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2015年10月28日 (水)

天神坂と魚籃坂(港区)

無名の坂を楽しんだ後、そのまま三田方面に進む。 高輪とらや(羊羹)の角を曲がると天神坂の下り。 とらやは赤坂のとらやとは無関係らしいが、売っているものは似ている。 1国(国道1号線)の清正公前に向かって下る急勾配。 坂の下には傾斜15度の標識があった。

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1国に出るか出ないかで側道へ回り込み、路地に入る。 2,3度曲がり角を経て天神坂以上の急坂を登る。 葭見坂とものの本にはあるが、表示がない。 見落としてしまったのかもしれない。

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坂を登りきると巨大な都営高輪一丁目アパート。 ここの敷地内に赤穂浪士の史跡がある。 大石内蔵助をはじめとする17人が壮烈な最後を遂げた現場とある。 赤穂浪士に関する史跡は都心にいくつもあるからいささか紛らわしい。 もっともこの一帯は江戸時代には肥後熊本藩細川家の屋敷だった場所で、おそらく切腹の史実も正しいのだろう。

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尾根筋の二本榎通りに戻って進むと左側にこんもり茂ったとてつもなく大きな屋敷がある。 高松宮邸。 ただ徳川家との婚姻後子供に恵まれず、今はだれも住んでいない。

まもなくピーコックがある交差点。 ここから左が魚籃坂、右が伊皿子坂である。 魚籃坂の下りで遠方を望むと六本木ヒルズがビル群の上に顔を出している。 昭和50年代によくここを車で通ることがあったが、こんなにビルはなかったし、普通の商店がたくさんあったと記憶しているが、ずいぶんと変わったものだ。 もっとも昭和の中期まではこの魚籃坂~伊皿子坂を路面電車が走っていたから、先輩諸氏にはもっと変わったと言われそうだ。

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魚籃坂を下ってそのままターンして戻る。 反対側が伊皿子坂。 この道は泉岳寺に向かって降りていく。 傾斜は緩め。 泉岳寺には前述の赤穂浪士の墓がある。 高輪は皇室、殿様、そしてたくさんの寺院がひしめいて、歴史を深く感じさせる界隈だとつくづく思った。

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