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2010年12月30日 (木)

御前山登山のこと

御前山(奥多摩)に得さんと12月27日に登ってきた。 当初曇りだった天気予報は快晴に変わった。(普段の行いが良いから?)

Imgp1791 当初は奥多摩三山(大岳山・三頭山・御前山)のうちの三頭山に登る予定だったが、都民の森が月曜日休業のため駐車場が使えない。そこで急遽御前山に変更した。奥多摩有料道路に入ろうとするとゲートが閉鎖している。案内板を見ると9時から通行可とある。間もなく先ほど追い抜いた軽自動車が止まり、中から職員の方が出てきた。「9時まで開けられないのでちょっと待ってね」と言われる。素朴なおじいさん二人。毎日この仕事をしているのだろう。いい仕事だし、お年寄りにとってはとてもモチベーションのある仕事だと思う。

9時ちょうどに手動でゲートを開く。 挨拶を交わして月夜見第二駐車場へ向かう。

Imgp1799 9:20 月夜見第二駐車場をスタート。 鞍部の小河内峠まで1.7km、御前山まで4kmの表示。 最初は急な下りで、標高1,090mの駐車場からもっとも低い鞍部の970mまで120mの標高差を下る。 帰りにこの道を最後に登るのかと思うとちょっと暗くなる。

Imgp1806 登山道の道幅は広いのだが、落ち葉と霜柱で足元が安定しない。長い下りが続く。最初の下りは楽といえば楽。ただ後で辛くなることを承知しておかねばならない。

Imgp1808 登山道のあちこちに霜柱がある。 長さは10cmほど。 しかしその分だけ、落ち葉が腐葉土になり水分を含んでいるということで、山が豊かな証拠でもある。そしてザクザクと霜柱を踏み潰す音が冬の登山らしくて楽しい。

Imgp1820 10分で120mを下り970mの鞍部。左に行くと1045mの小ピークがあるがここは巻き道を選択する。山頂までに6つの小ピークがあるが半分は巻きたい。

Imgp1832 次のピークも奥多摩湖側に巻き道が付いている。 尾根の道は明るくて気持ちがいい。 周辺はコナラを中心にブナ、シデ、クリ、カンバなど多くの樹種が見られる。 最初に見られた杉林はこのあたりでは少なくなった。

Imgp1835 また細い鞍部に出る。 標高は1030m。 正面に惣岳山と御前山が見えてくる。まだまだ距離も標高もありそうだ。

Imgp1841 10:00 ようやく小河内峠に到着。登山地図ではここまで55分の道程。 それを40分できたわけで、かなりのハイペース。 若い頃、空手と登山をやっていた得さんの健脚に引っ張られたからだと思う。 小河内峠でしばし休憩を取る。 ここから奥多摩湖へのルートもある。

Imgp1859 標高1050mの小河内峠からは長い長い、とても長い登りの連続。まずは1200mの小ピークに向かう。 南側がヒノキ林なので落ち葉はない。

Imgp1880 小河内峠から惣岳山までは危険マークの付いたルート。 狭い斜面をトラバースするかと思うと、滑落危険なヤセ尾根が連続する。途中で「山岳耐久レース45km地点」の立て札がある。信じられない。こんなところでレースをするなんて人間のやることじゃない。

Imgp1904 ヤセ尾根の真ん中にブナが陣取っている。 左右は急斜面。 ブナの根に躓かないように注意してやり過ごす。 正面の山頂が少し近づいてきた感じ。 尾根のブナはきれいだ。 総じてここの樹木はまだ小さいが、これから50年100年と経つと大きな尾根の樹になっていくのだろう。

Imgp1928 1200mの尾根から1341mの惣岳山には長い登りがまっすぐに続く。このあたりはカタクリとニリンソウの群生地なので、踏み込まないようにロープが張ってある。周辺はコナラ、ヤマザクラ、ダケカンバ、ミズナラ、ブナが見られた。 特に大きなクリノキが沢山あって、秋にはかなりの収穫が期待できそうだ。 4月のカタクリよりも10月のクリのほうが個人的には期待度高し。

Imgp1953 11:30 惣岳山(ソウガクサン:1341m)に到着。小河内峠からルート図では50分を1時間20分掛かった。 どうも登りは苦手というか、メタボの体重が負担でスピードが上がらない。おそらくシニアにもジュニアにも追い抜かれるだろう。 まあこれからこれから。

Imgp1968 惣岳山から一旦30mばかり下ってそこから多少足場の悪い道を100mほど登ると御前山。どうも一旦下って登るのはきつい。 でもきっと景色のご褒美が待っている。

Imgp1971  奥多摩の山々を望める展望箇所があった。 雲取山から鷹ノ巣山を経て奥多摩駅に下る石尾根が手前に、その置くには秩父との境の峰々が一望できる。ここはまだ東京都なのだ。

Imgp1985 南側に開けたところでは富士山が良く見える。 さすがに距離があるので霞んでいるが、やはり富士山は雄大だ。

Imgp1998 12:00ちょうど、御前山山頂に到着。標高1,405mと決して高くはないが、気持ちのいい山だ。 山頂には三角点がある。 ここで昼食。 気温が氷点下なのでガスの火が弱々しい。 手でボンベを暖めながらお湯を沸かし、カップヌードルを食べる。 冷える山頂で食べるとインスタントラーメンも豪華に思える。

Imgp2000 山頂から奥多摩の山を望む。 右のピークが鷹ノ巣山(1736m)、左奥が雲取山(2017m)だ。もう雪が積もっている。 東京都にも2000m級の山があるのだ。

Imgp2003 南を見ると丹沢山塊。 手前のミズナラの樹に熊棚があった。 この山にもちゃんとツキノワグマがいることに喜びを感じる。 おそらくはクリやナラを食べて今頃は冬眠しているのだろう。

Imgp2008 13:00 山頂を出発。 すぐに先ほどの富士山を見た場所に着く。 先ほどは南斜面に掛かっていた雲が取れて、陽光を雪の斜面が反射している。 日本人は富士山が好きだ。 どの山に行っても富士山が見えることを大いに喜ぶ。

Imgp2030 下りのヤセ尾根を慎重に歩く。 足が疲れているので危険度が増しているからだ。 それでも得さんはかなりのハイペース。 私はマイペースでゆっくりと降りていった。

Imgp2039 14:05 帰りの小河内峠。ルート図の55分に5分遅れで、それほど遅くないかも。 奥多摩湖が良く見える。 少し気温が下がってきたようだ。 ただ、今日は一日あまり風もなく、いい登山日和だったなあ。

Imgp2046 覚悟していたので最後の駐車場への登りは左程つらくなかった。 駐車場に到着したのは15:00ちょうど。ルート図の1:15分よりも20分早い到着。 それを得さんはさらに10分早い到着だった。 毎週山に通っているとはいえ、かなりの健脚だ。

Imgp2053 途中浅間尾根から東京の街が見えた。 スモッグと霞ではっきりとしないが、都心部の高層ビルが視認できた。 正月になるとこれがもっとくっきりするから、人間の文明がいかに大気を汚しているか一目瞭然だ。

とはいえ天気に恵まれた楽しい登山だった。 得さんに大いに感謝したい。

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2010年12月29日 (水)

野川を歩く -新井橋から柴崎-

Imgp1600 新井橋のたもとの土嚢はこんな風に積まれていた。 重機が入って川の流れをいじっているのだろう。 向こうに見えるのは砧公園に続く世田谷区立運動公園の林。 ここはハケの断崖と呼ばれる『国分寺崖線』がはっきり確認できる場所のひとつ。 もとは多摩川の河岸段丘である。

