« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月31日 (土)

安全寺坂と蛇坂(港区)

聖坂を下ると左手に三田中学校、その先の阿含宗の建物を左に折れると普連土学園へ上る潮見坂になる。 この坂はあっという間の坂。坂上から東京湾(江戸湊)が見える坂を潮見坂と呼ぶ。今は各地の富士見坂と同じく何も見えないが、江戸時代はここから芝浦の潮の満ち干が観察できたとある。

Dscn1520
突き当りを左に折れると普連土学園。 普連土学園の渡り廊下の下をくぐるあたりが頂上になる。 いい雰囲気の路地になっている。 その先の丁字路を右に行くと安全寺坂、左が蛇坂である。 まずは安全寺坂にまわる。

Dscn1532
江戸時代に写真の右側に安全寺があったらしい。 今あるのは長運寺。 下った桜田通りの向かいは慶応大学の三田校舎。  明治の初期は寺社だったが明治の終わりには慶應義塾になっている。 同様に普連土学園は明治のおわりには普連土女学校とあるので、どちらも歴史は長い。 桜田通りを回り込んで、ケーヨーD2の角から蛇坂に上る。

Dscn1533
蛇が出ることがあったので蛇坂とあるが、いい加減なネーミングだ。 蛇くらいどこにでも出る。 今の東京ならともかく、江戸時代ならば青大将とシマヘビが喧嘩していても珍しくもないだろう。

蛇坂を登り、再び潮見坂を下ってから三田駅に出た。 高輪は細長い台地。 縄を張ったように二本榎通りが背骨になっている。 高縄が訛って高輪となったようである。

| | コメント (0)

2015年10月29日 (木)

幽霊坂と聖坂(港区)

伊皿子坂の交差点からさらに三田方面に進む。 公衆トイレのあるY字合流の先の路地を左に下ると幽霊坂である。

Dscn1501
周りはここも寺だらけ。 寺院や墓のある坂を幽霊坂ということが多いが、ここの幽霊坂は第一級の幽霊坂である。 というのも塀が織りなす段々とその傾斜がすばらしい。 そのまま下っていくと慶応大学前の大通りに出る。

20151025_050924276_ios
大通り側の入り口は狭くて暗め。 そこに幽霊坂の道標がある。 この痛み方が最高に良い。 いったん下った幽霊坂を再び登ると、下からの眺めもまた格別だった。

20151025_050602000_ios
写真は途中まで登ったところからの絵だが、どれくらいの傾斜があるかわかると思う。 幽霊坂を挟んで6つの寺がある。 どれもいい佇まいの寺院だった。

Dscn1511
幽霊坂を登って二本榎通りに戻ると渋い赤紫色の高層ビルが目に飛び込んでくる。 三田のベルサールのある住友のビルである。 写真では出ないが、青空とのコントラストが素晴らしい。手前の駐車場あたりには最初のフランス公使館が置かれたらしい。 この辺りはそういう外交の街でもあったようだ。

Dscn1512
まもなく聖坂の下り。 お坊さんとかかわりのある名前らしい。 この道は中世からあって高野山の僧が切り開いたとか。 まあ、諸説の域を出ない。

今回はいにしえと現代の組み合わせ。 聖坂を下りきるところに面白い建造物があった。 建築家岡啓補氏が創作したビルのアートである。いきものビルとか呼ばれているが正しい名前は蟻鱒鳶ビル(ありますとんびびる)。 ここにありますという意と、シェラトン、ヒルトンなどの豪華ホテルにつく「トン」そして「ビル」を付けたという意味不明のネーミング。 夜光るという意味深な看板が隙間に見え隠れする。

Dscn1515
なんとなく時代を超越したような散歩になってしまった。 こういう発見があるから、街歩きは楽しい。

| | コメント (0)

2015年10月28日 (水)

天神坂と魚籃坂(港区)

無名の坂を楽しんだ後、そのまま三田方面に進む。 高輪とらや(羊羹)の角を曲がると天神坂の下り。 とらやは赤坂のとらやとは無関係らしいが、売っているものは似ている。 1国(国道1号線)の清正公前に向かって下る急勾配。 坂の下には傾斜15度の標識があった。

Dscn1479
1国に出るか出ないかで側道へ回り込み、路地に入る。 2,3度曲がり角を経て天神坂以上の急坂を登る。 葭見坂とものの本にはあるが、表示がない。 見落としてしまったのかもしれない。

