むしろのこと
幼いころ土建屋が生家であったぼくの家には筵(むしろ)がたくさんありました。 堤防工事などに使う土嚢(どのう)に使われたりしていたと思います。 人々はお米を作ったあとに残る藁(わら)でいろんなものを作っていました。 畳も表はい草ですが本体は藁ですし、草鞋(ワラジ)は言うに及ばず、蓑(みの)や縄、そして藁屋根など、生活に必要な多くのものを藁を使って作っていました。
山口県に有名な秋芳洞という鍾乳洞がありますが、昔は奥まで入ることが出来た覚えがあります。 さるすべりという場所で草鞋を履き、鉄鎖をつたって入っていったときはまさに探検気分でした。 渓流釣りを始めたころも、沢の岩場では地下足袋に草鞋がいいなどと聞いたこともあります。 もっとも私は最初からフェルト底の靴でしたが。
さて筵(むしろ)といえば、道端でこれに座って「おありがとうござ~い」と小銭の恵みに礼を言う乞食のイメージが私にはあります。 さすがに高度成長とともに乞食はほとんど見かけなくなりましたが、小学生の仲間内では乞食が聖徳太子(10000円札)を持っているとか、実はすごい大金持ちだとかいう噂がまことしやかに話されていました。 しかし筵に座るような乞食がそんな金持ちのはずはありませんね。 でも当時の乞食は現代のホームレスとはまったく別次元の存在だったような気がします。
今の子供たちに筵を見せたら、どういうイメージを持つのでしょうか。 百姓一揆の旗? まあそういう見方もあるかもしれませんが、大昔には高貴な人物の通る道に敷いて、いわゆるレッドカーペットとして用いられたこともあるそうです。
様々なことが筵から思い浮かびますが、やはり昔の人々の生活の知恵を復活してはどうかと思えてしまいます。 筵っていいもんですよ。 小学生の運動会のとき、筵を敷いてその上にゴザを敷いていました。 土建屋や農家の特権でしょう。 なかなかすわり心地もいいし、横になっても地面のごつごつがなくて快適です。 今ではテントシートが出回っていますが、1畳あたり1000円~2000円もします。 それにテントシートや養生シートは自然に還らない。 でも筵なら自然に還って土になります。
こんど筵を探してみようと思っています。
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