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2006年12月27日 (水)

ドナルドハウスのこと

House1 週末にここのおそうじのお手伝いに行ってきました。 ハンバーガー屋さんがバックアップしているドナルドハウスというチャリティー財団の施設です。

運よくボクは生まれて一度も入院というものをしたことがありません。48年間ほとんど無病といっていいほど健康に産んで育ててくれた両親に感謝しています。 でも世の中には難病に苦しんでいる子供たちがいます。 ここは病院ではありませんが、病院に隣接して、こどもたちの家族が寝泊りできるようになっています。 1泊千円で家族が寝泊りできて自炊もできます。 部屋もきれいです。 それを全部ボランティアのひとたちが運営しています。

まだ日本という国にはボランティアが根付いていないのではないかなと思います。 でもボランティアの対象は探すまでもなく、身の回りにいくらでもあります。 困っている人を助けるという名目がなくても、自己満足でも、偽善でも、なんでもいいのです。 落ちているゴミを拾うだけでもいいし、駅前で道案内するのも立派なボランティアになります。

House2 自分が何かを得たいとか、相手に何かをしてあげるとか、そういうものではなくて、ほっておけないというだけの気持ちで十分なのです。 あるときは迷惑かもしれません。 押し付けに受け取られることもあるでしょう。 それでもいいんです。

ボクは今年小菅村に行って川のゴミ拾いをしました。 川にゴミが落ちているのが放っておけないからです。 たまたま地元の人は川をきれいにしたいと思っていて、ボクたちがやったことに感謝してくれました。 それは大きな喜びですし、次の活力になります。

でも根っこは見て見ぬ振りをしたくない・・・というだけの気持ちで十分だとおもうのです。 何かをする機会を見つけることがまずはだいじです。

水谷先生という自殺する子供たちを救う先生がいます。 夜回り先生です。 先生は身を削って、命に限りがあるのにもかかわらず、子供たちの相談にのります。 すばらしい行動ですし、すばらしい人生でもあると思います。 でも根っこはシンプルなんだと思います。 放っちゃおけないから・・・。

安倍さんという総理大臣が「美しい国」という言葉を連発していますが、となりぐみで助け合いながら暮らしていた終戦後の復興最中の日本が、実はいちばん美しい国だったのではないかと、最近思うようになりました。 美しさは見た目ではなく、中身・・・それを忘れずにいたいと思います。

2006年12月26日

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2006年12月25日 (月)

ねこやしきのこと

猫は泳ぐか・・・試してみたことがある。 結果は、泳いだが泳がなかった。

まだ私が中学生の頃、生前の母が動物好きで捨て猫を見ると拾ってきた。 そのうち猫が10匹以上にふくれあがり、猫屋敷になった。 もっとも時を同じくして犬も3匹飼っていたので、賑やかなことこの上ない。

Neko1 犬に比べて猫はきれい好きで、神経質で、それでいてのんびりしている。 つまるところ生きるのは大変だが、生きられないわけではないので、それならば人間にへつらうこともなく、自由に気ままに生きようというような性格が猫の猫たる所以である。

そうそう、猫が泳ぐかどうかの答えをしなければならない。 風呂に引きずり込んだのである。 湯船の中で見事に猫カキをして縁にたどり着いた。 ところが当時はもう五右衛門風呂ではなくタイル貼りの風呂だったが、タイルの目地に爪がかかりそうでかからない。 そうしているうちに後ろ足で水を蹴って何とか飛び出した。 泳げるじゃないか・・・そう言った私の顔を恨めしそうに見た後、フンと鼻であしらうようにして外に出て行った。

ここまで書くと動物愛護団体からなぶり殺しにされそうだが、弁解までに、私は猫をかわいがっていたと言っておこう。

猫は基本的に夜行性である。 だから暗くなると家を出て、夜中に帰ってくる。 その帰り道が私の部屋だった。 すべての猫は好きなところから出て行くが、夜中には私の部屋の窓だけが開いているのを知っていて、そこから戻ってくるのだ。 それはまるで漁に出た漁船が一隻また一隻と港に戻ってくるようであった。

しかしだ・・・夏はいい、秋もまだいい、でも冬は大変だった。 かといって猫を締め出すわけにはいかない。 私は木枯らし吹きすさぶ夜も窓を開けて毎夜猫を迎え入れる役を果たしたのだった。

Neko2 ただ捨てる神あれば拾う神あり。 短所の裏に長所。 災い転じて福となす。 猫が私の布団にもぐったり、布団の上で丸くなったりして、それはそれで暖かかった。 時に小便を漏らす癖の悪い猫もいたが、それは徹底的に躾けた。 部屋に入る前にして来い!

