かいこのこと
絹織物・・・義務教育で養蚕業の盛んな町の話を習ったものです。 群馬県の富岡製糸場のことや女工さんのことを話として聞いたものですが、実際に蚕を見たのは2,3度しかありません。 そもそも昭和33年生まれで西日本の炭鉱町に生まれ育ちましたので、近郊農家のともだちの家には出入りしたものの、養蚕業などありませんでしたから、無理からぬことかもしれません。
絹は独特の光沢があり高価なものです。 ほとんど木綿と化繊しか着たことがないぼくにとっては異次元の素材でもあります。 しかしこの繭(まゆ)ひとつから1000m前後の糸(繊維)が取れるというのは驚きでもありました。 見方を変えると、蚕は1000m分の糸を吐き出し続けたということですから、すごいことです。 蚕のまゆをじっと見ていると、それが釜茹でにされてすでに生命のないものであるにもかかわらず、なにか息吹いているような感じがします。
絹の道(シルクロード)がヨーロッパから中国までつながっています。 西洋やその他の地域では絹の作り方がわからず、そのために中国からインドやペルシャ、そしてローマへと運ばれていきました。 どうしてたかがこの繊維をそんなにまでして手に入れたかったかと不思議でなりません。 人間の欲望が文化を作ったのでしょう。 それがシルクロードになっていったのだと思います。
今では中国、インド、ブラジルが世界の絹のほとんどを生産しています。 日本のお家芸であった時代は終わったのかもしれませんが、和楽器である琴(筝)、三味線などの弦(糸)は絹で出来ています。 絹は日本の音になっているのですね。
何年か前に雪の残る野麦峠(長野・岐阜県境)を越えたおりに、同乗者と「女工哀史」の話になりました。 野麦峠の道を走ってみれば、「あゝ野麦峠」でこの厳しい峠道をしかも雪の中で越えた苦難は、とてつもないことだと感じることが出来ます。
繭玉をじっと眺めていると、いろんな歴史がその繊維のなかに閉じ込められているようでした。
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