« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2015年12月31日 (木)

文京区関口・目白台の坂 (2)

鉄砲坂を下ると首都高速下、そこを右折して崖線にある関口台公園の角からの坂が鳥尾坂。 明治になって軍人で子爵の鳥尾氏が、隣の鉄砲坂は狭くて急で人力車も車も登れないと私財を投じて新坂を作った。 地元の人々は鳥尾氏に感謝してこの坂を鳥尾坂と呼ぶようになった。 坂下の脇には当時の古い石碑も立っている。

Dscn2085
鉄砲坂が短い距離で標高差を稼ぐのに比べて、鳥尾坂は広くて緩めの長い坂になっている。 坂を上るとそこには独協学園(中高)や教会がある。

Dscn2090
坂上から路地を左に入り関口台の民家の中を歩く。 途中には佐藤春夫の旧家もある。 関口台の地名の由来は江戸以前のこの辺りが関口村だった為という説、この下に神田上水(現神田川)の堰があったからという説などがある。

Dscn2092
民家の先から目白通りへ降りる階段の道が七丁目坂。  この坂も古い坂のようで古い石垣の壁もあったりする。

Dscn2095
階段の坂はどこも江戸時代の情緒を感じさせてくれる。 昨今はきれいな壁で囲まれていることが多いが、合間合間に古い壁もあってそういうものと出合うとほっとする。

Dscn2097
坂を下ると保育園があり間もなく護国寺の通りに出る。 目白通りを右折して大きな交差点を右折するとそこが目白新坂。 4車線の広い通りだ。 こういう通りはまったく風情がない。 椿山荘前を鋭角に左折して目白坂の下りに入る。 椿山荘は傾斜地に立つホテル式場だからどこが1階なのかわからないことが多い。 地下なのに地上に出たりする。

Dscn2105
目白坂は江戸時代に将軍が鷹狩に清瀬方面へ向かう為の街道(清戸道)だった。 坂の途中には八幡神社がある。 緩やかにくねりながら上って行く坂の姿が江戸的だ。 下った坂を再び上り、関口台町小学校脇から江戸川公園へ入って階段を下る。

公園には江戸時代の取水口の遺跡などがある。この神田川の工事には松尾芭蕉も参加しており、のちに関口芭蕉庵と呼ばれるようになり今も残る。 裏手は椿山荘の庭。 古くはこの辺りを椿山(ツバキヤマ)と呼んだという。 それが椿山荘の由来。

(2015年11月29日)

| | コメント (0)

2015年12月30日 (水)

文京区関口・目白台の坂 (1)

年末は師走、私は先生ではないが結構多忙で心のゆとりがなかった。 今年は26日の土曜日から9連休を取ったのだが、最初の3日間は家用をたんまり仰せつかり疲れてしまった。ようやくゆとりが出てきたのでこの辺で再開しようという気持ちになった。 結構気分で書いている自分がよくわかる。
さて、今回は文京区。 営団地下鉄有楽町線の護国寺駅を降りて目白台を歩いた。 今回の散歩エリアの中心には椿山荘がある。 長男の結婚式や何やらでここ数年の間に何度となく来ている。 なんとなく親近感を感じる地域だ。

Dscn2062

護国寺といえば講談社。 ビートたけしが軍団を引き連れて乗り込んだ事件があった所だ。 笑えたエピソードは、エレベーターに最後に乗り込んだそのまんま東がドアが開いた時には先頭になっていて焦ったという話。 もっとも講談社の代表的雑誌は子供の頃熱く読み漁った巨人の星、あしたのジョーを連載していた少年マガジン。 1960年代後期当時は50円とか60円という価格だった。

Dscn2065

漫画の話はさておき、大塚警察署前の交差点を講談社とは違う方向へ進む。 茗荷谷駅方面へ歩道付きの2車線路がきれいなカーブを描いて上って行く。 これが付属横坂。付属は学校のことだろうか。 辺りには筑波大附属中高やお茶の水女子大学付属幼稚園~高校があるが附属と付属の漢字の違いなど疑問を残してしまったがまあ宿題としておこう。

Dscn2067

この坂はたくさんのティーンエイジャーが上り下りする。 きっと彼等の思い出にいつまでも残ることだろう。 いったん上った付属横坂を再び大塚警察署前交差点まで戻る。 本来はこの交差点に警察署はあったのだが、文京区にありながら大塚署とはこれいかに。 音羽署の方が響きもいいのだが、お役人のセンスの問題だろうか。 今は坂を上った旧東大病院の跡地の一角にプレハブの仮署がある。

Dscn2069

写真の坂が三丁目坂。 旧音羽三丁目から目白台に上がる坂なのでこう呼ばれた。 首都高5号線が走る下はかつては弦巻川という川だった。 一方目白通りの反対側にも川が流れていて、目白通りは2本の川に挟まれた護国寺の門前町だったようだ。

