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2011年1月17日 (月)

春の小川を歩くのこと (2)

Imgp2418 宇田川から河骨川へ入ると路地は急に狭くなる。 暗渠らしくきちんとした車止めが設置されているので、すぐにこれが正しいルートだと分かる。

Imgp2421 このカラフルな万年塀は右が暗渠のルート。 大体がマンホールの多さで判別できる。 ここも車止めが複数設置されている。

Imgp2430 代々木八幡駅のホームの新宿側の踏み切りの道を過ぎると線路が見えてくる。

Imgp2440 河骨川は小田急線の側道になってまだまだ続く。 この線路側の塀もだんだん少なくなってきたタイプ。 進行方向には新宿の高層ビル群が見えてくる。

Imgp2442 やがて昔の護岸らしき石組みが現れる。 こういうのを発見するのがなかなか楽しいのである。そして各民家はすべてといっていいほどこちら側が裏口になっている。

Imgp2445 右手に公園が見えてくるが、これが春の小川コミュニティパークという公園。 まずは写真の色あせた春の小川を守る会の看板が出現する。

Imgp2447 そして黒御影石の立派な石碑。 大正元年に高野辰之がこの場所にあった河骨川の小川のほとりを散策して作詞したとある。

Imgp2452 歌碑の説明板もあった。 コウホネとはスイレン科の草で水中の地下茎が水面に葉を敷き詰めるように広がり、夏に黄色い花を咲かせる植物。 目を閉じると明治大正時代の風景が浮かんでくる。

Imgp2453 その歌碑の後ろを小田急線が走る。 しかし小田急線新宿駅から参宮橋、代々木八幡駅の開業は昭和2年だから実際には当時鉄道はない。 おそらくのどかな水辺だったのだろう。

Imgp2472 歌碑を後に歩いていくと暗渠に富士重工のラビットが置いてあった。 すこぶる程度のいいスクーターに驚いた。 幼少の昭和30年代、亡父のラビットのタンデムシートにのっていろんなところへ出かけたものだ。家にあったのは3段ギアの付いたモデルだった。

Imgp2479 間もなくするとやっとこさ痕跡を残した護岸を見つけた。 この先200mほどで参宮橋のホームに届くあたりである。

Imgp2496 線路から離れた暗渠は突然広い西参道の通りに出て消える。 ちょうど代々木五丁目のバス停前だ。 ここからは書物を手がかりに進む。

Imgp2499 首都高速道路の代々木ランプの前、この足元を流れていたようだ。 でもこの先は上り坂になっている。 どこかで左側に折れているはず。

Imgp2502 救いだったのは電柱に春の小川の表示があったこと。 ここを左側から流れていたように記されている。

Imgp2505 と、矢印のほうを見るとマンション脇の駐車スペース。 だがこの車とマンションの間の1mくらいのところを流れていただろうという推定は十分に可能だった。 しかしその後ろは線路である。 でも思い起こせば、河骨川は線路が出来る前からここに流れていたわけで、線路を横切っていてもなんら不思議はないのである。

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