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2015年11月25日 (水)

六本木~三田の坂 (1)

六本木一丁目駅を降りる。 滅多に使わない営団南北線の駅だ。 慣れない地下鉄の駅は出口探しに往生する。 後から作られた駅ほど判りにくく出来ているのが常だ。 泉ガーデン側と反対側に出たいのでいささか苦労したが何とか谷町JCT下六本木側の出口に出る事が出来た。 JCT下を回り込んで六本木通りへ、最初の路地を入る。

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路地はだらだら続く長い坂になっている。 なだれ坂(長垂坂)だ。 かつて六本木プリンスやIBM本社があった所は広い一角は住友不動産が再開発の真っ最中。 2016年竣工予定で40階建のビルが建つ。 テレビ東京もここに移転してくる予定と聞く。

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開発地の向かい側には昭和風のマンションや寺もある。 明治時代はなだれ坂の六本木側にはいくつもの寺が並んでいたが、関東大震災以降は卍マークが激減している。 ここは谷地を埋めてなだらかな坂にしたような地形なので崩れやすかったか、それで移転してしまったではないかと思う。 再開発ビルが出来てからは時代の混在を感じられる場所になりそうだ。 坂は緩やかなカーブを描きながら上っていく。 坂上を右折して、突き当りをさらに右折すると寄席坂の坂上になる。

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写真の右手の駐車場辺りに明治時代から大正3年にかけて福井亭という寄席があったので寄席坂と呼ばれる。 クランクになっている坂道で、下のクランクの所にあるレストランの建物が昭和の六本木の路地裏を感じさせる。

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坂の魅力を山野勝氏(坂道学会会長)は江戸情緒・湾曲・斜度・名前の由来で評価しておられたが、クランクの坂には先の見えない魅力があって、評価軸にないプラスαの魅力が加わる気がする。 屋敷などの障害物があってクランクしたのか、傾斜が急すぎてクランクにせざるを得なかったのか、そういった想像を駆り立ててくれるのである。

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寄席坂を下りきるとそこは首都高速3号線に覆われた六本木通り。 六本木交差点に向かって上るこの道が市三坂。 坂が作られたのは明治20年代というから新しい。 名主の名が付いた町名・市兵衛町と、松平三河守忠直邸のあった町名・三河台町のそれぞれの頭文字を取って市三坂と呼んだ。 前述の寄席坂もこの市三坂も明治以降の坂で江戸時代にはなかった道である。

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寄席坂の次の路地を入ると左手に丹波谷坂が現れる。 直線だが傾斜があってなかなかの坂である。 元和年間というから400年前、江戸時代の初期に坂上に旗本岡部丹波守の屋敷が出来てこの坂下の辺りを丹波谷と呼んだ。 ただ坂のある所は江戸時代は武家屋敷の敷地内。 明治の初期にこの坂が開かれて、丹波谷の坂という事でこの名前になった。

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坂上から見下ろすと下の方が傾斜がきついことがわかる。坂上側に屋敷があって、坂下側はきっと崖だったのだろう。 丹波谷坂の坂上を右折して次の路地が不動坂だ。

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こちらは現在は緩やかな坂になっている。 坂下から見上げる写真だが右の壁面に作業員が張り付いているのが坂の名前の由来になった不動院。 現在は鉄筋コンクリートの近代的な寺院だが由緒あるお寺。 この坂は元々不動院の参道だったが、寺の敷地が縮小して今の形になった。 参道だったことがわかるのは、この道は車道としては行き止まりになっていて、最後のところは階段になっている。 降りきったところは墓地だ。

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その墓地(六本木墓苑)をぐるっとなぞってロアビル方面へ上って行くのが閻魔坂。名前はかつて坂下の崇厳寺にあった閻魔堂に由来する。 大通りに出る直前だけが傾斜がきつい。 それまではゆったりした坂だ。 右側は古くからの飲み屋街。

実は右側(六本木通り方面)はここよりも数m高い。 この辺りの微地形を見るといくつもの谷地が台地に入りこんでいるのがわかる。 閻魔坂を上がると不夜城六本木の危険地帯。 午前中に歩くと、不夜城を支える様々な人々の働きが見られる。 散らばったゴミを片付ける人、店舗の改装などの工事をする人々、おしぼりなどを納入するリネン業者、古くからの住人達など、夜の六本木では想像もしない人々が朝からこの街を支えているのにちょっと感心した。

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