Imgp1605 今日はサギが目立つ。 チュウサギとアオサギが背を向けている。 それぞれに獲物となる小魚を狙っているのだろうが、どちらもほとんど動かない。

Imgp1621 左手に次太夫堀公園の入り口があったので入ってみた。 なんと言うことはないパズルのトンネルで多摩堤通りをくぐると民家園の入口。

Imgp1645

Imgp1637 こんなイネコキもあったりして楽しめる。 民家園のはなしはまた別の機会にとっておこう。 ゆっくり見て回って1-2時間というところだろう。

Imgp1648 民家園は日当たりが良いので梅が咲き始めていた。 冬が来ると同時に春もすぐ後ろに待機している。 もっとも本格的な冬はこれからだが。

Imgp1665 民家園の前には水田があり、小川が作られている。 そこにはいろいろな生き物がいて、ハクセキレイが近寄っても逃げないくらい安心している。

Imgp1674 野川に戻る。 頭上をコサギが飛んでいった。

Imgp1683 アオサギが流れの真ん中でじっとしている。

Imgp1695 コサギがなんだかせわしない。

Imgp1687 と、いきなりアオサギがコサギを追い払いにかかった。 今日はサギの密度が高いので、こういうこともしばしば見かけた。 普段はもっと仲良くしているんだけどなあ。人間と同じなんだろうか。 密度の低い田舎では性格もよくのびのびとしているが、密度の高い都会に住むとつい攻撃的になる。 生き物にとっても人間にとっても適度な間合いってだいじだなと思った。

Imgp1708 世田谷通りをくぐる。 輪っかひとつが15cmもあるチェーンで橋が留められている。 まっすぐな橋が多いが、こういう曲がった橋はどうやって築くのだろう。 難しそうな気がする。

Imgp1732 ずずっといつものカワセミエリアを過ぎる。 カワセミは1羽確認。 カワセミファンが長い筒で懸命に撮影している脇をそっと抜けた。 気を遣うなあ。 まもなく野川大橋、ただいま橋の架け替え工事中。 しばらく現場脇で観察していた。 毎秒数センチずつ橋をずらして架けていく。 気の長い作業だが、ミリ単位の仕事。 勉強になった。

Imgp1756 調布方面へ歩く。 少し日が傾いてきた。 セグロセキレイが留まっている。 最近この日本固有のセキレイが増えてきたのは嬉しいことだ。 どれもツガイになって飛んでいる。そして時折ハクセキレイを追い立てていじめている。縄張り意識の強い鳥だ。

Imgp1768 先日の書き込みと同じチュウサギとコサギ。 日が翳って寒くなると首をすぼめるようにするのだろうか。 もうすぐ柴崎だ。

Imgp1775 京王線の鉄橋が見えた。 今日はここまで。 何度も通った野川だが、河口からずっと歩いたのは初めてである。 この次に歩くときは、この柴崎がスタートになることだろう。

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野川を歩く -河口から新井橋-

Imgp1464 野川の河口に出るために二子玉川駅東口から多摩川に向かうと、この堤防跡を横切る。 20年くらい前このあたりに住んでいたころから、なぜここに堤防があるのだろうと不思議だったが、先日の『ブラタモリ』を見て真相を知った。

大正時代に二子玉川の多摩川沿いには、沢山の料亭が立ち並び改造屋形船で川に浮かびながら料理を振舞って賑わった。その時代に防災上堤防を築く計画があったが、料亭群は洪水になっても諦めるので堤防の川側で商売を続けることを嘆願し許されたという話だった。 もっとも現在ではこの堤防より川側にはマンションが沢山立ち並んでいて、知人もそこに住んでいる。 少なくとも100年以上は決壊していないわけで、つい事業仕分の『スーパー堤防』の話を思い出してしまった。

Imgp1473 昭和のはじめまで氾濫を繰り返して流れを変えた多摩川だが、今の野川の合流点がこの写真。 現在の国土地理院の地図の水線は上野毛通りのあたりが合流点になっている。それより前はどうかというと、昭和31年の地図では東急線の鉄橋下が合流点になっている。さらに明治の地図になると大山街道(国道246号)が多摩川に突き当たったあたりだから、今の二子玉川駅直下で昭和31年とほぼ同じ。 ということは今の合流点は最近になって作られた水流である可能性がある。(この辺はいつか解明したい)

Imgp1479 二子玉川から河川敷へは手前の兵庫橋で兵庫島へ渡る。兵庫島には新田義貞所縁の話もあるが、かなり昔から一度も流されたことがないという言い伝えもある。 真ん中には金網に囲まれた小さな多摩川大神が祭ってあり、言い伝えの割には神様が過小評価されている気がする。 兵庫島周辺には沢山の釣り人がいつもいて、鯉やオイカワなどを狙っている。(たまに鮎釣りの人もいる)

Imgp1504 30年位前だったか、この国道246号の新橋ができた。 そのときから写真の高い駐車建物の下から侵入する道路があって、二子玉川の街から多摩川上で合流すると思ったのだが、未だにそうなる様子はない。 なぜこの合流路が必要なのか今もまだ疑問だ。 ちょうどその下にぽっかりあいた二つのトンネルは谷川の暗渠の出口。 谷川は二子玉川の街中を農村当時流れていた小川。

Imgp1527 コヤマドライビングスクールのあたりから吉澤橋までは河川工事中。 久しぶりに吉澤橋に行ってびっくり。 もともと狭い橋で、車が通ると自転車でもすれ違うのが怖かったが、こんな立派な橋になっていた。 ここはもともと玉電の支線に掛かっていた橋なのだ。

Imgp1522 二子玉川から支線は、中耕地、吉澤、そして終点の砧へと走った。 その吉澤駅はこの橋のところにあったのである。 その玉電は1969年に廃止され、今は世田谷線を残している。

Imgp1534 吉澤橋からしばらくは高コストの舗装が施してある。 歩いてみて驚いたのは、コルクのような弾力があって、自転車で転倒しても擦り傷は致し方ないが、骨折や致命傷になることはないくらいやわらかいのだ。

Imgp1536 拡大してみた。 コルクに色をつけてあるように思える。 舗装は下地のアスファルトの上に暑さ1cm程度を加えてある。 財源不足なのかしばらく行くと普通のアスファルトになる。 サイクリングロードにここまでは不要だろう。

Imgp1549 ようやく仙川の合流点に来た。 仙川の水量は本流と差して変わらない。 仙川は小金井市貫井を水源として流れる川で、京王線の仙川から小田急の成城学園前を下ってここまで流下する。 合流点には沢山の大きな鯉が泳いでいた。

Imgp1569 天神森橋まで狛江から南下してくるのがこの水道道路。 ずっとまっすぐな道路で、このあたりにはこういった水道道路が多い。 まっすぐだが水道管を埋設しているので大型車は基本的に通行できないことがほとんど。

Imgp1594 東名高速をくぐると多摩堤通りの新井橋。 東名を東京に向かって走ってくると、用賀の出口の車線が明確になるあたり。 この少し西側で1999年に酒気帯びのトラックが渋滞の列に並んでいた乗用車に突っ込み、3歳と1歳の幼児2名が焼死するという痛ましい事故があったことを覚えている方もいるだろう。 ちょうどその事故を今年社会人になる息子が、河川敷で野球の練習試合をしながら見たというのを聞いていたので、今でもこのあたりに来ると思い出す。 本当につらい話だ。

<続く>

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2010年12月28日 (火)

野川で見つけた面白いものたち

Imgp1530 野川を散歩していると、吉沢橋のたもとにぬいぐるみが浮かんでいました。 遠目にはアンパンマンですが、よくみると熊さんの顔をしています。 誰が捨てたのか、川に下りられない場所なので拾ってあげることもできません。 もっとも拾っても処分に困るでしょうが。

Imgp1597 もう1枚はこれ・・・土嚢というべきでしょう。 しかし途中まで番号を振ってあるのに途中から無地になっていました。 順番に書いていて疲れたのかな? それともスプレーのペンキが切れてしまったのかな? 下のほうがつぶれているのに65番から73番の列はつぶれていないのがちょっと不思議です。

散歩していてこういうものを見つけるとなんとなく嬉しくなってしまいます。

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2010年12月27日 (月)

