渋谷川沿いのヘンなものたちのこと
イモリ川を下り、渋谷川に出た後は天現寺方面に向かった。私は長州人なのだが、父親は若い時代を天現寺で過ごし、子供たちは都立広尾病院で生まれた。なのでこの辺りは自分に深いかかわりのあるエリアだが、最近は滅多に訪れなくなった。今回も久しぶりで、明治通り沿いの変貌にはいささか驚いた。
広尾病院は広く樹木も多いので、この辺りの渋谷川には落ち葉が流れている。三面護岸なのが残念だが都会の小河川なので致し方ない。
天現寺橋では上の写真手前から流れてくる渋谷川本流に左から注ぐ土管がある。これが笄(コウガイ)川。源流は外苑前、根津美術館、青山霊園あたりになる。この支流は後日散策したい川跡だ。
天現寺橋から広尾を望むとちょっと汚れているが天現寺橋の欄干がある。後ろ側が慶応の幼稚舎。渋谷川の名前はこれより下流で古川と名を変える。
東京都は水を売っているだけあって水関係にはかなりの予算を使っている。清流を復活させようという事業があちこちに見られるのだが、この渋谷川もそのひとつ。水は結構きれいだ。三面護岸でなくビオトープを作ってくれたら言うことはないのだが、そこまでは予算が付かないのだろう。
首都高速目黒線の天現寺出口の脇を流れる古川。その護岸上に看板がある。この看板のあるところは誰も立ち入ることができない場所なのだが、いったい何の看板なのだろうと気になった。
川をきれいにしましょう・・・とある。しかしこの看板、肉眼では読めなかった。望遠でようやく読み取ることができたくらいだ。あたりを調べてみたが、なぜここにこの看板があるのかがどうしてもわからなかった。唯一、護岸の縁を金網につかまってへつって行くと見えるのだが、そんな奴はおるまい。
次に出くわしたヘンなものはこの表示板。「ここには住めません」とある。こんなところに住む奴などいない。ホームレスでももう少し回りに植え込みでもあって、邪魔にならないところを選ぶだろう。
四ノ橋の脇で路上に見慣れないものを見つけた。ヘラジカの剥製の首か。延べ3体が空を仰いでいる。手前のやつが一番鼻息が荒そうだった。渋谷川(古川)沿いは面白いものが多い。
古川橋の手前、高速道路下に軒を連ねるのはほとんどがパーツ屋さん。あちこちにこの風景はあるが、もともと恵比寿周辺は家内製工業が盛んだった。大崎、五反田の大工場の下請け会社が五万とあり、近代の東京の工業文化を支えていたのだ。すぐ後ろはハイセンスな白金だが、なんとなく大正昭和の香りのする景色にほっとした。
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