文京区小日向の坂 (3)
荒木坂を上ると右手に営団地下鉄丸ノ内線の車庫がある。 道を歩いても右側に延々と数mのコンクリートの壁が見えるだけ。 しかし突き当りを右折して丸の内線車庫の下をくぐるトンネルを抜けると線路の東側に階段が見えてくる。 庚申坂である。
広尾の節に記したが、庚申とは中国の道教に端を発して日本の各地の民間信仰を混ぜてできたもので、庚申講という民間信仰が江戸時代に流行り、庚申の夜は三尸(さんし)という虫が体の中から這い出して天にその人の悪事を告げるという信仰からその夜は徹夜するという風習。 庚申講を18回重ねたのちに庚申塔を建てるのが当時の習わしだった。 その庚申塚がこの階段の下にあったので庚申坂と呼ばれた。
この庚申坂を上ると坂上から丸の内線の車庫を眺めることができる。 地下鉄を地上で観るのも良いものだが、それ以上に車庫に並ぶ多くの丸の内線を見ると3分おきにホームに入ってくるだけより沢山の車両が必要なのだと思える。
再び庚申坂を下り、トンネルをくぐって来た荒木坂方面の道を左に見てまっすぐに行くとその先が切支丹坂(写真の突き当りまで)になる。 ここに切支丹屋敷があったことに由来する。しかし実際にはキリスト教徒を取り調べする館だったので、あまりいい場所ではない。ある意味迫害の歴史である。 突き当りをそそくさと右へ。
道の途中には2014年に発掘調査が行われた小日向一丁目東遺跡がある。 すでにマンションが建てられたが、縄文時代の竪穴式住居から弥生時代、奈良時代、平安時代と様々な時代の複合遺跡が発見された。 この小日向台地には数千年の住居の歴史があるわけである。 その突き当りには逆S字になった下り坂がある。 これが蛙坂。 坂下が湿地帯で蛙が大群をなしていたことからついた。
蛙坂を下り右のトンネルを抜けるとそこに藤坂がある。 傍の伝妙寺に藤の銘木があって藤寺と呼ばれた。 そしてこの坂を藤坂と呼んだ。 坂上は春日通りでその先が桜の名所の播磨坂。 再び坂を下り、トンネルを戻る。 もう一つのトンネルをくぐると釈迦坂。
両側に積まれた石垣がとてもいい雰囲気。 くねりながら上って行く。 脇にあるのは徳雲寺。 江戸時代からこの坂は両側に壁が迫り、この徳雲寺にあった釈迦の石像を眺めながら上り下りしたので釈迦坂と呼ばれるようになった。
今は下りながらすれ違う丸の内線を眺められる。 坂を下り今通っていない残りの道を進むと拓殖大のキャンパス前になる。 正門前の向かいに深光寺への坂道がある。 そのまま進むのが茗荷坂。
拓大の正門前から緩やかに茗荷谷駅まで上っていく。 途中線路側に崖があって高低差を前後左右に感じながら進んでいく。
坂を上りきったところが茗荷谷の駅。 昔この辺りには茗荷の畑がたくさんあってそれで茗荷谷と呼ばれるようになったらしい。 今は拓大、跡見、お茶の水女子などの大学や高校がたくさんあって学生の街になっている。
<2015/12/12>
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