春日・小石川の坂 (1)
文京区は春日駅で降りて春日通に出ると東西に坂がある。 道幅が広く交通量が多いが、昔からある坂。
白山通りの東側を上る坂が東富坂という。一方西側は中央大学の前を上って行く坂、これが富坂(西富坂)である。
富坂は元々はとび坂と呼んだ。 江戸時代に鳶が多くいた、といっても鳶職ではない、空を飛ぶあのとんびである。小石川の水戸藩屋敷の裏辺りは鳶が多く、女子供が手に食べ物を持っているとかっさらってしまうという。 いまでいう江の島から鎌倉の海岸の様な状態。
今回は千川通りを北上、こんにゃくえんまの源覚寺を過ぎ左に入り、左折してさらにその先を右折すると堀坂の上りになる。 実は12月に手前の路地の細道をこの坂と思いこんで歩いたのだが、のちに間違いに気づいて歩きなおした。間違った坂が上の写真である。 あとで考えればただの路地に過ぎないが生活感があってよかった。
こちらが歩きなおした堀坂。 北側にマンションがほぼ出来上がっている。 この地に住んでいた堀内蔵助(ほりくらのすけ)という旗本が管理補修した坂らしい。そのため堀坂と呼ばれ今に至る。
堀坂上を右折してしばらく進むと下り坂になる。 これが六角坂。 旗本六角氏の屋敷があったので付いた名前。 六角坂は直角に曲がるがこの辺りが屋敷だったようだ。 坂下に下り左に行くと角に津和野町の東京事務所がある。 子供の頃毎月津和野の太鼓谷稲荷神社に祖母に連れられて通ったので懐かしい。
津和野事務所を左に曲がり、左手の道を上って行くと善光寺坂になる。 途中に1602年創建の善光寺がある。 しかし江戸時代は違う名前の寺だったので、この名前が付いたのは明治以降。 坂上にはムクノキの古木がある。
折れてしまっているので樹高は13mしかないが、推定樹齢400年なので江戸の初期からある古木である。 昭和20年の空襲で上部が焼けてしまったが、それまでは23mの高さがあったようだ。 この辺りは江戸時代には伝通院の境内だったようなので、伝通院の樹木だったのだろう。 戦火を潜り抜けてもまだ生き生きと伸びていく樹木は凄いと感心しきりだった。
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