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2011年12月17日 (土)

空川探索のこと (1)

かつて東京には数多の川が流れていた。目黒川や渋谷川は台地を削り谷を作った。渋谷はまさにその名残りだが、渋谷周辺には多くの川の痕跡がある。空川もそのひとつで、目黒川の支流にあたる。現認可能な水源は2箇所ある。ひとつは井の頭線駒場東大前の南西にある駒場野公園、もうひとつが東大駒場校舎の敷地内にある一二郎池だ。

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地図上の①が駒場野公園で源流は試験田圃の奥にある池。旧駒場農学校の実習田だったが、今は筑波大付属駒場中高校の教育水田として生徒が実習に使っている。説明板にはケルネル田圃とあった。明治の初期に科学的な農業アプローチをするのに、北海道大学はアメリカ人のクラーク博士で有名だが、ここ駒場農学校はドイツ人のケルネルが教えた実験田だとある。

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源流の池は上の写真のように決して広くないが今でも水を湛えているということは水源がまだ生きていると思っていいのだろう。

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公園への道がこの水流をまたぐのが蛍橋。実は夏になると蛍が見られるらしい。戦後まで自然発生していたが、今では保護の会の尽力によって復活しつつあるらしい。そして蛍橋の下流には実験田が広がっているが、渋谷から徒歩圏内に田圃があるなんて想像できないだろう。

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ちょうど生徒らしき人影が田圃の昆虫を採取しているようだった(もしかしたらもぐりこんだ子供かもしれないが)。

田圃から井の頭線の踏切を渡って東大駒場校舎へ向かう。妙に人が多いのは何故だろうと思ったら、駒場祭の日だった。

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すれ違う学生たちは垢抜けなさを感じさせるものの知的でいかにも頭がよさそうな会話をしていた。しかし目的は学園祭ではないので、キャンパスの東の端に向かって歩く。だんだん人もいなくなってきて、駒場池(一二郎池)に着いた。上記地図では②の場所である。

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一二郎池はかなりの水量を湛えていた。10万年余り前は東京は完全に海面下にあったが、川からの土砂が溜まり台地になっていった。当然ながら富士や浅間の噴火による溶岩や火山灰の堆積があったものと思われる。それが関東ローム層の成り立ちだが、川の流れはその台地を削っていった。この池はその痕跡なのだが、東大生の何割がそれを知っているだろうか。

<続く>

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