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2010年12月25日 (土)

都心の散歩(神楽坂~小石川) : その1

Imgp1144 朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。それでも関東地方は晴天日が多いのは嬉しい。今日は関東以外はほとんど雪である。 今日土曜日の散歩は神楽坂から小石川を歩くことにした。スタートは飯田橋駅西口。 改札を出ると看板の嵐が迫ってくる。神楽坂は学生の街、TVゲーム主流の現代でもまだパチンコ屋が多い。昔は学生街には場末のパチンコ屋が多かったものだ。

Imgp1153 神楽坂の魅力は裏通りにある。小洒落たレストランも多いし、由緒のある割烹もある。一方裏手にはこんな階段の路地があって、その途中に素敵な店がある。 昨今はフランス人が神楽坂周辺に多く住むようになったが、西洋化ではなくより和風になったのは興味深い。外国人の求めるものがこういうものだということなのだろう。いいことだ。

Imgp1180 さらに裏手には寺社仏閣も多い。 古い日本の向こうに近代的なビルが見えるのが東京らしい。 写真は光照寺の鐘。 出版会館の樹齢250年の銀杏の前に山門がある。 この銀杏は戦時中焼け野原になったこのあたりでなぜか焼けずに残り、この樹を目指して被災した人々が戻ってきたという。さらに江戸時代以前には牛込城があり徳川が江戸に来るまでは居城していた。徳川時代になって神田にあった光照寺がここに移転してくるとともに、向かいの銀杏のあるあたりが天文屋敷(暦をつかさどる役所)になったが、光照寺の樹が邪魔になり天文屋敷は浅草鳥越に引っ越したらしい。寺社とどっちが上なのか疑問に感じたが、昔もいろんなしがらみがあったのだろうか。

Imgp1186 この辺りには坂が多い。 神楽坂はもちろん、軽子坂、三年坂、そしてこの『地蔵坂』など名のついた坂がいくつもある。坂の上に光照寺があり、そこに子安地蔵があった。それに因んで地蔵坂と呼ばれたらしいが、先ほど立ち寄った光照寺に地蔵はなかったような気がする。見落としたか? 飯田橋駅のお堀(外堀)の標高が5m、神楽坂上が15m、この地蔵坂の上が25mほどあり、昔は丘陵地だったことが想像できる。 腕時計のプロトレックで計測してみたが、誤差の範囲で当てにならなかった。 こういうときは早く位置高度を正確に計測できるGPSができるといいと思う(安価が条件だが)。そうなると散歩の楽しみが倍増する。

Imgp1191 神楽坂から神田川へ下る。 ここは相生坂。 二つの坂が並んでいるから相生坂というらしいが、もうひとつはどこだ? よくわからなかった。坂を下ってしばらく行くと、首都高速池袋線が見え、沿って走る目白通りを渡る。

Imgp1204
小桜橋で神田川を渡り、文京区へ入る。 この辺りは水道1丁目と2丁目の境。 水道という地名は面白い。 神田川は神田上水とも呼びそのほとりなのでこう命名したらしい。 聞くときわめて単純。 そんな命名をしていたら、川の周り中『水道』になってしまう。

Imgp1209 水道という街から小日向という素敵な名前の街に入る。 春日通(国道254号線)へは登りの斜面なので、そういう名がついたのだろう。 坂を上っていった先は茗荷谷。 上が谷とはちょっとおかしい。 変に思ったので調べてみたら、小日向はヒナタではなく「コヒヌタ」でコヒとは泥の意味、ヌタは沼田の意味で、窪地だったというのが正解らしい。でも日当たりのいい地域で、そのせいか高級官僚?の住宅がいくつもあって、写真の石垣の上は財務省のマンション。 写真を撮っていたら角の交番のおまわりに睨まれた。 睨みかえしたが、しつこくすると面倒なのでそそくさと立ち去ることにした。

Imgp1218 まもなく地下鉄丸の内線の車庫脇をトンネルでくぐる。 丸の内線が地上に出る4ヶ所のうちのひとつ。右手の石垣の上が丸の内線の本線、左上には車両基地がある。

Imgp1231 トンネルを抜けてすぐに右手の階段を上る。 この階段は庚申坂という坂。 説明板によると『小石川同心町の堺を西へ下る坂あり、この坂を切支丹坂というのは誤りなり。本名庚申坂、昔坂下に庚申の碑あり・・・』と。 切支丹坂は別のところらしいが、なぜそんな勘違いを説明しているのかが不可思議。 江戸時代にはこの辺りに幕府の同心(警察のようなもの)屋敷があったとある。

坂を上りきると春日通りである。次の目的地は小石川植物園。 もう少しだ。

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