やまのけしきのこと
ボクは登山家ではありません。 渓流の釣りをする人です。 でも渓流は山にあります。 どんどん沢を釣りあがっていって、最後に尾根筋にでることもあります。 そんな時いい景色を見られるとまた別の喜びを感じます。
日本は山国です。 だから山に登ると山が見えます。 ただ登山道から登った山の景色と、沢から登った山の景色はたぶん違うのだろうと思っています。 山があるから谷があります。 谷には水が流れています。 この水とボクたちは長い間付き合って暮らしてきました。 それを見ながら登っていくことは、時をさかのぼることに通じるものがあります。
山の神様は水の神様でもあります。 ただ川で遊んでいると、昔はもっと水がたくさんあったとか、山が豊かだったとか聞きます。 昔は知りません。 でもこの10年でもずいぶん様変わりしたところもあります。 ダムもそうです。 必要でないとは思いませんが、ダムとダムとのあいだのつながりとか意味合いがおかしなものがたくさんあります。 ダムが壊れるのを防ぐためにダムを作るなんてまさにそうです。
またダムはいつまで持ちこたえるかという答えを聞いたことがありません。 ピラミッドや仁徳天皇稜みたいに何千年も持つのでしょうか? きっと100年も厳しいのではないかと思います。 山の清水は大地と森という自然のダムから湧き出たものです。 ダムを壊すという工事を真剣に考えないとならない時代はもう目の前に来ているように思います。
今、日本の山の木は9割が人工林か二次林だと言われています。 二次林とは災害で崩れたり、人工林で伐採したあと自然に再生しているものです。 多くの植林はここ100年の間に行われました。 そのツケがいつまわって来るのか、それをきちんと考えて次の100年を考えることが、今問われているのだと思います。
この時期黄色くなる山が目立ちます。 杉林です。 今年は花粉が少ないといわれていますが、今年がよければいいのでしょうか? バランスが崩れるスピードが一時的に緩んだだけかもしれませんし、来年はどうなるかわかりません。 100年とか1000年を生きてきた樹木に知恵があるとしたら聞いてみたいものです。 人間はこれからどうなるのですか?
なんでボクが森のことを気にするかを考えてみると、嘆いていても始まらないからなのだと思います。 1000億本の樹木のうち、10本をいい木に出来たら、それはボクができる自然への恩返しなんだろうと思っています。 木を学ぶことで、時間を学びます。 人間を学びます。
この世はすべてのものがつながりあって成り立っていることを忘れているひとが多いです。 賢い人がいれば馬鹿な人もいます。 でも全部賢い人だったら、それは賢い人じゃない。 それぞれ違いがあって、役回りがある。 人間にも自然の中での役回りがあると思います。
山の景色を見ながら、そんなことを考えてしまいました。
| 固定リンク | 0
« 暖冬のこと | トップページ | きじばとさんのこと »
最近のコメント