山登りいってきたのこと

Imgp1987 今日は得さんと山登りに行ってきた。 詳しいことはまた書くつもりだが、結構厳しかった。 それでも最後まで歩きとおせたのでよしとしよう。 霜柱と急斜面に苦しめられたが、心地よい疲れが体に残っている。

明日は健康診断だし、今日は早く眠ろう。・・・年末に健康診断なのは、健保に目をつけられてしまって逃げられず年内受診ぎりぎりで滑り込んだから。 今年は手術入院もしたし、散々検査をしたので、別に受けなくてもいいと思うのだが、会社組織はそういうわけには行かないのね。 無意味でも受けることが必要なのです。

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2010年12月26日 (日)

チュウサギ対コサギのこと

Imgp1761 今日は写真1枚だけ。 野川を散歩してきた折りにチュウサギのいるそばにコサギが飛び降りてきたところ。 この後争うこともなく、それぞれが小魚を捕食していた。 今日の野川はコサギが目立って多かった。 ということは餌となる小魚も多いということで、年々生き返る野川の水もかなり澄んできたので、これからも生物が増えることを期待したい。

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2010年12月25日 (土)

都心の散歩(神楽坂~小石川) : その2

Imgp1261 春日通から播磨坂へ入る。 中央分離帯が公園になっていて、ソメイヨシノが沢山植えてある。花見の時期は名所。ただ周辺は都心でも群を抜く高級住宅街なので、きっとお弁当も豪華なんだろうなんて勝手な想像をする。人工的な小川も設置されていて、高級感漂うが寒い日なので人は少ない。もともと戦後の計画道路で環状3号線になる予定だったが、この数百mの区間しかない。この地にあった松平播磨守の上屋敷にちなみ、播磨坂と名付けられた。去年は表参道のように樹にLEDをつけて『文京播磨光のファンタジー』とやらいうイベントをやっていたらしいが今年は何もない。予算の問題かな。文京区は金遣いが荒い気がするが、やるならちゃんとやったほうがいいと思う。

Imgp1273 千川通をわたり路地を入ると間もなく小石川植物園の入り口。 入場券は330円。 だが入り口では販売していない。 向かいのパン屋さん(米田商店)で売っているのだ。どういうシステムなのだか、変わっている。 小石川植物園の正式名称は『東京大学大学院理学系研究科付属植物園・本園』という七面倒くさい名前だが、だったら入場料高すぎるという気がしなくもない。

Imgp1280 園内正面の広い坂を上っていくと古びれたホテルのような建物がある。本館である。立ち入りは禁止になっていた。

Imgp1291 残念ながら今の時期は花はほとんどない。 寒椿だけが見事に咲いていた。

Imgp1299 柚子かと思ったこの柑橘はハナユという植物。 柚子に近いが味は良くないらしい。 本当にそっくりなので、野で見かけたら間違う。

Imgp1309 偉そうに鎮座している銀杏の樹があった。なんだろうと近づくと説明板がある。『精子発見のイチョウ』とある。どうもよくわからない。 発見は1896年というのは理解したのだが、植物でも動物でも雌雄があるものが多い。 ましてやイチョウは雌雄がギンナンが実る樹かどうかで見分けられるのだから、精子があってもおかしくないだろうと思うのは素人かな。 まあ東大の施設なのでわからないことも多い・・・と適当に結論付けた。

Imgp1321 こちらはただのユリノキ・・・ではない。 ユリノキは外来種で、これはもっとも古い個体らしい。明治の初期にアメリカから持ち込んだのがこの樹で、当時皇太子だった大正天皇がこの樹を見て『ユリノキ』と命名したとある。 特徴ある葉がすべて落葉してしまっていて見られないのは残念だが、最初の1本と思うとそれなりに感慨がある。

Imgp1329 園内には巨木が多い。 このイチョウは枝の下に垂れ下がる気根(『乳』と呼ばれるらしい)が沢山付いている。 そういえば我が家の氏神の稲荷神社のイチョウにもこれがあった。なかなか迫力がある。

Imgp1336 あ、リョウブだ!と思って名板を見ると『カリン』とある。 おお、のど飴じゃ。葉もなければ実も終わっているので樹皮だけではわからないものだ。(ただの勉強不足ともいう)・・・ところで園内のこの辺りの標高は25mで、入り口辺りは10mほど。 15mの高低差があるのがこの植物園のいいところ。上り下りが運動になる。

Imgp1351 針葉樹の道から下ると古風な建物がある。旧東京医学校を移築したらしい。徳川5代将軍綱吉の居邸(白山御殿)だったこの地に作られた日本庭園とマッチしている。

Imgp1353 振り返ると池の向こう側は斜面になっていて、これが10m余りの高低差のかもし出す風景である。 大規模な庭園でいかにも徳川の将軍が作らせた雰囲気がある。 この写真だけを見せたら東京の都心だとは想像できないだろう。

Imgp1368 誰も目に留めない、しかし釣り人にはなじみのある笹もちゃんと植えてある。一番なじみのあるのは熊笹だが、これは太平洋側に多いミヤコザサである。

Imgp1374 それほど古くはないが歴史を感じさせるものがあった。関東大震災の記念碑だ。この植物園には震災時焼け出された3万人が避難したとある。1923年(大正12)年9月に発生し、最後のひとりが大正14年1月に退去とあるので、1年以上もここで生活していたことになる。 こういう施設が災害時には役に立つことを再認識した。

Imgp1413 小石川植物園は今も広域避難場所になっているので、もし再び大地震が襲ってきたら、また歴史を繰り返すように役立つのだろう。

Imgp1421 植物園を出て脇の坂を上る。御殿坂(別名:大阪・富士見坂)である。 これを見ると植物園の敷地の傾斜が良くわかる。 自転車で上ってきた女性が途中でくたばってしまっていた。なかなか厳しい坂だ。 先述の白山御殿(綱吉)から付いた名前である。白山御殿のあとは小石川養生所となった。 小石川養生所は江戸幕府が設置した無料の医療施設で、徳川吉宗と江戸町奉行の大岡忠相の下層民対策のひとつ。幕末まで江戸の貧民救済施設として機能した。 この地は人を救う地として何百年も機能しているのだ。

Imgp1428 坂を上り、途中伊賀坂という路地に入り、小学校の脇を抜けたところに面白いちょうちんがぶら下がる民家があった。 このあたりのオピニオンリーダーなのだろう。 ちょうちんの防犯表示ははじめて見た。

Imgp1441 白山から春日へ下ると、道の先のほうに文京区役所(文京シビックセンター)の豪華なビルが見えてきた。 東京都庁もえげつないがここも似たところがある。

Imgp1443 でも街はいい。 えんま通りという商店街、歩道上だけのアーケードがある。 大きなスーパーが少ないので商店街は活気がある。 えんまというのはこんにゃくえんまのことである。

Imgp1446 こんにゃくえんま・・・本名は源覚寺。 ここのこんにゃくえんまの人気で実はとても大きな寺になっている。 ここでちょっと・・・

【こんにゃくえんまの話】http://www.genkakuji.or.jp/

昔ある村に閻魔大王を祭ったお堂があった。閻魔なので人気もなく寂しいお堂だった。ところがこのえんま堂に、雨が降っても風が吹いても、毎日お参りに来るおばあさんがいた。おばあさんは両方とも目が見えないので、孫の小さな女の子に手を引かせて来るのだった。

彼岸のある日、お参りに来たおばあさんは、いつもの様にえんまの前に座り、孫の女の子はえんまが怖いので、おばあさんの後ろに隠れていた。「どうかこのババの目を治してくだされ」とおばあさんは繰り返し拝んだ。 

