白金台の坂(1)
白金台の坂を歩いた。 去年の春、長女の結婚式を行った八芳園が出発地だ。 その時は意識していなかったが、八芳園の前を下る坂が桑原坂という坂。 坂を下りてそのまま行くと明治学院大学。 坂下まで降りたら再び引き返して、八芳園の角に戻った。
当時このあたりの古地図を調べたら茶畑だった。 八芳園は誰かの屋敷跡かと思っていたが以外に普通の谷地だった。
八芳園の角から清正公前に下る道は日吉坂。 背の高い高級マンションが立ち並ぶ通りになってしまった。 昭和のころはこうだったかなと思いつつ坂を下る。 下ったところがシェラトン都ホテル。 下の写真では画面の右側の登りが日吉坂である。
清正公前から白金1丁目交差点にかけては微妙な坂だが名光坂という名前が付いている。 道標は見つからなかった。 昔は湿地帯でホタルが飛び交う場所だったのでその名が付いたらしいが、今は面影のかけらもない。 この道路(国道1号線)の西側が白金台の台地、東側(海側)が高輪台の台地になっている。 それを考えると、ここが低地で湿地帯だったのは想像に難くない。 またそのなかの谷地の一つが八芳園の敷地というわけである。
国道一号線から恵比寿へのバス通り(通称)に入る。 白金三光町の通りである。 第2次大戦前、私の亡父が天現寺に下宿していたころよく三光町をうろついたと聞いていた。 当時は大通りのほとんどに路面電車が走っていて、天現寺で電車に乗って今の明治通りを走って渋谷に映画を見に行ったらしい。 今の東映プラザのところは当時も映画館だったそうだ。
三光町の途中で白金台に上るのが三光坂。 勾配は10%と大したことがないが長さはなかなか歩きごたえがある。 上の写真の左手に専光寺があるが、徳川家光が鷹狩でこの地を訪れた時に、ここにあった葉が三つに分かれた老松を称えて三鈷松と名付けたのが訛って三光となったらしい。
三光坂を登りきると右手には聖心女子大、左手には長々と続く塀がある。 この塀の中は実はとてつもないお屋敷。 服部家、あのSEIKO社の服部時計店の服部家のお屋敷だったが今はただ資産として管理されているようだ。 1辺200mはあるから12,000坪くらいはありそう。 坪500万くらいはするだろうから、えっと・・・600億円? んー、桁がわからない。
屋敷の端っこまで行くと下り坂がある。 無名だが服部坂とでも名付けたい。 ここを下ると白金台の駅に行く。 しかし今回は少し先まで行って右折し東大医学研究所と聖心女子大の間の素敵な路地に向かった。
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