« 白金台の坂(1) | トップページ | 南麻布の坂 (1) »

2015年11月 3日 (火)

白金台の坂(2)

東京大学医科学研究所と聖心女子大の間の道はなかなか素敵な道だった。 下ってから再び登っていく。 左手には時代を感じさせる煉瓦造りの研究所、右手には紅葉を始めた聖心女子大の樹木たちが並ぶ。

Dscn1563
この窪地は白金台を東西に分ける谷地で、聖心女子大のキャンパスは二つの峰の間に広がる形。 渋谷川の南に広がる白金台にはいくつかの谷があって、西は自然教育園から天現寺に流れる沢、東は八芳園あたりから名光坂に落ちる沢、その真ん中にこの聖心の沢があったようだ。 明治時代はこの辺りは南白金村といい田畑の広がる地域だったと思われる。

Dscn1570
女子大の敷地沿いに回り込むと蜀江坂の下りになる。 写真は下ったところ振り返って撮影したショット。  恵比寿側が低地になっている。 坂を下りきると三光町のバス通り。 北里研究所があるので、先日ノーベル生理医学賞を受けた大村智氏の応援のバナーやポスターが至る所に出ていた。(今年は特に人柄のいい人が受賞した感じがする)

Dscn1575
次は明治坂の登り。江戸時代は無名の坂だったが、明治の末に坂下の商店街ができて名付けられたらしい。

Dscn1577
明治坂を登ると白金台の北西の端の稜線。 そこから下る道もいい坂だが名前はない。 恵比寿から白金台へ抜ける外苑西通りを横切り日東坂の坂上に出る。

Dscn1582
大正時代の新坂で日東紡か何かの工場があったらしい。 ここからいったん下って首都高の下をくぐり、ガーデンプレイスに向かって再び急な登りを登っていく。 恵比寿の周辺も坂は多いがまた別の機会に。

Dscn1588
一つだけ、恵比寿の駅前の下り坂は以前は石畳の素敵な路面だったが、もう石畳はごくわずかになってしまった。 この下の六差路の近くに細君の実家があって、いつも犬の散歩でこの辺りをうろついていたものだ。石畳の理由は国鉄時代の恵比寿駅は貨物が多く、馬車や車が登りやすいようにという話を聞いたことがある。真偽のほどはわからない。

| |

« 白金台の坂(1) | トップページ | 南麻布の坂 (1) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 白金台の坂(1) | トップページ | 南麻布の坂 (1) »