「これ、ババよ。お前の願いを聞いてとらす。」
えんまが口を聞いたので、おばあさんはビックリして上を向くと、おばあさんの右の目が開いた。すると一緒にいた女の子が叫んだ。
「あっ、えんまさまの目が一つない」
おばあさんが見てみると、確かにえんまの目が一つ潰れていた。
「ああ、申し訳ない。えんまさまをかたわにして、わしが見えるようになるとは。ああ、もったいない、もったいない」
すると、片目のえんまさまが言った。
「まあ、そう心配せんでもいい。わしはお前たちと違うて、別に働かなければならんということもない。ただここにこうしておる分には、片目でも十分じゃ」
「へえ、もったいない。ところで何か、お礼をさせていただきとうございますが」
「お礼か。そんなものはいらぬ」
「いいえ、わたしに出来ます事をさせてくださいまし」
「それでは、こんにゃくを供えてくれ。わしは、こんにゃくが大好きでな」
それからおばあさんは、毎日毎日、えんま様にこんにゃくをお供えした。

その事が村で評判になり、えんま様は『こんにゃくえんま』と呼ばれるようになった。

Imgp1461
いい話だ。 こういう言い伝えは素直に聞きたい。 ところでここにはもうひとつ面白いものがあった。

Imgp1453 この鐘、汎太平洋の鐘という。1690年に鋳造され設置されたが、1937年にサイパン島に建てられた南洋寺に転出した。ところが1944年にサイパンで日本軍は玉砕。それが1965年にアメリカ本土で発見され、1974年に寺に戻ってきたとある。 鉄砲玉にならなかっただけでなく、こうしてまだ戻ってくるというのもまた近代の言い伝えになりそうだ。

源覚寺はいつまでも栄えそうな気がする。 商魂だと見る方もあるだろうが、そこは素直に喜びたい気がするのである。

というわけで、今日の散歩は終わり。 都心の散歩もなかなか楽しいものである。

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都心の散歩(神楽坂~小石川) : その1

Imgp1144 朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。それでも関東地方は晴天日が多いのは嬉しい。今日は関東以外はほとんど雪である。 今日土曜日の散歩は神楽坂から小石川を歩くことにした。スタートは飯田橋駅西口。 改札を出ると看板の嵐が迫ってくる。神楽坂は学生の街、TVゲーム主流の現代でもまだパチンコ屋が多い。昔は学生街には場末のパチンコ屋が多かったものだ。

Imgp1153 神楽坂の魅力は裏通りにある。小洒落たレストランも多いし、由緒のある割烹もある。一方裏手にはこんな階段の路地があって、その途中に素敵な店がある。 昨今はフランス人が神楽坂周辺に多く住むようになったが、西洋化ではなくより和風になったのは興味深い。外国人の求めるものがこういうものだということなのだろう。いいことだ。

Imgp1180 さらに裏手には寺社仏閣も多い。 古い日本の向こうに近代的なビルが見えるのが東京らしい。 写真は光照寺の鐘。 出版会館の樹齢250年の銀杏の前に山門がある。 この銀杏は戦時中焼け野原になったこのあたりでなぜか焼けずに残り、この樹を目指して被災した人々が戻ってきたという。さらに江戸時代以前には牛込城があり徳川が江戸に来るまでは居城していた。徳川時代になって神田にあった光照寺がここに移転してくるとともに、向かいの銀杏のあるあたりが天文屋敷(暦をつかさどる役所)になったが、光照寺の樹が邪魔になり天文屋敷は浅草鳥越に引っ越したらしい。寺社とどっちが上なのか疑問に感じたが、昔もいろんなしがらみがあったのだろうか。

Imgp1186 この辺りには坂が多い。 神楽坂はもちろん、軽子坂、三年坂、そしてこの『地蔵坂』など名のついた坂がいくつもある。坂の上に光照寺があり、そこに子安地蔵があった。それに因んで地蔵坂と呼ばれたらしいが、先ほど立ち寄った光照寺に地蔵はなかったような気がする。見落としたか? 飯田橋駅のお堀(外堀)の標高が5m、神楽坂上が15m、この地蔵坂の上が25mほどあり、昔は丘陵地だったことが想像できる。 腕時計のプロトレックで計測してみたが、誤差の範囲で当てにならなかった。 こういうときは早く位置高度を正確に計測できるGPSができるといいと思う(安価が条件だが)。そうなると散歩の楽しみが倍増する。

Imgp1191 神楽坂から神田川へ下る。 ここは相生坂。 二つの坂が並んでいるから相生坂というらしいが、もうひとつはどこだ? よくわからなかった。坂を下ってしばらく行くと、首都高速池袋線が見え、沿って走る目白通りを渡る。

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小桜橋で神田川を渡り、文京区へ入る。 この辺りは水道1丁目と2丁目の境。 水道という地名は面白い。 神田川は神田上水とも呼びそのほとりなのでこう命名したらしい。 聞くときわめて単純。 そんな命名をしていたら、川の周り中『水道』になってしまう。

Imgp1209 水道という街から小日向という素敵な名前の街に入る。 春日通(国道254号線)へは登りの斜面なので、そういう名がついたのだろう。 坂を上っていった先は茗荷谷。 上が谷とはちょっとおかしい。 変に思ったので調べてみたら、小日向はヒナタではなく「コヒヌタ」でコヒとは泥の意味、ヌタは沼田の意味で、窪地だったというのが正解らしい。でも日当たりのいい地域で、そのせいか高級官僚?の住宅がいくつもあって、写真の石垣の上は財務省のマンション。 写真を撮っていたら角の交番のおまわりに睨まれた。 睨みかえしたが、しつこくすると面倒なのでそそくさと立ち去ることにした。

Imgp1218 まもなく地下鉄丸の内線の車庫脇をトンネルでくぐる。 丸の内線が地上に出る4ヶ所のうちのひとつ。右手の石垣の上が丸の内線の本線、左上には車両基地がある。

Imgp1231 トンネルを抜けてすぐに右手の階段を上る。 この階段は庚申坂という坂。 説明板によると『小石川同心町の堺を西へ下る坂あり、この坂を切支丹坂というのは誤りなり。本名庚申坂、昔坂下に庚申の碑あり・・・』と。 切支丹坂は別のところらしいが、なぜそんな勘違いを説明しているのかが不可思議。 江戸時代にはこの辺りに幕府の同心(警察のようなもの)屋敷があったとある。

坂を上りきると春日通りである。次の目的地は小石川植物園。 もう少しだ。

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2010年12月24日 (金)

秦野の野鳥のこと

  週末の弘法山歩きで見かけた野鳥です。 トリミングをしているので画像は落ちてます。

Imgp0828 エナガ・・・群れを成して樹から樹へ移っていった。 スズメよりもさらに小さいのでなかなかファインダーに収まらない。 体の半分が尾。 全長14cmで尻尾が7cmくらい。 図鑑によると体重は6~8gしかないとある。 ということはジブンはエナガ何羽分だ?

Imgp0833 コゲラ・・・山のコゲラは少し大きめかな。 おいしい木の実が沢山あるからかも。 大好きな野鳥のひとつ。 体長は15cm以上あったなあ。

Imgp0859_2 ヤマガラ・・・ここには沢山いるのだろう。 シジュウカラの仲間で山では良く見かける。 オレンジ色のお腹がきれい。

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Imgp1057 上の2枚はメジロ。 黄葉に映えているのかお腹がちょっとオレンジ色。 民家の周りにいるのはこんなに腹に色が付いていないように思う。

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Imgp1106 上の2枚はイソシギ・・・シギというと海岸を思い浮かべるが、川や沼などの水辺には沢山いる。

Imgp1116 これはマガモ。 カルガモもいたが、マガモの色は本当にきれいだ。

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Imgp1131_2 これはハクセイキレイ(上)とセグロセキレイ(下)。 セグロセキレイのほうが縄張り意識が強く、ここでもハクセキレイを追い立てていた。

いっぱいいるもんですね。

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2010年12月23日 (木)

昔の川のあとはどこにでもあるのこと

Imgp0280 毎日のように通る駅への通勤路。 その途中に暗渠らしき跡がある。 暗渠歩きをしているとこういう路地にすぐ目が留まる。 よく見ると区の教育委員会が設置した説明板が立っている。 暗渠はこのような車止めがあったり、狭い路地なのにマンホールがたくさんあることで識別できる。

