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2015年11月27日 (金)

六本木~三田の坂 (3)

潮見坂はシンガポール大使館の裏道にあたる。 その角が鳥居坂の坂上になる。 元禄時代からある坂道だ。 於多福坂、潮見坂ともに江戸の古地図にも記載がある。 坂の上は大名屋敷武家屋敷、そして坂の下は町人の住む町家になっていた。

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鳥居坂はとても急な坂だがここを歩いて登ってくる人は多い。 もっとも麻布で坂を抜きに移動することはかなり難しい。 鳥居坂の坂下の歩道は一部階段になっているほどの急坂。

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上の写真の右手の敷地がシンガポール大使館。 江戸時代は京極家の武家屋敷、左側は明治になって井上馨の屋敷になった場所。 バスが通る道だが、積雪時は車は通れないと思われる。

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鳥居坂下の交差点を渡ると麻布十番側は短い坂、これはあひる坂といわれる。 道標もないので由来はわからない。 ものの本にも書いてない。 地形的に見ると江戸時代はこの麻布十番商店街の通りは沢筋だったと思われる。 今はなき麻布十番温泉もこの沢沿いに始まったのだろう。 そういう沢筋にはアヒルがいても不思議ではない。 この辺りに毎年棲みつくアヒルがいたのだろうというのが私の仮説。

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あひる坂から駅方面へ2本先の路地がすべり坂。 江戸時代の地図では単に宮下町とあるだけで詳細はわからない。  少し戻って鳥居坂の通りに、そこを鳥居坂とは反対側に行くと暗闇坂。

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暗闇坂という坂はいくつかあるが、どこも基本的には暗い坂。 ここも以前はうっそうとして暗い坂だったようだが、今はかなり開けている。

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坂の中間に来ても右側はビル工事中、ここが以前は樹木の生い茂る場所だったわけで、明るい坂になってしまった感がある。  坂の左手のレンガ塀はオーストリア大使館。 ウィーンが首都のオーストリアである。 右手は江戸時代には増上寺隠居とあるが明治以降は屋敷だったり更地だったりでよくわからない。

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暗闇坂を坂上から見るとようやく暗闇坂っぽい風景になる。 坂の上で狸坂、大黒坂、一本松坂が出合う辻になる。 明るい坂になってしまったが湾曲度合いといい、周辺の風情といい、今でもよい坂だと思う。

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