文京区関口・目白台の坂 (2)
鉄砲坂を下ると首都高速下、そこを右折して崖線にある関口台公園の角からの坂が鳥尾坂。 明治になって軍人で子爵の鳥尾氏が、隣の鉄砲坂は狭くて急で人力車も車も登れないと私財を投じて新坂を作った。 地元の人々は鳥尾氏に感謝してこの坂を鳥尾坂と呼ぶようになった。 坂下の脇には当時の古い石碑も立っている。
鉄砲坂が短い距離で標高差を稼ぐのに比べて、鳥尾坂は広くて緩めの長い坂になっている。 坂を上るとそこには独協学園(中高)や教会がある。
坂上から路地を左に入り関口台の民家の中を歩く。 途中には佐藤春夫の旧家もある。 関口台の地名の由来は江戸以前のこの辺りが関口村だった為という説、この下に神田上水(現神田川)の堰があったからという説などがある。
民家の先から目白通りへ降りる階段の道が七丁目坂。 この坂も古い坂のようで古い石垣の壁もあったりする。
階段の坂はどこも江戸時代の情緒を感じさせてくれる。 昨今はきれいな壁で囲まれていることが多いが、合間合間に古い壁もあってそういうものと出合うとほっとする。
坂を下ると保育園があり間もなく護国寺の通りに出る。 目白通りを右折して大きな交差点を右折するとそこが目白新坂。 4車線の広い通りだ。 こういう通りはまったく風情がない。 椿山荘前を鋭角に左折して目白坂の下りに入る。 椿山荘は傾斜地に立つホテル式場だからどこが1階なのかわからないことが多い。 地下なのに地上に出たりする。
目白坂は江戸時代に将軍が鷹狩に清瀬方面へ向かう為の街道(清戸道)だった。 坂の途中には八幡神社がある。 緩やかにくねりながら上って行く坂の姿が江戸的だ。 下った坂を再び上り、関口台町小学校脇から江戸川公園へ入って階段を下る。
公園には江戸時代の取水口の遺跡などがある。この神田川の工事には松尾芭蕉も参加しており、のちに関口芭蕉庵と呼ばれるようになり今も残る。 裏手は椿山荘の庭。 古くはこの辺りを椿山(ツバキヤマ)と呼んだという。 それが椿山荘の由来。
(2015年11月29日)
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