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2015年12月13日 (日)

虎ノ門~麻布台の坂 (4)

西久保八幡を出て飯倉交差点を上る。 麻布台の尾根筋にあたり、銀座がまだ海中にあった時代は麻布台は愛宕山を切先にした半島の首に当たる位置だった。 これより東には台地はなく東京湾が広がっていた。 その半島が折れ曲がった位置に東京タワーが立っている。

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飯倉交差点から六本木側は少し高度を上げている。 道が広いので坂の感じはあまりしないが、これが榎坂。 かつては榎の大木があったようだ。

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一方赤羽橋方面へ下るのが土器(かわらけ)坂。 赤羽橋の赤羽は古来良質の赤土が出たために土器職人がたくさん住んでいた。 埴輪の埴(はに)は土の意味。 赤埴が変化して赤羽となった。 また飯倉の地名は古来伊勢神宮の御厨の地で稲を保存する倉があったことで飯倉となった。 それぞれに由来があるものだ。

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榎坂に戻りロシア大使館の先を左折すると、大使館の敷地沿いに下る狸穴坂がある。 マミアナとはタヌキに限らずイタチやアナグマまで含めた獣の穴があったことによる。 面白いのはこの狸穴坂、上半分はロシア大使館沿い、途中からアメリカンクラブ沿い。  ソ連時代からこの米ソは並んでいる。

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下りきったところに素敵な酒屋(堺屋商店)がある。 私の実家もかつてはこういう酒屋だったのでとても懐かしい。 酒タバコというのは昭和の臭いがする。 看板が日本盛と大関というのもまたいい。 庶民の酒だ。

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坂下を右折して公園脇を上がっていくと道はクランクになる。 さすがにこの辺りの公園は外国人比率が半分くらいを占めている。 どうやら日本の中心地はかなりの割合で占領されているようだ(笑)。

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公園裏の登り坂が鼠坂。 急傾斜の坂で車は通れないがここで出合ったのが上って行く原チャリと下って行くベビーカーを押した西洋人。 バイクはうなりをあげながらゼイゼイと上って行き、ベビーカーはまるでジェットコースター遊びをしているかのように駆け足で下って行った。

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鼠坂を上るとそこで出合うのが植木坂。 これもまた急な坂だが、道幅いっぱいにタクシーが通っていた。 避けるのもぎりぎり。 しかし鼠坂も植木坂も江戸情緒の残る良い坂だ。 植木坂の周辺には植木職人がたくさん住んでいて江戸時代の菊人形を作っていた。

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植木坂を上ると眼下に首都高速を見下ろす階段に出た。 台地の上だと実感できる。 階段を下って高速沿いの麻布通りに下りて麻布十番方面に歩くと永坂更科の発祥の地の碑がある。 碑は最近作られたものだが、どうも江戸三大蕎麦(砂場、永坂更科、藪蕎麦)の一角がここのようだ。

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芝大門に布屋があるがどっちが本店でどっちが元祖なのだろうか。 前述の虎ノ門の砂場と千住の砂場の関係も宿題だ。

永坂は古くは長坂と書いた。 文字通り長い坂が続いている。

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今は麻布通りという高速付きの大通りが半分重なってしまったが、こうして眺めてみると昔は真っすぐな坂が麻布十番から飯倉片町までだらだらと続いていたのがわかる。 坂上を左折すると六本木交差点に向かう。 う~、また苦手の繁華街だが昼間だから歩いていこう。

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