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2015年11月30日 (月)

愛宕の坂 (1)

銀座線虎ノ門駅を出て西新橋1丁目を南へ下る。 2つ目の交差点角に蕎麦屋の砂場がある。 創業は1872年(明治5年)、今の木造の建物は1923年(大正12年)に建て替えられたもので、もうすぐ100年になる。 再開発の立ち退き交渉にも抵抗して頑張っているので応援したい。

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その一つ南の交差点には最新の高層ビル「虎ノ門ヒルズ森タワー」がある。 虎ノ門と愛宕には森ビルがわんさかある。  森ビルは非上場だが総資産額は1兆7500億円というどれくらいか想像もつかない額を持つ。

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交差点ごとにある森ビルを見上げながら愛宕山へ向かう。 虎ノ門ヒルズは52階建247mの高さ、その南側にも2つの40階超のタワーが三連荘で建ち並ぶ姿は壮観である。 しかし江戸時代は愛宕山がこの辺りではそびえていた。 JIN-仁-で流れていたオープニングタイトルバックの写真は江戸の街の眺めが愛宕山からの眺望

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愛宕神社の正面階段を男坂、右手の階段を女坂と呼ぶ。 この男坂にはいくつかの逸話がある。 この階段は出世の階段と呼ばれ、江戸時代に徳川家光が増上寺に参詣の折に立ち寄り「誰かあの愛宕山の上の梅を採って来い」と命じたところ、四国丸亀藩家臣の間垣平九郎が馬に乗り一気にこの階段を上り梅を将軍に献上した。 これにより平九郎は馬の名手として名を轟かせたという話。 実はそれ以降も何人か馬でこの階段を上っている。 昭和57年に上ったスタントマン渡辺隆馬の映像は実際にテレビで見たことがある。

愛宕神社の境内には三角点や日本で最も古い時期に置かれた几号水準点があって話題に事欠かないのだが今回は坂の話なので省略する。

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階段を上から見るとこんな感じ。 角度は最大40度の勾配、落ちたら怪我では済まない。 出世の階段というだけあって近所のエリートが毎日お参りするそうだ。 出世するかどうかは別にして、いい体力作りになるだろう。

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脇の女坂もなめてはいけない。 1段分の高さこそ男坂よりも低いものの、当然高低差は同じである。 こういう神社には男坂と女坂があって面白い。 近くでは飯倉の西久保八幡、あと湯島天神もそうだった。 平成の草食男子にとっては男女逆でもいいかもしれない。

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実はほかにもいくつか愛宕山への道がある。 これは車道になっている愛宕新坂。 これ以外には階段で登る道が複数あるが、どれも近代に設置されたものだ。 この車道、愛宕新坂が開かれたのは明治20年代と意外に古い。 欄干なども相当年季が入っている。 出世の階段に対して特に裏口入学などとは言われない(笑)。

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それでも結構な傾斜で自転車に乗ったじぃさんがキィキィ音を立てながら結構なスピードで下って行った。 神社のとなりにあるNHK放送博物館は当分の間休館中だが間もなく2016年1月30日にリオープンするとのこと。

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