Imgp0275 この場所にきれいでない水が流れる小川があったようだ。字横根より北のほうにとあるが、横根は江戸時代の地名で砧公園周辺から千歳船橋あたりにあったとされる集落(村)の名前。 我が家の氏神である稲荷森稲荷神社の御輿や山車には横根睦とある。相当昔からあった神社なので、当時はかなり広い地域にかかわっていたのだろう。

先日宮司さんと神社の境内に埋めてある三角点について話したが、そのうち由来についても聞いてみよう。

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弘法山縦走気分のこと (3)

Imgp0913 弘法山を後に権現山へ向かう。 正面の階段が玄関道なのだが、山歩きとしては左の土の道を行くことにした。 この方が歩きが楽なのである。

Imgp0931 少し下ると駐車場があり、おかしなモニュメントや立派なトイレがある。 そこからは馬場道という車道幅の尾根道が続く。 神社の参道のようだ。再び上りの階段道が出てくるが、それを上ると権現山。

Imgp0972 権現山には六角の展望台があり、相当な違和感がある。 この建物は小田急線からも良く見える。 ただし山頂からの富士山や町の眺めはすばらしい。

Imgp0974 不思議な展望台の脇に三角点がある。標高は243.5m。 235mの弘法山よりも少し高く、このルートの最高地点。 三角点には電子機器が埋め込まれていて、測量に使われるらしい。 東京の街中にもいくつもあるが、いたずらを避けてわからなくしている場所も多い。

Imgp0988 権現山を下りる。 振り返るとけったいな展望台とテレビの中継アンテナが見える。 このアンテナはアナログ放送用なので、来年以降どうなるのだろう。 ここからは急激に標高を下げるので階段道になる。 段差が大きく歩きにくい。

Imgp0997 鞍部まで下りると車道が通っている。 車多し横断注意とある。 実際に写真を撮っている間にも数台が通り過ぎた。 ここは危ない。

Imgp1008 車道を横切り少しだけ上ると浅間山。 標高は25,000分の1地図にもないが190mほど。 人も少なく静か。 誰かがテーブルの上で火を使ったらしく焦げている。 困ったものだ。(地図 ⑨)

Imgp1033 浅間山からは九十九折の急坂をくだる。 すれ違いもぎりぎりだが、3名ほどしかすれ違わなかった。 降りるにつれて下の街が近くに見える。 真下はトイザラス。

Imgp1065 折りきったところは小さな川のほとり。 源流は名古木(ながぬき)あたり。 金目川に注ぐ。なかなか満足度の高い低山だった。 (地図 ⑩)

Imgp1090 秦野駅までは少し歩く。 国道246号線を過ぎて、秦野市内を流れる水無川沿いに歩く。 川の土手の低い部分が散歩道になっていてとてもいい。 安全だし、野鳥も沢山見られる。人工的ではあるが、気に入った。

Imgp1100 人懐っこいのに遊んでほしいからか吠えまくる2匹の柴犬がいた。 彼らと少し戯れて、駅へ向かう。 とても気分がいい山行だった。

<おわり>

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2010年12月22日 (水)

弘法山縦走気分のこと (2)

Imgp0742 吾妻山から平塚方面を望むとすこしもやがかっていたが鷹取山方面が良く見えた。 写真はおそらくそのさらに南の湘南平・高麗山だろうと思う。 眺めながら、冬でもこうして簡単に歩ける低山があることに感謝。 次は鷹取山と湘南平を歩くのもいいなと感じた。

Imgp0805 ゆっくりと標高を上げていき200mを超えるところで送電線(鶴巻線)の鉄塔がある。 下から見上げるとかなり高い。 どんな山奥にも送電線がある。 電力会社おそるべし。 (地図 ④)

Imgp0811 尾根道は標高200m前後で傾斜は少なく、かつ広いのですれ違いも楽である。 杉林もあまりなく、広葉樹主体の気持ちのいい道だ。

Imgp0820 まもなく首都圏自然歩道枝線との分岐。 右へ進むと善波峠を過ぎて大山へと向かうが、弘法山はここから左の登り道を行く。

Imgp0841 車道があるあたり、めんようの里の近くで富士山が眼前に飛び込んでくる。 丹沢の山は富士山があるから楽しさが増す。 なんだかんだ言っても日本の山の代表だ。 (地図 ⑥)

Imgp0853 もう少し進んで眼下の秦野の街を前景に富士山を望む。 しばらく立ち止まって眺めた。

Imgp0877 大きなヤマモモらしき樹の脇から少し急な階段状の坂を上ると弘法山山頂に到着した。 お堂があり、弘法大師と書いてある。 8~9世紀に生きた弘法大師がここで修行したという言い伝えから弘法山と呼ばれる。丹沢には弘法大師ゆかりの場所が沢山ある。 1000年以上の年月を経ても名が残るというのはすごいことである。それでも山の最老木のほうがさらに古い。 自然は偉大なのである。 (地図 ⑦)

Imgp0887 弘法の乳の水と呼ばれる井戸。 残念ながら枯れている。 いつの頃からか、真夜中に誰にも知られずに山に登りこの水を飲むと乳が沢山出ると伝えられ、沢山の人々が登るようになったらしい。 子育てが難儀だった昔の話。

Imgp0892 弘法山山頂には写真の猫が、ほかのそっくりな2匹と一緒に登山客から餌をいただいていた。 本当にそっくりなので、間違いなく兄弟(姉妹)だと思う。 毛並みもよく、健康状態も良好。 日本は豊かだ。

Imgp0904 弘法山は車でも上がってこれるので、普通の行楽客も多い。 コンビニで買ったおにぎりも食べた。 さて、ここからさらに稜線を権現山に向かって進もう。

<続く>

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弘法山縦走気分のこと (1)

週末の土曜日に丹沢の前山の弘法山に行ってきた。 縦走気分を味わえる安楽なハイキングコース。 吾妻山→弘法山→権現山→浅間山という4つの低山を歩くのだがそれなりに満足度が高い。 今回は地図を先に・・・

Koubouyama_1 鶴巻温泉から200m前後の稜線を歩いて秦野駅まで約8kmあまり。樹木も野鳥も豊かな山である。

Imgp0669 出発点の鶴巻温泉駅はまだまだ古い駅舎が活躍中。 こういう駅のほうが個人的には好きだ。 ちょっと旅に来た感覚が味わえる。

Imgp0684 駅前のコンビニを左に歩き、横浜銀行のCDがあったらそこを右折すると旅館街に向かう。 すぐに左側に立ち寄り湯があるが今回はパス。 その先に写真の道祖神と案内表示がある。 この道で合っている。 途中左に道を取るのが正しいがそこには案内がないので注意必要。 東名高速を目指せば道は当たり! (地図①)

Imgp0689 東名高速をくぐるトンネルには写真の道祖神がある。 ここをくぐって、左に曲がるとすぐ山に登る路地があり、それが登山口。 この辺はわかりにくいので案内板をちゃんと見つけ出すのがカギ。

Imgp0701 民家の奥に案内板が見えたらここから登山道になる。 面白い入り口である。

Imgp0713 50mほど標高を稼ぐと尾根筋に出る。 立派な石碑と案内板がある。(地図 ②) ここを左にとるがそれは間違えることはないだろう。 尾根筋の道は登山客だけでなく、高校の運動部の練習場所にもなっていて、今回は伊勢原高校の野球部と何度か遭遇した。

Imgp0721 広葉樹の気持ちのいい尾根道の上り坂を登っていく。 風が気持ちいい。

Imgp0728 途中で後ろからベルが鳴るので振り返るとマウンテンバイクで登ってきた若者。 歩くよりもはるかにしんどそうだ。 これも低山らしい。

Imgp0741 標高155mの吾妻山に到着。 休憩をとった。 野球部も先着して休憩していた。 登山客に丁寧に挨拶をしていて好感。 吾妻山からは平塚方面の眺めがいい。 関東ふれあいの道の通る鷹取山の向こうには相模湾も見えた。 (地図 ③)

<続く>

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2010年12月21日 (火)

