烏山川暗渠上流を歩くのこと (1)
最近の散歩で12月に購入したPENTAXのK-xというカメラを持ち歩いているのだが、どうしてもこれまで使っていた4世代前のK100Dよりも画像が悪い。 色々試してみたのだが、200分の1秒でも絵が微妙にブレている。 最終的に不具合と結論するしかないので、正月開けに初期不良として修理に出すつもりだ。 やっぱりカメラは精密機械なんだなあと納得。
さて今回は地元の千歳船橋からスタート。 小田急をくぐった北側100mにある二本橋から。 上記不具合があるので、オートブラケットで3枚撮り、1枚目を捨てる(1枚目がほぼ100%ブレる)という苦肉の策。
二本橋の名前の由来はわからない。 が、こうして欄干が残っていたり、モニュメントとして作られているとホッとするのは暗渠ウォーカーの特徴。
遊歩道は暗渠の上に土を入れて、その上に植樹をしているので、樹のほうから言わせると根を伸ばそうと思ってもすぐにコンクリートに突き当たってしまい、こうして横に広く根を張るしかなくなってしまう。 これは樹種に関係なく概ねそういうことになってしまっているようだ。
遊歩道は森繁通りの看板に出くわす。 これは今年から名づけられた新しい通り名。 森繁久彌の一周忌を記念して公式に命名された。
森繁通りの公園に災害時用の井戸ポンプがある。 このタイプは世田谷のあちこちの公園で見られるタイプで、ほかでは取っ手が付いていないのだが、ここは本当に井戸を使っているのか常時流せるようになっている。ためしに流してみたら水が豊富に出てきた。
千歳丘高校のグラウンドの外周にビオトープっぽく作られた遊歩道がある。 周辺の人々が昔の田園地帯だった頃をイメージして保全している。 本当は遊歩道上に作ったほうが良いような気がするが、自治体としてはそこまでは予算が付かないのだろう。
まもなく希望丘団地内にはいるとどこが水路跡なのかわからなくなる。 それでも前後の道の付き方からこの左の花壇あたりがそうだったのだろうと推測できる。
団地内の道路に本村橋という欄干があり、この下を歩道トンネルが通っている。 この団地は1962年頃に建設された。 日本最初の大型団地であるひばりが丘団地が1959年だからそのすぐ後の大型プロジェクトだったらしい。しかし今では人口も減少気味、というのが当時団地に入った世代が老齢化していて世帯平均が2.0を切っているから。 都内の団地はどこもそんな感じだろうが、そのためか休日の公園も閑散としていて子供の声すら聞こえない。う~ん、考えさせられる。
本来なら賑わっているはずの噴水前も誰もいない。 ただ近所の子供たちの描いた大きな絵だけが異彩を放っている。
緑道は清掃工場の通りに出た。 ここで本来の川は支流と本流に分かれる。この梶山橋を経ていくのが支流で蘆花公園から烏山の寺町に源を発する。 一方本流はこの道路を横切り八幡山方面から流れてきていた。
道路を渡ると「水辺の散歩道」という路地になっている。 夏場はゴミ処理場のろ過排水を流しているのだろう。 子供も遊んでいる。
左の看板でいうペット類というのは何を想定しているのだろう? 蛇とかワニとかじゃないかと思う。そういうものを想定していなければ『類』とは書かず、ペットを入れないでとだけ書くだろう。 それにオムツをしたままでという右の看板にも??? どうみても神経質なクレーマーの苦情を受けて立てたとしか思えない。 こういう看板には非常識なものが少なくないので面白い。
そしてここにも井戸がある。 古いタイプの井戸で愛着がある。 子供が親に「これなあに?」と聞いてわれわれ世代(昭和30年代)までは応えられるが、最近の親御さんは堂なんだろう。 アンケートをとってみたい。
<続く>
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