元麻布~西麻布の坂 (1)
週末の天候が悪く野暮用も多くて暫く散歩に行けなかったが、今週末は何とか天気が持ってくれているので出掛ける事ができた。 スタートは大江戸線と南北線のある麻布十番駅。 4番出口は地上まですべてエスカレーターがあって便利。 出るとそこは麻布十番商店街の入口である。
今回はまず外苑東通りの十番稲荷にお参りする。 秋祭りの準備なのか提灯がたくさん並んでいる。ちょっと遅い気もするが、七五三や酉の市ののぼりも出ている。ようわからん。 しかしここに来た理由はカエル様に会うためだ。
麻布のがま池伝説のガマを祀ってあるのだ。 元麻布2丁目にそのがま池がまだ残っているが私有地内で入れない。 神社からは700m離れているのにどうしてここに祀られているのかは分らないが、その伝説というのが、江戸時代の後期がま池を囲んで旗本の山崎氏の屋敷があり、池の主のガマに餌をくれていた。 文政4年というから1821年、約200年前に古川橋で発生した大火が迫って来た折にその池のガマが水を吐いて屋敷を守り恩返しをしたという話である。 よくある街伝説だが、こうしてガマを拝む人々がいる事もまた平和な話だ。
一旦外苑西通りを麻布十番商店街側に戻り、六本木高校脇から内田坂を上る。 路地路地の上にヒルズレジデンスやヒルズが顔を出すのだが、周りとの高低差が昔の姿を想像させてくれる。 この辺りも明治の初期は畑と林だったのである。
内田坂を登ったところに小さな公園があって、休日は周辺に住む外国人と富裕者層が子供を遊ばせている。 その公園には不似合いの石碑が立っている。
何の石碑かというと、ここに乃木希典の生家があったというもの。 今では乃木坂48の方が有名かもしれないが、私の故郷の偉人である。 おかしいなと思いつつ説明板を読むと、なるほど今の六本木ヒルズ一帯は長州藩毛利氏の屋敷跡、その敷地にあった長屋で生まれたのだった。(ちなみに私の結婚式は乃木会館、子供達の七五三も乃木神社)
坂の頂上を真っすぐに進むとテレ朝通り。 左折して中国大使館方面へ向かい、消防署手前を入って宮村坂に入る。 低層の高級マンション「元麻布プレイス」が何棟も並ぶが今は大規模な改修工事で殆ど養生してある状態。 坂の上の部分に写真の欄干があった。 ここは谷地筋なので本当に川があったのだろうか。 明治初期の古地図では水、竹、畑の記載があるので水のある場所ではあったと思う。
坂を下ると中国大使館の裏手、今週も警察官が角ごとに立っている。 バリケードを折りたたんでいつでも緊急事態に対応できるようにしているのだが、パリのテロ以前からそうだから常時そうなのかもしれない。 警察官に会釈をして狐坂を下った。
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