文京区関口・目白台の坂 (1)
年末は師走、私は先生ではないが結構多忙で心のゆとりがなかった。 今年は26日の土曜日から9連休を取ったのだが、最初の3日間は家用をたんまり仰せつかり疲れてしまった。ようやくゆとりが出てきたのでこの辺で再開しようという気持ちになった。 結構気分で書いている自分がよくわかる。
さて、今回は文京区。 営団地下鉄有楽町線の護国寺駅を降りて目白台を歩いた。 今回の散歩エリアの中心には椿山荘がある。 長男の結婚式や何やらでここ数年の間に何度となく来ている。 なんとなく親近感を感じる地域だ。
護国寺といえば講談社。 ビートたけしが軍団を引き連れて乗り込んだ事件があった所だ。 笑えたエピソードは、エレベーターに最後に乗り込んだそのまんま東がドアが開いた時には先頭になっていて焦ったという話。 もっとも講談社の代表的雑誌は子供の頃熱く読み漁った巨人の星、あしたのジョーを連載していた少年マガジン。 1960年代後期当時は50円とか60円という価格だった。
漫画の話はさておき、大塚警察署前の交差点を講談社とは違う方向へ進む。 茗荷谷駅方面へ歩道付きの2車線路がきれいなカーブを描いて上って行く。 これが付属横坂。付属は学校のことだろうか。 辺りには筑波大附属中高やお茶の水女子大学付属幼稚園~高校があるが附属と付属の漢字の違いなど疑問を残してしまったがまあ宿題としておこう。
この坂はたくさんのティーンエイジャーが上り下りする。 きっと彼等の思い出にいつまでも残ることだろう。 いったん上った付属横坂を再び大塚警察署前交差点まで戻る。 本来はこの交差点に警察署はあったのだが、文京区にありながら大塚署とはこれいかに。 音羽署の方が響きもいいのだが、お役人のセンスの問題だろうか。 今は坂を上った旧東大病院の跡地の一角にプレハブの仮署がある。
写真の坂が三丁目坂。 旧音羽三丁目から目白台に上がる坂なのでこう呼ばれた。 首都高5号線が走る下はかつては弦巻川という川だった。 一方目白通りの反対側にも川が流れていて、目白通りは2本の川に挟まれた護国寺の門前町だったようだ。
三丁目坂も緩やかなカーブを描いて目白台に上って行く。 三丁目坂という名だが明治以前からあった坂で、坂の上には沢山の茶畑があった。 坂の上の北側には広々とした空き地があって、これが前述の東京大学病院の分院。 2001年の閉鎖から長く開発されていなかったが、ようやく着手される模様。建築計画表示板には東京大学目白台国際宿舎とある。 国立大学法人だからか妙にのんびりした進捗。
坂上を左折し南下して路地を進み突き当りを再び左折すると鉄砲坂に至る。 鉄砲坂は素晴らしい路地の坂。 坂の北側に東京音大の学生寮があるがここが江戸時代には鉄砲の射撃練習の的場だったらしい。
鉄砲坂という名前もいいが、傾斜が凄い。 こういう坂は歩いていて本当に楽しい。 目白台にはこういう坂がいくつもある。 坂に立つ家々も様々な傾斜地の工夫があって、かつ見晴らしの良いお屋敷が多い。 もちろん上り下りは大変だがまだメタボに効果というところまでは行っていないのが課題だ。
(2015/11/29)
| 固定リンク | 0
コメント