Dscn1480
坂を登りきると巨大な都営高輪一丁目アパート。 ここの敷地内に赤穂浪士の史跡がある。 大石内蔵助をはじめとする17人が壮烈な最後を遂げた現場とある。 赤穂浪士に関する史跡は都心にいくつもあるからいささか紛らわしい。 もっともこの一帯は江戸時代には肥後熊本藩細川家の屋敷だった場所で、おそらく切腹の史実も正しいのだろう。

Dscn1489
尾根筋の二本榎通りに戻って進むと左側にこんもり茂ったとてつもなく大きな屋敷がある。 高松宮邸。 ただ徳川家との婚姻後子供に恵まれず、今はだれも住んでいない。

まもなくピーコックがある交差点。 ここから左が魚籃坂、右が伊皿子坂である。 魚籃坂の下りで遠方を望むと六本木ヒルズがビル群の上に顔を出している。 昭和50年代によくここを車で通ることがあったが、こんなにビルはなかったし、普通の商店がたくさんあったと記憶しているが、ずいぶんと変わったものだ。 もっとも昭和の中期まではこの魚籃坂~伊皿子坂を路面電車が走っていたから、先輩諸氏にはもっと変わったと言われそうだ。

Dscn1494
魚籃坂を下ってそのままターンして戻る。 反対側が伊皿子坂。 この道は泉岳寺に向かって降りていく。 傾斜は緩め。 泉岳寺には前述の赤穂浪士の墓がある。 高輪は皇室、殿様、そしてたくさんの寺院がひしめいて、歴史を深く感じさせる界隈だとつくづく思った。

| | コメント (0)

2015年10月27日 (火)

無名の坂(港区高輪1丁目26)

二本榎から三田方面に歩いていくと、気になる路地があった。 人がすれ違うことが難しいほどの狭い路地だが、かなり奥まで続いていそうだった。 坂道探訪の面白さはこういう路地にある。車はおろか自転車も入れない。そういう道は昔から続いている道だ。

Dscn1465
少し進むと崖を降りるような階段になった。 こんな路地なのにちゃんと脇道が付いていたりする。 その脇道もまた階段になっている。

Dscn1466
10m近い高低差を幅1mに満たない階段路地で降りるとそこは寺の墓地だった。 松光寺という寺のようだが、この辺りは数件の寺が敷地を接していてよくわからない。 この路地は国道1号線の手前まで続いていた。

Dscn1469
すぐ近くに今度は登る路地の階段がある。 これを登って二本榎通りに戻れそうだ。 自動販売機のある家はお弁当屋さんのよう。「ランチBOXあいちゃん」とあるが営業感はない。 どんな弁当を売っているのだろう?

この階段を登っていくと、先ほど降りた階段路地よりもちょっとだけ広い階段が続いていた。

Dscn1471
気持ちのいい路地を登っていくとまもなく二本榎通りに出ることができた。 とても楽しい道草だった。

| | コメント (0)

2015年10月26日 (月)

桂坂と洞坂(港区)

柘榴坂頂上の高輪教会からプリンスホテルを巻くように北進すると高輪警察署の交差点。警察署の向かいに素敵な火の見櫓の高輪消防署二本榎出張所がある。1933年の建築でとても美しい。 その景観を邪魔する電線と電柱が東京の街を醜くしている。

Dscn1434
この交差点を右折して消防署と警察署の間を降りていく道が桂坂である。 坂の途中にはこれまた風情のある建築物が多い。石垣に囲まれた野村證券の研修センター、東芝山口記念会館、石垣の上に黒塀の西崎緑舞踊教室など。 坂の途中の東芝山口記念館の前の路地を曲がると洞坂(ほらざか)になる。

Dscn1457
洞坂に入ると独特の細い坂の風景になる。 この感じがとてもいい。 この坂は桂坂から入るといったん高度を増し、最初の角を曲がると急傾斜で下っていく。 下りきったところが東禅寺の山門。

Dscn1442
東禅寺には1859年に最初の英国公使館が設置された。周辺は見事な傾斜地が多く、もっと他の路地も見てみたくなったが、必要以上の道草は禁物だ。

山門から少し下ると第一京浜に出る。ちょうど参道と第一京浜が出合うところに昭和らしい建物が残っている。 三徳部品という自動車部品会社の事務所のようである。 裏手にビルもあるし、各地に営業所もあるのでしばらくはこの建物を守ってくれそうだ。

Dscn1448
第一京浜を三田方面に少しだけ歩くと桂坂との交差点になる。 この交差点の角には高輪海岸の石垣石が発掘されて展示されている。まさにここが海岸であったわけだ。