Dscn2070

三丁目坂も緩やかなカーブを描いて目白台に上って行く。 三丁目坂という名だが明治以前からあった坂で、坂の上には沢山の茶畑があった。 坂の上の北側には広々とした空き地があって、これが前述の東京大学病院の分院。 2001年の閉鎖から長く開発されていなかったが、ようやく着手される模様。建築計画表示板には東京大学目白台国際宿舎とある。 国立大学法人だからか妙にのんびりした進捗。

Dscn2079

坂上を左折し南下して路地を進み突き当りを再び左折すると鉄砲坂に至る。 鉄砲坂は素晴らしい路地の坂。 坂の北側に東京音大の学生寮があるがここが江戸時代には鉄砲の射撃練習の的場だったらしい。

Dscn2081

鉄砲坂という名前もいいが、傾斜が凄い。 こういう坂は歩いていて本当に楽しい。 目白台にはこういう坂がいくつもある。 坂に立つ家々も様々な傾斜地の工夫があって、かつ見晴らしの良いお屋敷が多い。 もちろん上り下りは大変だがまだメタボに効果というところまでは行っていないのが課題だ。

(2015/11/29)

| | コメント (0)

2015年12月13日 (日)

虎ノ門~麻布台の坂 (4)

西久保八幡を出て飯倉交差点を上る。 麻布台の尾根筋にあたり、銀座がまだ海中にあった時代は麻布台は愛宕山を切先にした半島の首に当たる位置だった。 これより東には台地はなく東京湾が広がっていた。 その半島が折れ曲がった位置に東京タワーが立っている。

Dscn2036
飯倉交差点から六本木側は少し高度を上げている。 道が広いので坂の感じはあまりしないが、これが榎坂。 かつては榎の大木があったようだ。

Dscn2034
一方赤羽橋方面へ下るのが土器(かわらけ)坂。 赤羽橋の赤羽は古来良質の赤土が出たために土器職人がたくさん住んでいた。 埴輪の埴(はに)は土の意味。 赤埴が変化して赤羽となった。 また飯倉の地名は古来伊勢神宮の御厨の地で稲を保存する倉があったことで飯倉となった。 それぞれに由来があるものだ。

Dscn2038
榎坂に戻りロシア大使館の先を左折すると、大使館の敷地沿いに下る狸穴坂がある。 マミアナとはタヌキに限らずイタチやアナグマまで含めた獣の穴があったことによる。 面白いのはこの狸穴坂、上半分はロシア大使館沿い、途中からアメリカンクラブ沿い。  ソ連時代からこの米ソは並んでいる。

Dscn2041
下りきったところに素敵な酒屋(堺屋商店)がある。 私の実家もかつてはこういう酒屋だったのでとても懐かしい。 酒タバコというのは昭和の臭いがする。 看板が日本盛と大関というのもまたいい。 庶民の酒だ。

Dscn2042
坂下を右折して公園脇を上がっていくと道はクランクになる。 さすがにこの辺りの公園は外国人比率が半分くらいを占めている。 どうやら日本の中心地はかなりの割合で占領されているようだ(笑)。

Dscn2043
公園裏の登り坂が鼠坂。 急傾斜の坂で車は通れないがここで出合ったのが上って行く原チャリと下って行くベビーカーを押した西洋人。 バイクはうなりをあげながらゼイゼイと上って行き、ベビーカーはまるでジェットコースター遊びをしているかのように駆け足で下って行った。

Dscn2046
鼠坂を上るとそこで出合うのが植木坂。 これもまた急な坂だが、道幅いっぱいにタクシーが通っていた。 避けるのもぎりぎり。 しかし鼠坂も植木坂も江戸情緒の残る良い坂だ。 植木坂の周辺には植木職人がたくさん住んでいて江戸時代の菊人形を作っていた。

Dscn2047
植木坂を上ると眼下に首都高速を見下ろす階段に出た。 台地の上だと実感できる。 階段を下って高速沿いの麻布通りに下りて麻布十番方面に歩くと永坂更科の発祥の地の碑がある。 碑は最近作られたものだが、どうも江戸三大蕎麦(砂場、永坂更科、藪蕎麦)の一角がここのようだ。

Dscn2051
芝大門に布屋があるがどっちが本店でどっちが元祖なのだろうか。 前述の虎ノ門の砂場と千住の砂場の関係も宿題だ。

永坂は古くは長坂と書いた。 文字通り長い坂が続いている。

Dscn2059
今は麻布通りという高速付きの大通りが半分重なってしまったが、こうして眺めてみると昔は真っすぐな坂が麻布十番から飯倉片町までだらだらと続いていたのがわかる。 坂上を左折すると六本木交差点に向かう。 う~、また苦手の繁華街だが昼間だから歩いていこう。

| | コメント (0)