もう中がきたのこと

Imgp0541週末の日曜日、地元の千歳船橋のまつりに『もう中学生』が来ていた。 TVと同じテンションだが、上がる前の楽屋ではおとなしげ。 そりゃ普段からあれじゃいのちが持たないだろう。

それはともかく駅の北側の細い商店街は、昔の「駅前旅館」シリーズの舞台となったところ。 そこからしばらく行くと、通称森繁通りという名の通りがあり、昨年他界した森繁久彌(享年96歳)の家があった所縁で『森繁通り』の名で親しまれてきたが、今回ようやく正式な通り名とされた。 しかし地元の人にとってははるか昔から森繁通りだったので、なんだ正式じゃなかったんだという印象。

どうせなら平成のタレントではなく、昭和のタレントがよかったな・・・というのはもう中学生に失礼かな? でもどっちかというとのいるこいるのほうが街には似合ってるんだけどなあ。 遠目に彼の舞台を見ながら、昭和の遠さを感じたのでした。

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2010年12月17日 (金)

頭高山(ズッコウヤマ)と渋沢丘陵のこと (7)

Imgp0595 渋沢丘陵の尾根道で丹沢の絶景に出くわした。見事に一望できて、気持ちが良かった。 車でも来れるので、相当老齢なおばあさんを連れてきて、眺めさせてあげている青年を見かけた。 とてもすがすがしい気持ちで少しはなれたところでしばし私も丹沢を眺めていた。(地図 ⑬)

Imgp0602 道の分岐に出た。まだまだ尾根道は続くが、今日は午後には帰宅しなければならないので、そろそろ山を下りる時刻。

Imgp0608 左手に地図にない道があった。 ハイキングコースとあり、須賀神社へと記されている。 これは近道だろうと迷わずハイキングコースへ入っていった。(地図 ⑭)

Imgp0629 コースは結構な下り坂だったが、左程時間も掛からずに須賀神社に到着。 階段らしいものが見えてきたらゴールである。 (地図 ⑮)

Imgp0641 須賀神社側の出口にも同じ案内板があった。 ちょうど神社の上で、ボランティアと思われる人たちが伐採をしていた。 瀬音の森でやっているようなことを、地元の青年団らしき彼らもやっていた。

こうして頭高山と渋沢丘陵を歩いてみて感じたのは、ここが地元の人々に愛されている山だということ。 ちょうどいい感じで開け、ちょうどいい感じで自然が残っている。 最後に今回の道程の地図を・・・・。

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2010年12月16日 (木)

頭高山(ズッコウヤマ)と渋沢丘陵のこと (6)

Imgp0548 頭高山山頂を降り、渋沢丘陵を歩くことにした。 尾根筋の道は軽トラ用にピッタリの道路で、この辺りの果樹畑の作業道路の役割を果たしているのだろう。

Imgp0557 途中に変なモニュメントが現れた。 『祈り』の慰霊碑で戦没者を供養している。 特にここで何かあったわけではなく、有志(谷さんという方のようだ)が犠牲になった人々を忘れないようにと作ったようなことが記されている。 正直な感想としてはちょっと違和感を覚えたが、日本人として忘れてはいけないことを思い出したのも確かだ。

Imgp0563 慰霊碑の近くでメジロが飛び回っていた。 なかなかきれいな色をしている。

Imgp0571 面白いことにこの稜線の道沿いには結構たくさんのカシワが植えてあった。 (最初、ミズナラと間違えていたが、再度写真を調べてみてカシワと断定した)

Imgp0579 道路はこの辺りから完全舗装になる。 前述の湧水のところからまっすぐ上がるとここにくる。 ZUKO YAMAの表示がおかしい。 (後述地図 ⑫)

Imgp0580 杉の花が開いていた。 花粉症の人にとっては厳しい季節がもうすぐやってくる。 1月辺りから飛びそうな気配。

Imgp0590 かりがねの松の社に着いた。 お稲荷さんのように赤い灯篭が沢山ある。 このふもとに千村という宿場があり、「ちむらわかされ」という辻があった。ある冬のこと、粉雪が木枯らしに吹きすさぶ辻に若く美しい姫がひとりでやってきた。都から来たというかりがねと名乗る姫はこの辻で倒れて、村人の介抱もままならず息を引き取ってしまった。 哀しんだ村人たちが、ねんごろに弔い松の樹を植えた。 その松は大きく伸びて名木になったという話が言い伝えられている。 ただ、松を探したがどこにもなかった。

<続く>

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頭高山(ズッコウヤマ)と渋沢丘陵のこと (5)

Imgp0492 頭高山の山頂には比較的新しい東屋が建っていた。 先客が二人、途中で話に加わったが、お一人はこの辺りを庭のように歩いていらっしゃる初老の男性。 もう一人は初めてここに登ったという方だったが、人の少ない山頂ではすぐに打ち解けて話が進む。

Imgp0496 頭高山山頂の簡易な標。 比較的新しく、それでもここには三角点があるので、間違いない山頂。 山頂の樹木はほとんど落葉していて明るい広場になっていた。

Imgp0506_2 本来の山頂へのアプローチ側にはこのやはり簡易な鳥居がある。 なだらかな山頂なのでどこからでも登れるが、本来はここから入るべきなのだろう。 遅ればせながら合掌。

Imgp0510 振り返ると東屋ときれいな紅葉のイロハモミジが見送ってくれている。 高くはないがなかなか風情のあるいい山だ。なんとなくすがすがしい気持ちを持ったまま、山頂を離れたのであった。

<続く>

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2010年12月15日 (水)

頭高山(ズッコウヤマ)と渋沢丘陵のこと (4)

Imgp0416 登山道は幅広く歩きやすい。 軽トラックもなんとか登れる規格。『あなたは見られています』の立て看板、ちょっとぞっとする。 魑魅魍魎でもいるのか? と思ったが、よく考えてみると、これは不法投棄者への警告板。

Imgp0413  樹木が切れると丹沢の稜線が見えてきた。 右のとんがったのが大山、樹木が邪魔をしているのが二ノ塔と三ノ塔、左側には塔ノ岳も見えている。 いい眺めだ。 手前の丘陵が宅地で覆われているのはいかにも神奈川県。 (後述地図 ⑧)

Imgp0419 コナラ、クヌギを中心とした広葉樹が多く、登山道はザクザクといい音がする。 秋の山道はこれがいい。 落ち葉は雨に流され、腐葉土となり、山の土壌を育てる。

Imgp0437 渋沢丘陵からの尾根道に出ると、両側が眺められる気持ちのいい稜線の道。 明るい林が気持ちをさらに明るくしてくれる。

Imgp0478 東屋を過ぎて少し行くと道が左右に分かれる。 今日は右の周回路を行く。 山頂の西側からそのまま直登、振り返ると川音川(四十八瀬川)と松田の街が見えた。 東名高速と小田急線と国道246号が交差する。 向こうには箱根山塊が眺められた。 なかなかいい眺めだ。 (後述地図 ⑪)

<続く>

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2010年12月14日 (火)

頭高山(ズッコウヤマ)と渋沢丘陵のこと (3)

Imgp0350_2 頭高山の登山道に入る手前に白山神社がある。 ここには立派な杉が3本そびえている。神奈川県の名木百選にも選ばれたこの杉は、推定樹齢600年とある。 樹高は44m、幹周りは4.9mと堂々としたものだ。

Imgp0359  40mを超える樹木は見上げると本当に高いと感じる。 無論これよりも大きな杉は沢山あるが、ほとんど人が立ち寄らない神社(と思われた)にこれだけの杉があることにちょっぴり感動。

Imgp0364 苔むした風体もなかなかのものだ。 この裏側に蜂の巣があって、この時期であったのが幸い。暖かい季節は注意が必要かもしれない。

Imgp0368神社の社殿はこじんまりとしていて、お犬様(獅子かも)が見守っている。 右手には演舞台があり、祭りのときはさぞかしにぎわうのだろう。

Imgp0378  社殿脇の杉も表の杉に負けず劣らず立派で、樹高はさらに高く46m。 幹周りも4m以上ある。

Imgp0395 神社の鳥居の脇の樹木にルリビタキが留まって鳴いていた。 残念ながら目の覚めるような青色の背中は見せてくれなかったが、羽のわき腹のオレンジはきれいだった。

