« 2013年9月 | トップページ | 2013年12月 »

2013年10月20日 (日)

樹木と日本人

日本人は植物が大好きな人種です。自然を支配することによって世界観を広げてきた西洋に比べ比較的柔軟な東洋、その中でも自然の中に自分を溶け込ませることで究極の価値観を磨きこんだ日本人の自然との関り方は、いずれ地球を救うだろうと私は思っています。

Dscf0086_r

外堀公園にはいくつか柵を飲み込んだ樹木があります。ソメイヨシノも成長が早いので人工物と交差しますが、スズカケノキ(プラタナス)も同様です。

Dscf0089_r

こちらはまるで柵に掴まるような仕草に見えてきます。科学的には樹木にとって決して良いわけではなく、槍が刺さったまま歩いている人間のようなものです。しかし日本人はこれを自然の力の象徴として崇める場合があります。樹木を切るか、柵を除去するか、日本人は柵を除去するほうを選ぶでしょう。

Dscf0088_r

こちらの樹木は右側方向に傾いて伸びています。日本の造園の素晴らしいところは、この樹木を邪魔者にせず、左側に迂回路を作る点です。合理性を優先すれば樹木を植えかえるか、伐採してしまうほうがコストの面でも優位なのですが、残すという選択肢を取る日本人のやり方を私は素晴らしいと感じます。

サブカルチャーやサービス業で独自の価値を世界に提供している日本ですが、訪れてくれた外国人がそういう日本の心に触れてくれればうれしいですね。

| | コメント (0)

2013年10月19日 (土)

為政者

虎ノ門から西新橋、飯田橋から四ツ谷を散歩しました。江戸城の外堀の一部です。虎ノ門には昭和時代に日本一の高層ビルだった霞ヶ関ビルがあります。今となってはビル群に埋もれてしまった感がありますが、歴史上は重要な場所でした。

Dscf0018_r

写真は江戸時代の虎ノ門です。枡形門といって、コの字型を向かい合わせにした構造の2重門で、外側を狭く内側を広く作ってあります。攻め込まれたときに内側から圧倒的多数の兵を供給でき、さらに上からも攻撃できる点で、優れた戦略的設備だったと言えます。

Dscf0023_r

外堀通りを渡って三井住友銀行の前には櫓の角の石垣が残っています。ちょうど虎ノ門と溜池の間の外堀の角になります。その背景には昭和の雄、霞ヶ関ビルが建っています。となりの合同庁舎と存在感は変わらなくなっていますが。

この周辺には沢山の遺構が残っていて興味は尽きませんが、天気も下り坂なので新橋方面へ向かい都営線で水道橋、そしてJRで飯田橋へ向かいました。

Dscf0050_r

飯田橋駅を西口から出ると目の前にこんな櫓跡があります。牛込橋の外堀から向かって右側の遺構です。左側(駅側)の遺構は現在工事中でした。ここから外堀の内側を四ツ谷まで散歩したのですが、堀の水面までの標高差は20m以上あります。この土塁と外堀の間を現在は総武線・中央線が走っているわけですが、これだけの土木工事を人力だけで行った徳川の知力能力は凄いものがあります。

こういう工事を絶えず行うのには地方大名の協力が基本財源なのですが、それは一方で江戸に常に公共工事を作って市民が潤うという循環でもあったのです。不満が出ない程度に地方大名から搾取し、生活に対して市民が文句を言わない程度に経済を潤わせ300年近い平和な時代を築き上げた幕府のレベルは極めて高かったのでしょう。

下の写真は四ッ谷駅前の四ツ谷見附門の跡です。この外堀を掘ったとてつもない量の土は、江戸城の東側の江戸の町を埋め立てて広げるのに使われたようです。家康が江戸に築城した頃は皇居前が入り江の波打ち際、日比谷公園はまさに入り江で、銀座辺りが洲のような地形でしたから、今の東京の地形をも人力によって作り上げたわけです。

Dscf0091_r
振り返って今の政治を見ると、市民から搾取して、企業が内部留保するのを助長している感があり、与野党含めて政治能力のある政治家がいなくなったとしか思えません。

プラスとマイナスがいろいろあっても国民にとって最後がプラスならば政治は上手くいっていると言えると思います。いいことばかり見せかけておいて、最後はマイナスになると言う、JAROから違反を言い渡されるような政治手法が目立ちます。どうしようもないですね。

| | コメント (0)

2013年10月15日 (火)

台風報道

地球温暖化が問題になって久しいが、確かに自分が子供の頃とは気候も違ってきている感じがする。温帯だった関東地方が、かつての西日本九州のような気候になっているのである。ミズナラやブナはちょっと危なげなのが南関東の山林。平地ではクマゼミも鳴く。

今年は台風が山手線のように次から次へとやってくるように見える。すでに26号だ。しかし気象庁統計上の平均台風発生個数は25.6個、接近数は11.4個、上陸数は2.7個だから、今年だけが多いと言うわけでもなさそうである。

10年に一度の大きな台風と叫ぶのはちょっと大げさで、過去の大型台風は上陸時の中心気圧が940hPaを切っているから、正確に言うと今年もっとも大きい台風と言うべきだろう。(室戸台風は911hPa)

用心するに越したことはないが、マスコミは大げさに騒ぎすぎる。淡々と客観的な情報を流してもらいたい。昔はそうではなかったのだが、今は東スポみたいな民放も増えている。いや、東スポさんは一本筋が通っているが、一部民放にはそれも無いから、ただの野次馬に成り下がっている。

台風の報道ですらしらけてしまうTVには、もう一度奮起してもらわねば困るのだが。

310261aut026

| | コメント (0)

