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2015年11月22日 (日)

元麻布~西麻布の坂 (2)

元麻布3丁目の狐坂を下ると変則の五差路に出る。 ここもいつもバリケードを準備して警察官が張り込んでいる。 斜め右に急な上り坂が見える。 狸坂の上り、由来はほんとうに人を化かす狸が出没した事らしい。 また狸坂の方向が東なので旭坂の別名もある。

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この辺りの屋敷の土手部分は大谷石が多い。 栃木の大谷石は軽石凝灰岩の一種で石の中でも軽くて加工がしやすいので昔から使われてきた。 まだ日本が海の中にあった時代に噴火した火山灰と砂礫が海中で固まったもの。 耐火性もあるので日本では重宝されてきた。

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狸坂の坂上には麻布グレイスゴスペル教会の礼拝堂があってセレブっぽい西洋人が出入りしている。 実は結婚式場でもあって、なかなか洒落た路地なのだ。 坂の上で狸坂は大黒坂・暗闇坂・一本松坂との辻になるが、今日は一旦坂の下に降りて狐坂に戻る。

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中国大使館の裏口にいる警察官が行ったり来たりする私を訝しげに見ているが、会釈をするときちんと返してくれる。 仕事とはいえ四六時中立ちんぼするのは大変だ。 狐坂もそこそこの傾斜がある。 上り詰めるとテレ朝通り。 テレ朝通りから外苑西通りへは下りになる。 つまりテレ朝通りは尾根筋の道なのだ。 外苑西通り沿いには昔、笄(こうがい)川が流れていた。 その笄川に向けて下る坂が並んでいる。

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まずは一番北側にある紺屋坂。 特に何の変哲もない小さな坂道なのだが、この場所に紺屋(染物屋)があったので付いた名前。 別名を芥(ゴミ)坂といい坂下にゴミ捨て場があったようだ。

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2番目の坂は間にあるということで中坂と付いている。 ここが一番急坂。 横関英一氏の『江戸の坂東京の坂』に江戸っ子がどういう名前の付け方をしたかが細かく書かれている。 こだわりがあるようでいて実はいい加減な付け方をしていたようだ。 だから同じ名前の坂があちこちにある。 中坂なんてもっともテキトーな名付け方である。

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一本広尾寄りの坂が北条坂になる。 坂下の南側に北条家の下屋敷があったのでこの名前になった。 河内狭山の大名というから、大阪の南部。 江戸時代のこの辺りは稜線上に寺院・大名屋敷・町家が入り混じっていた。 坂下の笄川辺りには農民もいて士農工商がほとんど居るような街だったに違いない。

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北条坂は下って行くと平坦になりまた下る二段坂。 下の部分は鉄砲坂と呼ばれる。 鉄砲組の屋敷や幕府の鉄砲練習場があったそうな。 下りきると外苑西通り。 そこを西麻布方面に歩くと、公園がある。 公園の北側の路地を入ると間もなく笄小学校。 そのまま上って紺屋坂からテレ朝通りに戻った。

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