2015年12月12日 (土)

虎ノ門~麻布台の坂 (3)

麻布台の坂はここからがディープなエリアに入っていく。 行合坂を下ると神谷町方面へ向かう路地がある。 これが落合坂。 途中クランクになっていたりして、勾配は緩やかだが、谷底へゆっくりと下っていく感覚が微かにある。

Dscn2007

説明板には、我善坊谷へ下る坂で赤坂方面から往来する人が行合う位置にあるとあるが、意味がよくわからない。 谷底で左へ上がると我善坊谷坂、右へ上がると三年坂になる。

Dscn2012

以前に歩いた時は榎坂方面からこの我善坊谷坂へ直接来たが、今回は上って下る。 タクシーに道を聞かれたが、我善坊谷に下る道はこれしかなく、坂下で工事をしているのでアークヒルズを迂回するしかないと伝えた。 都心の路地に入りこむタクシーは多いが、意外に知らずに入っている車も多い。

Dscn2015

我善坊谷坂を下り、次は三年坂。 写真の突き当りを左折し、階段の坂を上るとまた突き当たって右折する。 いつから三年坂と言うようになったのかは不明。 江戸時代は名もない坂だったらしい。

Dscn2016

とてもきれいな階段の坂だ。 傾斜は階段の坂としてはあまりきつくない。 坂上から六本木赤坂方面の眺めが良い。

Dscn2018

坂上の巨大な建物は霊友会釈迦殿。 何があるのか興味もないが、宗教団体と金の臭いがする。 三年坂の上の道を進むとロシア大使館の前に出るのだが、途中左に下る階段を下りる。 これが雁木坂。

Dscn2019

階段の上半分の石がとても古そうな風情のある坂道だ。  車が通らない坂道はいい、そして階段の坂道は車が通らない。

Dscn2024

下半分は後年きれいにされてちょっと風情に欠ける。 雁木というのは雁の編隊のようにくの字になった敷石が並んでいたことに由来するらしい。 昔は階段ではなかったようだ。

Dscn2027

少し神谷町方面に進んで西久保八幡にお参りする。 愛宕神社と同じように男坂女坂がある。 正面の階段が男坂。 上ると合気道か何かの練習をしていた。 脇の車道が女坂。 ここの欄干がとても古くて一つ一つ読んでいくと楽しい。 江戸情緒が石に刻まれている。

| | コメント (0)

2015年12月 4日 (金)

虎ノ門~麻布台の坂 (2)

ホテルオークラ別館の前を右折すると三谷坂。 短い坂である。 昔このあたりを三屋谷を読んだのでそれが変化して三谷坂と呼ぶようになったようだ。 江戸時代は小ぶりな武家屋敷の並ぶ地域だった。

Dscn1986
三谷坂を下ると目の前がサントリーホール。 右手には霊南坂教会。 私たちの年代なら大多数が知っている三浦友和と山口百恵の挙式が行われた式場だ。 大きな建物ではない。 こじんまりと幼稚園を併設した小ぶりな教会。

Dscn1988
ANAインターコンチネンタルホテルの先を下るのが桜坂。 福山雅治の桜坂はここではなく田園調布近くの沼部にある坂だが、ここも雰囲気はいい。 東京オリンピック前と後で全く姿を変えてしまったエリアだ。

Dscn1992
アークヒルズの六本木側にあるスペイン坂は新しい坂。 1986年にできたアークヒルズはARK=Akasaka、Roppongiを結ぶKnot(結び目)という命名。 イマイチぴんと来ない。 坂を上がったところにスペイン大使館があるのでスペイン坂と命名された。 従来の坂は隣に潜む道源寺坂。

Dscn1994
江戸時代から坂上に道源寺があってこの名が付いた。 道源寺は小さな寺だが今もある。 坂の途中の大きな樹がいい。パッと見たぶんケヤキだ。 100年くらいは立っているだろうがうまいこと残してある。

Dscn1998
道源寺坂を上がると泉ガーデンの裏側になる。 ここに小さな坂が一つある。 御組坂だ。 坂の両側に幕府の御先手組(おきてぐみ)があり、本来は特攻隊のような先兵だったが江戸時代は放火盗賊を取り締まる警察の様なものだったらしい。

Dscn2003
一旦高速道路下の麻布通りに出て、側道を下る。 この側道が行合坂だ。 双方から出合う道の坂であるために行合坂と呼ばれた。

Dscn2005
この坂を下ると裏道へ入り、江戸情緒の残る街並みに分け入ることができる。 それは次回に…

| | コメント (0)

2015年12月 3日 (木)

虎ノ門~麻布台の坂 (1)