神社を出ると四俣があって、右手に鋭角に折れると頭高山の登山道。 ここからは落ち葉の重なる気持ちのいい登山道だ。 (後述地図 ⑦)

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2010年12月13日 (月)

頭高山(ズッコウヤマ)と渋沢丘陵のこと (2)

Imgp0308 傾斜のある里道を歩く。 立派な農家の庭にたわわに柚子が実っている。 もうすぐ冬至だ。 冬至といえば柚子湯。 冬至に柚子湯に入ると1年中風邪をひかないという言い伝えられているが、どうやら冬至と湯治を掛けての言葉らしい。でも柚子湯は体が温まるのも事実。

Imgp0311 右手の斜面から水の流れが車道に沿うようになり少しいくと、車道をくぐった水路は砂利道へとつながっている。 この流れは渋沢丘陵の北側に沿って流下し、秦野で金目川に注ぐ室川という小河川。 『ホタルの棲める川に』という看板が立っている。(後述地図 ④)

Imgp0317 農道は麦の植えられた田んぼの間を室川と併走する。 のどかな景色だ。 水質さえよければホタルは可能だと思えた。

Imgp0320 もう1本の車道に近づくと向こうの斜面に所狭しと立ち並ぶ住宅が目に入る。 この辺が神奈川の里山らしい。

Imgp0326 農道から車道に出ると『若竹の泉』という湧水がある。 名水と記してあるがそのまま飲めないともある。 でも飲んでみた。 思ったより水温は高い。 山の湧水に比べれば?だが、地元の意気込みを感じるモニュメントが立っている。(後述地図 ⑤)

Imgp0339 泉蔵寺の入り口を左にとる。 古めの東屋の脇に頭高山の道しるべ。 真新しい石仏観音がそびえ立つ。 泉蔵寺はパス。 古刹のイメージがない。 のちに調べたら開創は1481年と意外に古い。 次回は立ち寄ってみよう。(後述地図 ⑥)

Imgp0341 コナラの黄葉が逆光に映える。 秋深い。 風も冷たくて、でも気持ちがいい。

<続く>

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2010年12月12日 (日)

頭高山(ズッコウヤマ)と渋沢丘陵のこと (1)

Imgp0290 日曜日の午前、半日空いたので渋沢へハイキングに出かけた。 自宅の千歳船橋駅から1時間、小田急線の急行で車窓を眺めているうちに渋沢駅に到着。今では近代的な駅舎になっていて、山小屋をモチーフにしているらしい。 一時は『丹沢高原駅』という駅名も候補になったらしいが、個人的には昔からの地名であってほしい。 渋沢駅の標高は163m。

Imgp0293 渋沢駅から線路沿いに歩いていくと富士山が見える。 小田急線がトンネルになっている直上がテニスコートで、その脇から住宅越しに見えてくる。 ここまでくると富士山はかなり大きく見える。 (後述地図 ①)

Imgp0299 住宅街の緩やかな坂を上って行くと丹沢山塊が一望にできる場所に出る。(後述地図 ②) ここからちょっと厳しい舗装路の登り。 山道の登りに比べてきついが、坂の上までは30m程度の標高差だ。 まもなく下りになる。

Imgp0302 花は咲いていないが、畑にはネギが生命力を主張していた。 ネギは春まきと秋まきがあって、春に蒔いたものは冬から翌春、秋に蒔くと夏から秋の収穫になるらしい。これは春まきかな。

Imgp0305 尾根筋のネギ畑から下ると道別れに道祖神がある。 ここで右に折れると頭高山への散歩道。 実はそのまま進んでもいいのだが、とあるガイドにはこっちがいいと書いてあったので、右へ曲がることにした。 (後述地図 ③)

<続く>

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2010年12月10日 (金)

神田川を下るのこと -善福寺川との合流-

Imgp0466 神田川の水がきれいになったと何度も書いたが、色々な浄化法を使っているのだろうと思う。 この水底の丸い凹みもたぶんそうなのだろう。 中野区に入るとこのパターンが多かった。

Imgp0469 実はこの散歩をしたのは日本シリーズでロッテ千葉マリーンズが優勝した翌日。 神田川のほとりにはロッテの本社があり、横断幕だけがひっそりと掲げてあった。 こじんまりしすぎてて地区大会で優勝した学校の垂れ幕とあまり差はないように思った。やはり本拠地は幕張かな。

Imgp0487と、目の前に流量計測器がありそこで道は離れている。 右手は営団地下鉄の車両基地。 ここでちょっとだけ川を離れて歩く。

Imgp0495_2 ここまでくるとようやく善福寺川との合流点。 今回の神田川散歩の最初のゴールである。水量はほぼ同じ。 吉祥寺からの長い旅が一段落。

Imgp0511 神田川の水量はここで増えたが、川幅は変わらない。 ちょっと水深が深くなっただけで、ちょっと見には増えたような気がしないから不思議である。

Imgp0529 へんてこなデザインのビルは、中野富士見町の駅。 ここから下流はまだ予定していないが、この次はまず善福寺川を詰めていこうかな。

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2010年12月 9日 (木)

神田川を下るのこと -中野区に入った-

Imgp0416 環七を過ぎると遠くに高層ビルが見えてくる。 初台のオペラタワーである。 この界隈は昭和の建物が多く、なんとなく懐かしい感じがする。 かぐや姫の『神田川』はもっと下流の早稲田辺りらしいが、ここもそれに似た雰囲気がある。

Imgp0418 この辺りにはオナガガモが多い。 大体はカルガモなのがこの流域だが、今年はオナガが多い年なのだろうか?

Imgp0436 オナガガモと一緒に泳ぐのはキンクロハジロの雌。 昨今は水がきれいなので水鳥も多いが、神田川時代は悪臭漂う川でとても鳥たちの棲めた環境ではなかったらしい。

Imgp0442 しかし当時でもこの生命力繁殖力の旺盛なアカメガシワなら同じように生えていたかもしれない。 このコンクリートの継ぎ目に根を張って樹木として伸びる力強さは憎憎しいくらいだ。

Imgp0448 そうこうしているうちに、いつの間にか中野区に入った。 こういう境は楽しいものだが、この表示板はいただけないなあ。 なんかセンスがまったくない気がする。 自治体もこういうところにはこだわってオリジナリティを出すべきでしょう。 お金は使わなくて良いから、頭を使ってよ・・・って感じ。

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2010年12月 8日 (水)

神田川を下るのこと -環七に地下貯水池-

Imgp0398 環七に出てみると見覚えのある道路標示板があった。 神田川・環状七号線地下調整池(神田川取水施設)の表示板を何度も見ながら環七を走っていたが、ここにこれだけの設備が埋まっているとは想像していなかった。

Imgp0401 環七の道路の地下40mに直径12.5m、長さ4.5kmの巨大な土管が埋まっていて、洪水時の神田川の水を一旦貯めているのだ。

Imgp0406 断面図はこんな感じ。 先日書いたあの水門から水が地下深くに落ちていき、一旦溜まる仕組みになっている。後になってこの水をポンプでくみ上げ、処理をして再び神田川に戻すのだ。

Imgp0412上の図のポンプでくみ上げる丸い部分がこの写真の建物。 ちょうど環七の方南橋のそばにある。 都会の川は浸み込む土壌がないのですぐに溢れるが、ここでそういう調整をしているのである。 便利な都会に住んでいて気づかないうちに安全を享受しているのはありがたいことで、200年に1度の洪水に備えるスーパー堤防と違ってずっと実用になっているようにも感じられた。

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2010年12月 7日 (火)

堂所山と景信山のこと (第3編)

