神田川を下るのこと -浜田山あたりから永福橋まで-
鎌倉街道なるものは関東にはあちこちにある。この周辺では、五日市街道からこの神田川を渡り、上北沢へ抜ける道が今も鎌倉街道と呼ばれるが、甲州街道から南に行くとその名は消える。 一方、笹塚から井の頭線下北沢駅脇を抜ける道路も鎌倉通りと呼ばれる。 異なる道ながら同じように鎌倉へ続いたのだろう。神田川を渡す橋は鎌倉橋とある。 塚山公園脇にある。 塚山公園には縄文時代の遺跡がある。
この辺りにも野鳥は多い。 写真はハクセキレイ。 そして下の写真はヒヨドリ。
ヒヨドリの周りを目を凝らして見ると小さな虫が沢山飛んでいる。 ユスリカである。 神田川にはユスリカが多い。 夕方になるとダマになっていて、口に入ったりするからかなわない。
護岸の切れ目がある。 おそらく右側が古い。 左側は1972年という表記がある。 時代のある神田川の護岸はこんな風にところどころで模様や形が変化する。
今回の中間ゴールである永福橋。 高圧線が頭上を通っている。 この高圧線、東京では普通に家々の頭上を通っているが、実は西洋諸国ではこの下には人を住まわせないところが多い。 電波障害だけでなく、健康障害も報告されている。 しかし社会インフラが個人を軽視する東洋の国々ではあまり問題視されない。 だが、その下に住んでいる人には空中使用の名目か何かでいくばくかのお金が支払われているケースもあるようだ。 こういう問題を社会的に隠すのがこの国の政治の姿なんだよなあ。
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