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2007年3月31日 (土)

さくらのこと

いよいよ桜が満開です。 どこの桜も人がいっぱい。 桜を見に行くのか、それとも人を見に行くのかわからないほどです。

070331_seijo_sakura_1 世田谷の成城学園の高級住宅地には何本もの桜が植えられています。 近くには有名な花見の名所である砧公園もありますが、近所の人が楽しむ桜もたくさんあります。 みなさんが楽しむ桜の多くはソメイヨシノ・・・実はエドヒガンとオオシマザクラの雑種、現代風に言うとハイブリッドです。 サクラといってもいろんな種類があります。 ソメイヨシノ、エドヒガン、オオシマザクラのほかにヤマザクラ、サトザクラ(八重桜)など・・・1枚目の写真は樹齢70年のオオシマザクラっぽいソメイヨシノです。 オオシマザクラ本来の白い花とソメイヨシノのピンクの花が混在していました。

070331_seijo_sakura_2 一般的に桜は花が咲いてから後、葉が出てくるように思われがちですが、結構同時に両方が出てくるものが多い気がします。 ヤマザクラは花と同時に赤い新芽(若葉)が出てきますし、オオシマザクラも同時、エドヒガンとソメイヨシノは花がやや早いようです。 ただソメイヨシノの寿命は60年程度らしく、そのため東京都内の多くの戦後復興時に植えられた桜はほとんどが同時に寿命を迎えることになります。 木を植えるのは簡単なことですが、木を育てるのはたいへんな努力と根気が必要です。 これからあの桜たちはどうなるのでしょうね。

070331_seijo_sakura_3 仙川に垂れ下がるソメイヨシノの下で菜の花も咲いていました。 春爛漫です。 たくさんのお年寄りも立ち止まってこの桜たちを眺めていました。 それにしても最近はみんなデジカメで撮影しています。 そうか・・・デジカメはパソコンで画像を操作するものと思っている自分の了見が狭いのだと気づきました。 フィルム代のかからないコンパクトカメラと考えると、極めて高性能なカメラといえますね。 なるほど・・・

そしてお年寄りたちが楽しそうに写真を撮っている姿をみて、日本人ていいなあと思いました。

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2007年3月11日 (日)

むしろのこと

幼いころ土建屋が生家であったぼくの家には筵(むしろ)がたくさんありました。 堤防工事などに使う土嚢(どのう)に使われたりしていたと思います。 人々はお米を作ったあとに残る藁(わら)でいろんなものを作っていました。 畳も表はい草ですが本体は藁ですし、草鞋(ワラジ)は言うに及ばず、蓑(みの)や縄、そして藁屋根など、生活に必要な多くのものを藁を使って作っていました。

山口県に有名な秋芳洞という鍾乳洞がありますが、昔は奥まで入ることが出来た覚えがあります。 さるすべりという場所で草鞋を履き、鉄鎖をつたって入っていったときはまさに探検気分でした。 渓流釣りを始めたころも、沢の岩場では地下足袋に草鞋がいいなどと聞いたこともあります。 もっとも私は最初からフェルト底の靴でしたが。

Mushiro さて筵(むしろ)といえば、道端でこれに座って「おありがとうござ~い」と小銭の恵みに礼を言う乞食のイメージが私にはあります。 さすがに高度成長とともに乞食はほとんど見かけなくなりましたが、小学生の仲間内では乞食が聖徳太子(10000円札)を持っているとか、実はすごい大金持ちだとかいう噂がまことしやかに話されていました。 しかし筵に座るような乞食がそんな金持ちのはずはありませんね。 でも当時の乞食は現代のホームレスとはまったく別次元の存在だったような気がします。

今の子供たちに筵を見せたら、どういうイメージを持つのでしょうか。 百姓一揆の旗? まあそういう見方もあるかもしれませんが、大昔には高貴な人物の通る道に敷いて、いわゆるレッドカーペットとして用いられたこともあるそうです。

様々なことが筵から思い浮かびますが、やはり昔の人々の生活の知恵を復活してはどうかと思えてしまいます。 筵っていいもんですよ。 小学生の運動会のとき、筵を敷いてその上にゴザを敷いていました。 土建屋や農家の特権でしょう。 なかなかすわり心地もいいし、横になっても地面のごつごつがなくて快適です。 今ではテントシートが出回っていますが、1畳あたり1000円~2000円もします。 それにテントシートや養生シートは自然に還らない。 でも筵なら自然に還って土になります。

こんど筵を探してみようと思っています。

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かいこのこと

絹織物・・・義務教育で養蚕業の盛んな町の話を習ったものです。 群馬県の富岡製糸場のことや女工さんのことを話として聞いたものですが、実際に蚕を見たのは2,3度しかありません。 そもそも昭和33年生まれで西日本の炭鉱町に生まれ育ちましたので、近郊農家のともだちの家には出入りしたものの、養蚕業などありませんでしたから、無理からぬことかもしれません。

Mayu 絹は独特の光沢があり高価なものです。 ほとんど木綿と化繊しか着たことがないぼくにとっては異次元の素材でもあります。 しかしこの繭(まゆ)ひとつから1000m前後の糸(繊維)が取れるというのは驚きでもありました。 見方を変えると、蚕は1000m分の糸を吐き出し続けたということですから、すごいことです。 蚕のまゆをじっと見ていると、それが釜茹でにされてすでに生命のないものであるにもかかわらず、なにか息吹いているような感じがします。

絹の道(シルクロード)がヨーロッパから中国までつながっています。 西洋やその他の地域では絹の作り方がわからず、そのために中国からインドやペルシャ、そしてローマへと運ばれていきました。 どうしてたかがこの繊維をそんなにまでして手に入れたかったかと不思議でなりません。 人間の欲望が文化を作ったのでしょう。 それがシルクロードになっていったのだと思います。

今では中国、インド、ブラジルが世界の絹のほとんどを生産しています。 日本のお家芸であった時代は終わったのかもしれませんが、和楽器である琴(筝)、三味線などの弦(糸)は絹で出来ています。 絹は日本の音になっているのですね。

何年か前に雪の残る野麦峠(長野・岐阜県境)を越えたおりに、同乗者と「女工哀史」の話になりました。 野麦峠の道を走ってみれば、「あゝ野麦峠」でこの厳しい峠道をしかも雪の中で越えた苦難は、とてつもないことだと感じることが出来ます。

繭玉をじっと眺めていると、いろんな歴史がその繊維のなかに閉じ込められているようでした。

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