Imgp0204 [12:00] 標高727mの景信山山頂に到着。 東京方面の関東平野の眺望がすばらしい。 が、しかし、後ろを振り返るとまるで渋谷ハチ公前のような賑わいだった。 もう笑うしかなかった。

Imgp0207 上の写真はそれでも空いているほうの売店前。 裏側の高尾からの稜線につながるほうの広場は密度がこの倍以上。 そっちは富士山が見えるからなのだろうが、山頂はまるでデパートのバーゲン会場みたいだ。 得さんを見失った。 10分くらい人ごみを探したら、売店の前でなめこ汁を買って昼食を取っていた。 ごちそうさまと私もいただく。

Imgp0216[12:30]  ところが一旦メインルートを外れて小仏側へ降りていくととたんに人はまばらになった。山頂から下ること、10分ほどで右へ下りる道と分岐。 右へ行くと小仏のバス停に行くが、今回はまっすぐ尾根を進んで小下沢に戻る。

Imgp0231 このルートは傾斜がかなりきついので上りには取りたくない。 道も細く斜面も急なので、足元に気をつけながら下りる。 途中からさらに傾斜がきつくなり、Wステッキを多用してのくだり。 ステッキがなかったらたぶんひどいことになっていたと思う。

Imgp0238[12:50]  ただし周りには豊富な広葉樹がきれいな紅葉を見せてくれた。 大ケヤキのところで上りの登山客とすれ違う。 ベテラン風だが大汗をかいていた。

Imgp0252 [13:10] 峪を降りていくにつれて沢音が聞こえてきた。 沢の音を聴いて俄然元気になるのがおかしかった。 釣り人の性質(サガ)である。 沢の水で顔を洗うと気持ちがいい。 生き返った気分だ。

Imgp0264 [13:30] 小下沢に合流。 ここからは朝来た林道を下りる。 道程5時間、歩数は20000歩程度なので、10km余りだろうか。 それでもメタボにはかなり応えた。足取りは昭文社の大和高原地図『高尾・陣馬』の時間とほぼ同じだから平均的な速度だったが、ちょっと鍛えなおさなきゃいかんなと思う。

<終わり>

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2010年12月 6日 (月)

堂所山と景信山のこと (第2編)

[10:15] 登山道に出るとまもなく急な登り。 ここで自分の体重と重力と筋力が完全にアンバランスなのを痛感。

Imgp0116 毎週山行をしている得さんにはすぐにおいてけぼりを食らってしまう。 でも稜線から望む遠い町並みや山並みがきれいで、立ち止まっても得した気分。 道の北側はコナラを中心とした広葉樹、南側はうっそうとした杉植林地。

Imgp0135 空を見上げると半ば落葉したコナラが毛細血管のように枝を伸ばしているのに生命を感じられる。 葉が落ちている分風通しもよく吹き出す汗を乾かしてくれる。

Imgp0147 [10:50] 登山道が南へ曲がると右手に富士山が見え隠れする。 なかなか樹林が切れなくて撮影を許さない。 それでも堂所山の少し手前のピークで視界が開けた。奈良子峠の稜線の向こうに白い羽衣の姿。 誰もが立ち止まってしばし見とれる。

Imgp0151 [10:55] 堂所山(783m)のピークにはベンチが二つある。 先客はひとり。 溢れる汗を拭いて、早めの昼食におにぎりをほおばる。

Imgp0150 ものの数分もすると次々に景信のほうから登山客がやってきた。 「10分で20人以上とすれ違いました」というが、こちらから景信山へ歩く人は少ない。 山頂を離れて歩いていくと、案の定その倍のペースで登山客とすれ違う。 「こんにちわ」の挨拶が面倒になるくらいだ。

Imgp0158 山頂下で陣場山からの道と合流。 こっちがメジャールートである。ここから俄然登山客が増える。 景信山までは約1時間の道程。ところどころの小ピークには巻き道が付いていて楽ができる。

Imgp0182_2 [11:30] 視界はあまりよくないものの気持ちのいいよく踏み固められた道が景信山まで続いている。 景信山への最後の坂道がしんどいが、いい運動だ。 <続く>

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2010年12月 5日 (日)

堂所山と景信山のこと (第1編)

今日は釣り仲間の得さんと山行。 八王子の堂所山と景信山を回って戻るコース。

Imgp0012 [8:20] 木下沢というのが林道の名前だが沢の名前は小下沢。 来週が高尾山天狗トレイルの大会なので猛者が山道を駆け上るのを何度も見かけた。

Imgp002730分ほど歩くと林道のゲートがある。 この辺りは国有林で特別な利権を持つ人しか車では入れないらしい。

Imgp0045 山の紅葉は終わりに近づいているがコナラの黄葉はまだ続いていた。 [8:50] 上記特別利権の関係の小屋ちかくで休憩し、さらに林道を登る。 山道と違って傾斜が緩やかで歩きやすい。

Imgp0054 途中現皇太子の誕生記念の植林の碑がある。 なかなか豪華だ。 御陵も近いのでこういうものもある。

Imgp0066_2 様々な落葉が道に広がっていて楽しい。 頭上を見上げると多くの広葉樹はほとんど枝だけになっていた。

Imgp0069  小下沢の滝、2段になっていてなかなか美しい。 この季節の沢沿いはどうしても日陰になるので光量不足で色が出ないのが残念。

Imgp0099 [10:00] 約2時間弱で関場峠に到着。 ここで一休み。 よく見ると頭上にも案内板が見える。 ちょっと尾根筋に出てみたら、そこはきれいな尾根道になっていた。

Imgp0108 さあ、ここからは登山道だ。 メタボに鞭を打って進もう。(標高550m)

<続く>

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2010年12月 3日 (金)

神田川を下るのこと -なんだこれ?-

Imgp0359 さてさてきれいに工事された護岸の道を歩いていくと、ちょっとビオトープらしき景色に出会った。 その向こうには川に下りられそうな階段もある。 しかしこの階段には頑丈な囲いがあって、川に接することはできないのだった。

Imgp0364 もうすぐ環七に近いなと思っていたら、川を写しているカメラがあった。 これは流量を計測している設備で、ソーラーパネルが付いていて、よくある公園の街灯のようだ。

Imgp0367 さらに少し行くとなんかへんな穴と鉄格子がある。 なんだか異様な雰囲気がする。 ここに入ったら二度と出てこれないような奥深い感じ・・・・。

Imgp0378 実は環七地下の調整池につながる導水口なのである。 大雨で増水すると、ここから地下の貯水池に水がドドドッと落ちていくわけで、想像しただけで凄そう。 これについては次回もっと掘り下げてみよう。

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2010年12月 1日 (水)

神田川を下るのこと -河川工事-

Imgp0341 和泉の辺りで河川工事をやっていた。 ちょっと驚いたのは、1mあたりの護岸工事コストが360万円ということ。100m工事すれば3億6000万、1kmだと36億、なんだかとてつもなく高いように思う。10mの護岸工事の費用でたいした家屋1軒が建ってしまう。 しかし問題はこの河川工事を定期的に繰り返していることだ。 一気にやってしまえばそれだけ環境改善もしっかりできるだろうに、ところが毎年潤うことを続けていく必要がある一部の人々がいるのだろう。その辺が見え隠れする。

Imgp0336 この古い護岸は昭和40年代のものだろう。 西暦で言うと1970年頃かな。 40年ほどしか持たない(持たせない)わけだ。やっぱり税金の無駄遣いのにおいがする。

Imgp0344 護岸工事の終わった区間。 きれいだが、ビオトープもないし何の変化も感じられない。80年に1回の工事にしてビオトープを作って、自然を多少なりとも戻してはどうなのかと思う。

Imgp0349 護岸にはまた新しい黒大理石の工事標が埋め込んである。 無言・・・・

Imgp0355 おまけに何のためか一部区間だけこんなアクリル板がついている。 ほんの数十mだけなのですこぶる違和感がある。 やっていることがちぐはぐで統一感もなければ、意味もわからない。 歩きながら考え込んでしまった。

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