空川探索のこと (2)
東大駒場を出て井の頭線をくぐり空川の合流点へ向かう。おおよその水線の痕跡は想像できるが、明確な跡は残っていない。井の頭線の南側で駒場野池から流れてきた支流と合流する場所があり、そこは道路の付き方から推定が可能だった。
写真の路地奥にその形跡がある。一二郎池からの支流と駒場野池からの支流が路地の突き当たりで合流していたのだ。ここから淡島通りの松見坂下まではほんの数分の距離。
坂の上が淡島通りと山手通りの交差点で、坂の右側が元は川の流れ、ただし今は通りを潜るトンネルになっている。ブラタモリで「鷹狩り」をやっていたが、徳川将軍が鷹狩りに来てこの辺りで橋を渡り、右に行くと駒場野の鷹狩り場、左へ行くと別の鷹狩り場だったらしい。
トンネルを潜り交差点下を見ると松見坂地蔵尊がある。この地蔵は300年ほど昔、江戸中期に建立された。その脇にはかつての橋の親柱が残っていた。
後方右側の欄干の親柱跡には「とおとふみはし」と彫られている。ここは江戸以前は滝坂道と呼ばれ府中方面への道があった。実は私の自宅近くをこの街道は走っていたので、聞き覚えがあり親近感を覚えた。
この空川沿いにはこんなすごい階段があったりする。こういう階段もまた土地の記憶のひとつなのだ。空川はまもなく山手通に吸収されてしまうので、今回はここまで。松見坂交差点には写真の御影石のきれいな石碑が作られている。
松見坂の由来はこの上(渋谷道玄坂上)に松の木があり、盗賊(追い剥ぎ)がその松に登り歩いてくる旅人を確認、手下に旅人を襲わせて身包み剥ぎ取った場所だったことからそう呼ばれるようになったと伝えられるが、今でも路地裏ではカツアゲというプチ盗賊が現れることがある。昔から渋谷は物騒な場所だったのかもしれない。
<おわり>
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