唯一困ったのは、朝起きたときに手足が動かず、つい金縛りにあったと勘違いすることだった。 猫が数匹からだの上に寝ていれば、起きたばかりの力では手足は何かに押さえつけられたような感覚で、「お前が入るとこっくりさんが動かない」と仲間はずれにされた私が金縛りになるわけはない。

猫は自由でいい。 犬ももっと自由にしてやりたいものだ。

2006年12月25日

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2006年12月23日 (土)

ひなたぼっこのこと

最近すぐれない天候が続きました。 冬の東京は晴天が多いはずなのに、今年はちょっとヘンだなって感じていたのですが、今日はきれいに晴れました。 こんな日はお散歩がいちばんです。 ちょっとだけあったかい陽射しを浴びて、小さな自然に接しながら歩くのは、とっても気持ちがいいものです。

Goose1223 成城学園前から仙川のほとりを歩いて砧の国立生育医療センターまで行きました。 仙川は多摩川の支流の支流です。 源流はおそらく三鷹の下連雀。 連雀通りと三鷹通りの交差点に禅林寺というお寺がありますが、そのあたりだろうと思います。 そこから文字通り、京王線の仙川を流れ、烏山から成城大学のキャンパスの脇を通り、多摩堤通りをくぐると野川と合流します。 そして二子玉川で多摩川に注ぐわけです。

写真は世田谷通り近くの東宝日曜大工センターの裏手で遊ぶマガモです。 のんびり陽なたの流れで遊んでいました。 なんだかこっちまでのんびりしてきて、人間の言葉を忘れ、「があ、ぐぇっぐぇっ」と声を出しそうになりました。

のうみそぼのぼの。。。

2006年12月23日(土)

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2006年12月22日 (金)

満員電車のこと

毎日新宿に電車で通勤しています。 都会に住む人々の多くが避けて通れない満員電車での通勤です。 私が主に乗るのは小田急線ですが、10年前よりは良くなったものの、体感的な改善度は最悪を100%とすると90%程度、ちょっとだけ良くなったとしか感じないのではないでしょうか。

京王井の頭線もしばしば利用します。 下北沢から渋谷の間ですが、これが小田急を凌駕するほど激混み。 マナーを云々する以前の問題として、あと5割増強しないとこのままでは乗客はみかん箱のみかんになってしまいそうです。(押さえつけられて腐る、実(身)も心も腐る)

そんな京王井の頭線の広告にマナー川柳なるものが掲出されていて、面白く見ています。 代表作としては、「回れ右 背中のザックで なぎ倒し」 「カラコロと 空き缶車内を 一人旅」 など、なかなかうまいものです。

しかし、実は迷惑はどれが一番悪いとか、どの程度ならいい、というものではないでしょう。 たとえば満員電車で新聞を読む。 これは主に男性の年配サラリーマンに多いのですが、自分の新聞のスペースの犠牲になっている少し背の低い女性が迷惑しているのを、まったく気にもしていない輩の多いこと。 また自分の立ち位置を決め、どんなに混もうが譲らないひと。 無論、そんなに広いスペースを占有しているわけではありませんが、自分が迷惑をかけていると思っているひとはいないようです。

「ひとの振り見てわが振り直せ」とはよく言ったもので、世の中を批判したり問題視する記事を読みながら、実は自分が加害者であることに気づかないことは多いものです。 かばんも然り、大きなかばんは仕事に必要なことはわかりますが、その人の仕事は他人には関係のないことです。 必要以上に大きいかばんはやはり迷惑のひとつです。

私はそんな電車で通勤するうちに、かばんを持たなくなりました。 活字ものを車内で読まなくなりました。 つり革に頼らず自分のバランスで立つことを覚えました。 情報はPodcastで迷惑にならない音量で聞いて入手しています。 手ぶらで小さなイヤホンとiPod、こじんまりと30cm四方のスペースに収まる。 それでも迷惑をかけていると感じるのは、そばに小柄な人や子供が来た時です。 なるべく周りの圧力から守ってあげる。

都会の通勤電車は、善意と悪意が交錯する交差点です。 自分をどっちに進めるのか、それは自分次第。 誰も見ているわけではないと思えば悪意が勝ち、そばに立つ人を一個の人間として認めれば善意に傾く。 まるで現世の修行です。 最近は電車のなかでの自分の心理と行為が、来世のためのテストだったりするのではないかと感じることがあります。

無論、社会の努力によって時間差をつけたりするのも、鉄道会社がマナーを呼びかけることも必要ですし、効果もあるでしょう。 私の持論では、まず官公庁や公務員は通勤時間帯に通勤してはいけないとか、混まない時間帯専用定期を格安で売るとか(8:00~9:00追加料金必要)、いくらでも解決策はあると思うのですが、それを待っていては何十年かかるかわかったものではありません。 きっと少子化で人口が減って自然解決するほうが早いでしょう。

やはり大事なのは心だと思います。 車内でとなりに立つのも何かの縁、お互い血の通った人間ではないですか・・・そう思えば、多少は違う、そんな気がする毎日です。

2006年12月22日 (金)

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