2013年10月12日 (土)

新宿内藤町散歩

今日はメタボ対策散歩。新宿駅を中心に都会の喧騒を離れるコースを歩いた。スタートはJR南口。甲州街道の南側の人工地盤の新駅舎は骨組みがほぼ出来上がっていた。街の変化は速い。

Dscn2379_r
休日になると心なしか都会の空も澄んでいるような気がする。新宿は江戸時代は西の外れで江戸の外だったが、今では東京の中心のような存在感を持つ街に発展した。喧騒と言うよりも、騒音のデパート。

Dscn2383_r

新宿高校の手前に雷電稲荷がある。歴史上の力士雷電とは関係ない。800年前からの氏神で雷様信仰の神社らしいが、花園神社に合祀された話などもある。ちょうどここは玉川上水の流れていた場所なので、水害を収めるために建てられたのだろうと勝手に想像した。江戸時代は新宿という小さな宿場町の南側の田園地帯だったはずだから。

Dscn2387_r
新宿高校の頑丈な塀の内側には、かつての玉川上水の水道跡(岩を削って水路にした水道管)や橋の欄干が残されているが、一般人は塀の隙間から覗くだけ。その前には国道20号日本橋から8kmの道標。東京は電車で動くので距離感を失うが、歩けば2時間で東京駅にいけるというわけである。

Dscn2393_r
新宿御苑脇に出来た新宿御苑散策路は木陰が気持ちいい。かつての玉川上水を再現したと言う水路がついているが、かつての玉川上水は牛馬も流されるほどの川だったので、気持ちだけ感がある。太宰治も玉川上水に入水自殺したくらいなのだ。

Dscn2403_r
季節はちょうど銀杏の落ちる時節なので、気持ちのいい散策路だがいささか臭い。老夫婦が銀杏を拾っている。ホームレスと思しき男性がスダジイのどんぐりを拾い集めている。都心の里山の役割もありそうだ。水路の中には沢山の銀杏とシイの実が落ちているが、道には差ほどでもないので相当拾われているか、掃き捨てられたか。

大木戸門の前の区民センターには水道局が入っているが、ここにはいくつかの玉川上水の碑がある。それを眺めてから、かつて新宿御苑全体が御屋敷だった内藤家のエリアに踏み込む。多武峰内藤神社(とうのみねないとうじんじゃ)に御参りする。社務所の宮司さんと挨拶を交わして社殿へ向かった。

Dscn2415_r
御苑全体以上の屋敷を内藤家が得たのは徳川家からの褒美だった。家康から「その自慢の駿馬で一息に回れるだけの土地を与える」と言われ、愛馬は四ツ谷、千駄ヶ谷、大久保、代々木を一息で回り、ここで息絶えて死んだ。社殿のそばには移設されたものだがこの駿馬を祭る駿馬塚(しゅんめづか)がある。

また神社脇の小さな公園の片隅に「鉛筆の碑」があり、これは明治20年にここで三菱鉛筆の前身の真崎鉛筆製造所が鉛筆を作り始めた場所とある。動力として水車を利用したのだが、玉川上水の分水として流れていた渋谷川があり、その流れを使って水車を回していた。その渋谷川の名残が今も外苑西通りの交番脇にある。

Dscn2424_r

新宿御苑の東の端からもこの渋谷川跡は見られるのだが、外苑西通りにぶつかると川は南へと流れを変える。まさにその川を埋め立てた場所に交番がある。ところが2年前には無かった欄干が出来ていたのにがっかりした。

Dscn2426_r

次の写真はちょっと角度が違うが、2年前に同じ場所で撮影したもの。季節は冬だが、石の欄干だけである。

Imgp4732
このままで良かったのに誰かが2m下の段差に落ちて、つまらん対応をしたのだろう。なんとも勿体無い話である。

Dscn2434_r
中央線総武線をくぐると明治公園、国立競技場である。なんだか自転車競技のヘルメットのような競技場に建替えようとしているが、無駄そのものだと思う。このまま補修拡張でいい。このエリアに奇を衒ったデザインの建築は似合わないし、税金の無駄遣いである。

Dscn2439_r
ホープ軒でラーメンを食べようと思ったら満席だった。いかん、ダイエットで散歩しているのにそんなこってりラーメンを食ってはいかん。踏みとどまって裏手の瑞円寺へ入る。静かな境内には誰もいなかった。なかなかいい庭だ。

Dscn2450_r
代々木方面に少し行ったところにこのあたりの鎮守、鳩森八幡がある。ここは富士塚で有名。数Mの高さだが意外と険しい。お年寄りにはきつい。あちこちに富士塚があり、富士講なる江戸時代の習慣の名残があるが、ここは東京でももっとも古い富士塚とされている。てっぺん付近のみ本物の富士山の溶岩で出来ている。

Dscn2457_r
さて今日の最後はちょっとマニアックな史跡。写真の欄干は明治時代に明治神宮と神宮外苑が繋がっていたころの馬車道の欄干である。中央線沿いに首都高速が走りその下が駐車場になっているが、それとほぼ同じ場所に馬車道があり、皇族や近衛兵が通っていた。

実は都心から明治神宮まで、天皇家の土地だけで往来できたことになる。東京が現代でも緑の都会を維持していられるのは、明治時代の皇室のおかげなのだと言うことが垣間見えるが、10年後にもあるかどうかはわからない。

Dscn2458_r
散歩も終わり代々木駅に向かって埼京線の踏切を渡る。都会の雑踏である。

| | コメント (0)

« 2013年9月 | トップページ | 2013年12月 »