烏山川暗渠上流を歩くのこと (2)
子供の水遊び場を過ぎると緑道は急に狭くなる。 すぐに石組みの説明板が現れた。 八幡山遺跡とある。 この水流の周辺には沢山の遺跡があったそうだ。 普通は遺跡が出ると建設はストップするのだが、東京の急激な発展のために犠牲にされてしまったものも多いのだろう。ちょうどこの流れの左岸(東側)には縄文時代の集落跡や江戸時代の炭焼釜の跡が出てきたそうだ。そのあたりは現在、明治大学の八幡山グラウンドになっているので、それを掘り返すと出てくるのだろう。 説明板を読んでいて数百年から数千年の昔にタイムスリップするような感じがした。
間もなく緑道は環八に接近する。 サイゼリアの裏を暗渠は通っている。 環八の反対側からの支流がこの近辺で合流していたはずだが場所の特定はできなかった。 環八の西側は蘆花公園である。
蘆花公園前の交差点にあるのが道草橋の欄干。 ここから上流は水流はないが、川は開渠になっていた・・・はず。
という記憶がこの姿を見てガラガラと崩れ去った。 川が埋め立てられている。 確かにゴミが投げ捨てられた無残な水無川の姿だったが、埋め立てられているとは・・・。
大掛かりな浄化槽のような機械が埋められている。 よく見てみると泥溜桝(ドロダメマス)とマジックで書いてある。泥溜桝とは泥だけを溜めて水は流すという機械らしい。
雨水をいったん溜めて泥と分離して流すようなことをするのではないだろうか。 この工事だけで約4千万と書いてある。 思ったより安いかな。 この上に新しく歩道を作ることも含めるとそんな感じがした。
環八沿いの給水塔がある辺りで暗渠はまた二つに分かれているようだ。 1本は環八の向こう側から来ていて、もう一本は写真の都営八幡山アパートの裏手を流れていて、少し南側で合流していた可能性が高い。 こういう古い団地にはよく給水塔があるが、この団地は1961年に出来た。前述の希望丘団地よりもわずかに古い。
団地裏の暗渠はすぐに視認できる。 民地との境がクネクネしているからだ。それにマンホールも多い。 この暗渠は、かつて放火で話題になったドンキホーテの裏手から流れてきている。
ここはドンキホーテの裏にある公園の脇。 水路は埋め立てられている。 以前は開渠だったのを覚えているが、いつの間に埋め立てられたのだろう。 もったいないので犬の散歩コースにでもすればいいと思うのだが・・・。
京王線にぶち当たったところでこの開渠跡は途絶える。 ところがその最後に意味深いものがあった。
朽ちた無名の稲荷さんである。 囲いがしてあって誰かが管理している様子はあったが、かなり荒れていた。 神様はもっと大切にするべきだろうと思うが、さてこの稲荷様はこれからどうなってしまうのだろうか。 暗渠の最後にたどり着いたなんとも歯切れの悪い感触がいつまでも消えなかった。
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