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2011年11月26日 (土)

新宿十二社のこと

20日の日曜日の散歩は新宿界隈だった。毎日働きに行っている街だが休日はまた違った顔があって楽しめるから面白い。今回は参宮橋駅で降りて北参道を北上し新宿十二社(じゅうにそう)を散歩。それはどこだ?というと初台と新宿の間、西口の中央公園の西側にあたる地域で、以前は角筈(つのはず)と呼ばれた。公園から東の高層ビルエリアの旧名は淀橋で、ヨドバシカメラの由来でもある。

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西参道が甲州街道を渡ると十二社通りと名を変える。ここまでは渋谷区である。この北側に環七から直線で水道道路が通っていてその北側が窪地になっている。今の街区で言うと西新宿4丁目にあたる地域だ。ここにはかつて大池があった。周囲には料亭や芸者街が立ち並ぶ十二社花街として賑わっていた。実際に歩いてみると土地の記憶を読み取ることができる。

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中層マンションの裏手にいかにも料亭っぽい家屋があった。灯篭や信楽焼の狸の置物が玄関にあって風情をかもし出していたので撮影したが、あとで調べたらかつて一松という料亭であったことがわかった。

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そこから少し北上するとこのあたりで一番有名な福助という蕎麦屋がある。この蕎麦屋の脇、マンションとの隙間に銀杏の巨木が残っている。かつてはこの蕎麦屋の裏側までが大池で、小船を浮かべた江戸っ子達が芸者と釣りを楽しんだりしていたという。

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古い旅館が残っていた。一直旅館といって観光旅館だけでなくビジネスユースでも使われているらしい。池の西側にあったためか坂の途中に位置している。この辺りの路地ではいまでも三世代同居があるようで、おばあさんが孫を遊ばせていたりして、往年の雰囲気を残していたのが嬉しかった。

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写真はかつての角筈村の風景で、熊野神社の境内にあったもの。これが江戸時代の新宿の風景。室町時代に鈴木九郎という有力者が紀州和歌山から熊野権現を移し祭ったといわれていて江戸時代は新宿地域の総鎮守だったようだ。

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神社にはいくつも祠があり、狛犬と狐様が並んでいたり鯉塚と弁天があったりする。何となく神様のデパートみたいだと思ったのはバチ当たりだろうか。鳥居の前からは神社の後方に高層ビルが並んでいたりして、時代が折り重なっているような錯覚に捕らわれる。なかなか楽しい神社だった。

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