カワガキとカワネコのこと
陽が傾いてから喜多見の野川に出かけました。 野川は二子玉川で多摩川に合流する小河川です。 護岸工事で川の姿を失ってしまったのですが、近自然型の河川工法により生命が復活した川です。
野川を歩いているといろんなものに出会います。 四季の植物は当然のこと、野鳥もたくさんいます。 その野鳥を追ってか追わないでか、今日は猫を見かけました。 猫が川で遊ぶ姿というのは実はありそうでなかなかない気がします。
しばらく草陰から川面を覘いていましたが、そのうち水際をとぼとぼと歩き始めました。 どうも野鳥を狙っているわけではなさそうです。 途中立ち止まっては川の水を飲んでいました。 もっとも野川の土手は愛犬の散歩コースとして人気がありますので、猫もオチオチしていられません。 警戒しながら歩いていました。
しかし私にとって猫よりもはるかに心躍ったのは人間です。 久しぶりに川ガキを見つけたのです。 彼らは数百mほど川の中で遊びながら歩いていきました。 途中で水浸しの運動靴を投げてみたり、岸際に何かを見つけてみたりしながら、大きな声を上げて遊びに集中していました。
私も小さいころは川ガキでした。 無論小学校や中学校では川や池で遊ぶことは禁止されていました。 2,3年に1度は溺れて命を落とす子供もいました。 でも禁止しても子供は遊びの天才です。そこに遊び場があれば必ず遊びます。
それを禁止するのは大人の責任逃れの部分が大きいのではないでしょうか。 危険から遠ざけることと、危険を学ばせることとの間には、とてつもなく大きな隔たりがあります。 子供が死んでもいいなら遠ざければいい。 本当にそうなって欲しくないなら危険をある程度身を持って学ばせることが必要です。
穿った見方かもしれませんが、どうしても教育に携わる大人や、親と称する大人、そしてコミュニティの管理に携わる大人たちの保身が、水に近づくな、水に入るな、という言葉(指導)になっているように思えてなりません。
その点で、この野川の看板(注意書き)にも感動しました。 ある意味自分の身は自分で守って楽しく遊びましょう・・・という考えが伝わってきます。 一度は失った自然を取り戻した川であるからこそ、そこでは子供たちに多くを経験し学んで欲しいという気持ちを、この1枚の注意書きが表している、そう思いました。 なんか気持ちいいです。
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