていたので、途中でデポしたが例年の半分強の距離しか出来なかったが残念である。

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川から上がると加藤さんの車が迎えに来ていた。 そのまま原始村でテンプラ+蕎麦をご馳走になる。コシがあってとてもおいしい。村の方々の気持ちが嬉しい。他のお客さんも入ってきて混んでしまった折、役場の加藤さんがまるでウエイターのように注文を取ったり膳の上げ下げをして手伝っていたのは加藤さんの人柄。


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渓酔さんと<野>さんがおいしそうに蕎麦を食べる図。

その後は冬季釣り場組と鱒の庭組に分かれて釣りをして帰ったことは言うまでもない。組合長の池もきれいになって復活した。かれこれ15年も続くこのイベントには、出来る限り参加したいと思ってやまない。

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2011年10月23日 (日)

テスト

最近絵がアップできなくなったのでテストです。グレースアップ!

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あ、OldバージョンのIEだとできる。

グレースありがとう。

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2011年9月24日 (土)

懐かしいOLMの写真のこと

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懐かしい写真。1996年7月、15年前である。ニフティサーブのパソコン通信会議室 ■瀬 音■ の信州奈川でのオフラインミーティングの集合写真。前列真ん中に陣取っているのはもう社会人として働いているうちの子供たちと得さんのところの娘さん。ちなみに私は前列一番左、まだやせていた(笑)。

後列には懐かしい顔ぶれ。kurooさん夫妻もいるし、当時のアクティブメンバーがそろっている。30代~40代の働き盛りだったが、渓流釣りという趣味を持ち、パソコンという新しい時代の道具を使って、遠く離れた釣り人が集まってさらに親しい友人となった。しかし、集合写真っていいもんだなあ。

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2011年9月23日 (金)

台風の爪あとのこと

木曜日、台風一過で天候が回復したので、出かけることにした。水曜日に日本を縦断した台風15号は各地で氾濫を起こし北海道まで行っても台風のまま強大な自然の力を見せつけていた。しかし台風が過ぎ去ると晴れ間が出てきて暖かくなるので、増水した河川は無理にしても管理釣り場なら平気だろうと小菅を目指した。

ところが着いてみると池は空っぽ。9月いっぱい池の整備と魚の入れ換えで休業していたのである。王禅寺へ戻るのもいまさらだし、鹿留へいっても増水で休業になっているだろうということで、小菅川を見て回った。

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上の写真は東部キャンプ場の入り口のカーブ。余沢の橋の脇から撮影した。これはみんな流されてしまったなあ、と思いながら泥色の川の濁流を眺めるしかなかった。

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これは採石場の下(すずめのお宿の少し上流)の東京都の作った堰堤。流れの中にはちゃんとした堰堤があるのである。この場所でこれだけの水量だから、奥多摩湖は満水。小河内ダムからは鬼のようにドドドッとミルクコーヒー色の放水がされていた。

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白沢川へ回ってみた。小菅川出合の直上の滝のところである。もちろん凄い勢いで泥水が流れていたが、驚いたのはこの鉄製階段が最増水時には濁流に浸かっていた痕がしっかりと残っていたことだ。階段のステップには泥砂が溜まり、小枝や草が溜まっていた。数年前に川の清掃をしたときに、やはり歴史的な大水が出た後で、玉川の橋の下にサッカーボールが重力に逆らうように下から張り付いていたことがあった。川床からは7mもあったのに、そこまで水がでたのである。今回はそこまでは行っていないようだ。しかしフィッシングビレッジもC&R区間も回復には時間が掛かりそうである。10月のトラウトガーデンは間違いなく混雑するだろう。

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