地下鉄溜池山王駅はとても広い。 私は小田急線沿線なので千代田線を使い国会議事堂前で降りる。 国会議事堂前駅と溜池山王駅はくっついている。 しかし千代田線の駅は首相官邸の地下、目指す出口はANAインターコンチネンタル脇、地下道を延々と500mほど歩く。 最初の目的地は榎坂。 米国大使館の北側。

Dscn1970
写真の右側がアメリカ大使館。 右側を歩いていたら居丈高に警察に注意された。 ちょっとピクッと来たので、霊南坂を上がりたいんだがというと大回りしろと言う。 無論闘ってもヤラレるだけなので大人しく遠回りする。

Dscn1973
榎坂は坂上で直進すると汐見坂、右折すると霊南坂だ。 汐見坂は江戸時代には江戸湾が良く見えたらしい。 下って江戸見坂に回ろうかと思ったが、霊南坂を行くことにした。

Dscn1971
大使館の東側の坂が写真の霊南坂。 霊南坂の道標は大使館側にのみある。 途中で渡って大使館の塀のところで道標の写真を撮っていたら大声で警察が文句を言う。 「塀の側はダメです」と。 なぜダメなのだかはもちろん説明などない。 しかし容易に接近できるという事はテロリストにやられたら防御もくそもない。 尤も中に入ったらハチの巣になるだろうけど。 大人しく工事中のホテルオークラを巻くようにして坂上から江戸見坂へ向かう。

Dscn1977
南側はまだ営業をしているが、北側大使館向かいの棟は改築工事に入っている。 古風だがそれなりに風格のあるホテルだ。 どういう風に変わるのだろう。 回り込んで江戸見坂。

Dscn1978
ここの勾配は20%と滅多にない急坂。 タクシーもトラックもうなりをあげて坂を上る。 江戸時代はこの坂を下った先には溜池があった。 ホテルオークラの一角は松平右近の屋敷。 どんな庭だったのだろうと想像を巡らせる。 京都の古刹の様な庭があったのではないか。

Dscn1982
しかしこれだけの急坂は歩いて登るのも結構きつい。 少し汗ばみながら坂上に戻って、ホテルオークラ別館を左に眺めながら警察のいない方へ進んだ。 クワバラクワバラ、しかしこの先のスペイン大使館には警察は見当たらなかった。 なんとなくカッコだけ感が感じられた。

続きを読む "虎ノ門~麻布台の坂 (1)"

| | コメント (0)

2015年12月 2日 (水)

愛宕の坂 (2)

愛宕神社を裏道で下り、おそらく日本で唯一の琵琶の店、石田琵琶店を訪れたが休業日でシャッターが下りていた。 琵琶の本物を手近に見たことがないので一度見てみたかったのだ。 仕方なく戻り、杉田玄白の墓がある栄閑院を見ながら愛宕トンネルを抜けて愛宕下通りへ戻った。

Dscn1924
愛宕下通り側から愛宕山に上る階段もあったので次回はこのトンネル脇からも上ってみたい。 トンネルの南の区画には森ビルの高層タワーが2本あり、それを脇に見なが南側のタワーの交差点を右折。  その先の正則高校への道に入る。

Dscn1930
この辺りはいろんなところから東京タワーが見える。 東京タワーの足もとに見える茶色のビルが正則高校。  坂はこの先も緩やかながら続く。

Dscn1936
上の写真の木々に埋もれた区画がオランダ大使館。 この辺りが切通坂。 どこからどこまでをいうのかはわからない。 大使館のそばには芝給水所がある。 覗いてみたら古い水道管などが遺構として残されていて興味深い。 どれも明治30年頃のものらしい。 江戸時代は小諸藩の屋敷跡。 そのまた先にある日鳶連会館が面白い。

Dscn1947
道はすぐに東京タワー前の道に出る。 そこから飯倉に下るのが永井坂。 江戸時代にこの辺りを芝永井町といったのでこの名が付いた。  飯倉から外国人観光客でにぎわう東京タワー前を通り芝公園に入る。

Dscn1951
公園の中のこの写真のあたりは江戸時代には富士見坂と呼ばれたようだ。 小高い丘の上には溶岩を土台にした祠もある。 富士講だったのかもしれない。 公園を下り東京プリンスホテル前を御成門方面へ。 ここが銀杏坂。

Dscn1959
銀杏が由来というが見た感じ1本しか見当たらなかった。 下まで降りてみて歩道橋の上から眺めてみた。 銀杏並木があるのは東京タワー下交差点のあたりだけのようだ。

Dscn1964
その後は公園を斜めに横切り御成門駅へ。 公園の中の道が東京タワーに向かって真っすぐに作られている。 そこには見事な銀杏の樹が何本もあった。

続きを読む "愛宕の坂 (2)"

| | コメント (0)

« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »