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2006年12月22日 (金)

満員電車のこと

毎日新宿に電車で通勤しています。 都会に住む人々の多くが避けて通れない満員電車での通勤です。 私が主に乗るのは小田急線ですが、10年前よりは良くなったものの、体感的な改善度は最悪を100%とすると90%程度、ちょっとだけ良くなったとしか感じないのではないでしょうか。

京王井の頭線もしばしば利用します。 下北沢から渋谷の間ですが、これが小田急を凌駕するほど激混み。 マナーを云々する以前の問題として、あと5割増強しないとこのままでは乗客はみかん箱のみかんになってしまいそうです。(押さえつけられて腐る、実(身)も心も腐る)

そんな京王井の頭線の広告にマナー川柳なるものが掲出されていて、面白く見ています。 代表作としては、「回れ右 背中のザックで なぎ倒し」 「カラコロと 空き缶車内を 一人旅」 など、なかなかうまいものです。

しかし、実は迷惑はどれが一番悪いとか、どの程度ならいい、というものではないでしょう。 たとえば満員電車で新聞を読む。 これは主に男性の年配サラリーマンに多いのですが、自分の新聞のスペースの犠牲になっている少し背の低い女性が迷惑しているのを、まったく気にもしていない輩の多いこと。 また自分の立ち位置を決め、どんなに混もうが譲らないひと。 無論、そんなに広いスペースを占有しているわけではありませんが、自分が迷惑をかけていると思っているひとはいないようです。

「ひとの振り見てわが振り直せ」とはよく言ったもので、世の中を批判したり問題視する記事を読みながら、実は自分が加害者であることに気づかないことは多いものです。 かばんも然り、大きなかばんは仕事に必要なことはわかりますが、その人の仕事は他人には関係のないことです。 必要以上に大きいかばんはやはり迷惑のひとつです。

私はそんな電車で通勤するうちに、かばんを持たなくなりました。 活字ものを車内で読まなくなりました。 つり革に頼らず自分のバランスで立つことを覚えました。 情報はPodcastで迷惑にならない音量で聞いて入手しています。 手ぶらで小さなイヤホンとiPod、こじんまりと30cm四方のスペースに収まる。 それでも迷惑をかけていると感じるのは、そばに小柄な人や子供が来た時です。 なるべく周りの圧力から守ってあげる。

都会の通勤電車は、善意と悪意が交錯する交差点です。 自分をどっちに進めるのか、それは自分次第。 誰も見ているわけではないと思えば悪意が勝ち、そばに立つ人を一個の人間として認めれば善意に傾く。 まるで現世の修行です。 最近は電車のなかでの自分の心理と行為が、来世のためのテストだったりするのではないかと感じることがあります。

無論、社会の努力によって時間差をつけたりするのも、鉄道会社がマナーを呼びかけることも必要ですし、効果もあるでしょう。 私の持論では、まず官公庁や公務員は通勤時間帯に通勤してはいけないとか、混まない時間帯専用定期を格安で売るとか(8:00~9:00追加料金必要)、いくらでも解決策はあると思うのですが、それを待っていては何十年かかるかわかったものではありません。 きっと少子化で人口が減って自然解決するほうが早いでしょう。

やはり大事なのは心だと思います。 車内でとなりに立つのも何かの縁、お互い血の通った人間ではないですか・・・そう思えば、多少は違う、そんな気がする毎日です。

2006年12月22日 (金)

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