Dscn1452
この辺りには東海道の遺跡がいくつかあるが、それは今回は省略して、桂坂に戻りたい。 桂坂は結構な急坂だが、今は2車線で歩道付きなのでそれほどには見えない。 それでも周辺の建物が良いので坂の風情がある。

Dscn1455
坂の上にあるのは国道1号線の明治学院前交差点にあるタワーマンション。 桂坂の高低差は第一京浜側が海抜5m、二本榎が22mなので17mある。坂自体が尾根筋に付いているので、左右が落ちている。そのためにこの坂から階段で降りる道がいくつもある。

Dscn1459
名もない階段だが、こういうのが良い。 若干波打つ仕上がりのところなどは時代感、手作り感があって微笑んでしまいそうだ。 高輪署の二本榎に上り詰めたころには少し汗ばんでいた。

<2015年10月25日 日曜日散策>

| | コメント (0)

2015年10月25日 (日)

柘榴坂(港区)

JR品川駅高輪口を出ると目の前に真っすぐな坂道が見えてくる。 これが柘榴(ざくろ)坂だ。 江戸時代以前品川駅はちょうど海岸線だった。 汽笛一声新橋を・・・の日本最初の鉄道が品川を通り横浜まで走ったが、諸事情により海の中(といっても海岸線)に鉄道を敷いた。 だから100年余り前の品川駅は波打ち際ということになる。

Dscn1425
写真はちょうどその波打ち際(品川駅高輪口)から坂を望んだものだ。 といっても明治以前の柘榴坂はもう少し左側、ちょうどマクドナルドがあるあたりから東海道と垂直に接していた。 そして坂の中腹の東武ホテルがあるあたりには大池があり、そこでクランクして今の坂と同じルートで坂の頂上に向かっていた。

Dscn1426
歩道橋の上から坂を撮影した。 坂の下の駅前の海抜が5m、坂の頂上の教会あたりが21mなので当時は丘のように見えたと思う。 坂の頂上からは田町まで二本榎という街道になっていた。

Dscn1428
案内杭に新坂とあるのは、前述のクランクまでが新坂でその上がもともとの坂だったからで明治時代にこの新坂が作られたとある。 またざくろの由来ははっきりとは判らないらしいが、まあ坂のどこかに柘榴の樹があったと考えるのが自然だろう。

坂の頂上には高輪教会があり、江戸の大殉教の殉教者顕彰碑がある。 1623年に徳川家光がキリシタン50人を市中引き回しの上、札ノ辻で火あぶりの刑にして迫害した。 そこからキリシタン狩りが始まり、5年の間に江戸では2,000人ものキリスト教徒が殺害されたという。 悲しい残酷な歴史が繰り広げられたのだろう。

私が引っかかったのは、当時の殉教者の名前、ヨハネ原主水(はらもんど)がここでの儒教者の代表だが、全国各地で殉教した名前の中にはとても興味深い名前がたくさんある。 名字帯刀を許されていない時代のために、ミカエル薬屋、トマス与右衛門のような名前があるかと思うと、シモン高橋清左衛門、メルキオール熊谷豊前守元直のようにそれなりの身分の名前もあったりする。

最近の国会前のデモでノーベル賞受賞者から老若男女様々な人々が集まっていたのにちょっと似ているなと苦笑。

<2015年10月25日 日曜日散策>

| | コメント (0)

2015年10月 1日 (木)

紅葉始め

昨日の小菅村、気温は20度くらいでした。 今年は少しずつもう紅葉が始まっていました。 甲信越の高い山ではもう真っ盛りのようですが、小菅は例年10月下旬から11月が紅葉の時期かと思います。 それでも今年はちょっとだけ早めかなというところでしょうか。

Dscn3500
写真は小菅の湯、手前は蕎麦畑で山肌はまだ色づいてはいませんが、山に入ると中にちらほらと色づいた樹木を見ることができます。 この秋のスカッと抜けた青空が毎年ながら気持ちがいい、秋晴れとはよく言ったものです。

Dscn3502
イロハカエデはこれくらいの色づきで、上の写真は鶴峠です。 山歩きにはベストなシーズンがやってきました。 禁漁期に入ったことですし、時間を作って山歩きをしたいと思います。

ただし東京を出るまでが週末は一苦労二苦労なんですよね。トホホ。

続きを読む "紅葉始め"

| | コメント (0)

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »