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2015年10月25日 (日)

柘榴坂(港区)

JR品川駅高輪口を出ると目の前に真っすぐな坂道が見えてくる。 これが柘榴(ざくろ)坂だ。 江戸時代以前品川駅はちょうど海岸線だった。 汽笛一声新橋を・・・の日本最初の鉄道が品川を通り横浜まで走ったが、諸事情により海の中(といっても海岸線)に鉄道を敷いた。 だから100年余り前の品川駅は波打ち際ということになる。

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写真はちょうどその波打ち際(品川駅高輪口)から坂を望んだものだ。 といっても明治以前の柘榴坂はもう少し左側、ちょうどマクドナルドがあるあたりから東海道と垂直に接していた。 そして坂の中腹の東武ホテルがあるあたりには大池があり、そこでクランクして今の坂と同じルートで坂の頂上に向かっていた。

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歩道橋の上から坂を撮影した。 坂の下の駅前の海抜が5m、坂の頂上の教会あたりが21mなので当時は丘のように見えたと思う。 坂の頂上からは田町まで二本榎という街道になっていた。

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案内杭に新坂とあるのは、前述のクランクまでが新坂でその上がもともとの坂だったからで明治時代にこの新坂が作られたとある。 またざくろの由来ははっきりとは判らないらしいが、まあ坂のどこかに柘榴の樹があったと考えるのが自然だろう。

坂の頂上には高輪教会があり、江戸の大殉教の殉教者顕彰碑がある。 1623年に徳川家光がキリシタン50人を市中引き回しの上、札ノ辻で火あぶりの刑にして迫害した。 そこからキリシタン狩りが始まり、5年の間に江戸では2,000人ものキリスト教徒が殺害されたという。 悲しい残酷な歴史が繰り広げられたのだろう。

私が引っかかったのは、当時の殉教者の名前、ヨハネ原主水(はらもんど)がここでの儒教者の代表だが、全国各地で殉教した名前の中にはとても興味深い名前がたくさんある。 名字帯刀を許されていない時代のために、ミカエル薬屋、トマス与右衛門のような名前があるかと思うと、シモン高橋清左衛門、メルキオール熊谷豊前守元直のようにそれなりの身分の名前もあったりする。

最近の国会前のデモでノーベル賞受賞者から老若男女様々な人々が集まっていたのにちょっと似ているなと苦笑。

<2015年10月25日 日曜日散策>

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