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2016年2月 2日 (火)

本郷の坂 (1)

春日駅の西片側の出口を出て菊坂方面へ歩く。 菊坂下の分岐では少し先まで進み、新坂へ入る。 いきなりなかなかの急坂。 西の小石川台地との間に千川が流れ(今は千川通り)その東側から2本の沢が落ちてくる。 このうち北側から流れる沢と南から流下する菊坂脇の沢があった。 その二つの沢の出合の少し上に新坂はある。 名前は新坂と言っても江戸時代の坂。

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坂の上は大栄館という旅館・・・のはずだが、今回すでに更地化されてしまっていた。 貧しかった石川啄木が金田一京助の誘いで滞在していた旅館。 周辺には二葉亭四迷、尾崎紅葉、徳田秋声らが住み徘徊した一角なので、文学散歩をする人も見かける。

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坂の上から見下ろす。 右側の衝立が更地になった大栄館の跡。 小石川方面の眺めが良い。 ここには30戸の7階建マンションが建つ。建設主は話題の三井不動産レジデンシャルだった。 最初からかなりの傾斜地にあるのでたとえ傾いてもわからなかったりして、まあそんなことはなかろうが。

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一旦坂を下り菊坂に入る。 菊坂は本郷三丁目までゆっくりと曲がりながらわずかな傾斜で上って行く。 右手にもう一本道があって、それが昔の川の跡。 今は完全な暗渠になっている。 菊坂に入るや否や左手の路地に入る。

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胸突坂である。 坂上には風情ある旅館がある。 鳳明館本館とその向こう側の鳳明館別館で明治大正の雰囲気を残している。 本館は登録有形文化財である。 できる限り残してほしいものだ。 坂を下りて再び菊坂に入る。 右手に何か所か階段があるがその風情が良い。

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この階段は階段マニアには有名。 「菊坂・下見板町屋わきの階段」と呼ばれる。 この木造の外壁を下見板張りといい昭和時代には多くの町屋がこうだった。 階段下は暗渠。 降りたら右斜め先にある路地へ入る。 突き当たりに石垣があり、左に曲がると鐙(あぶみ)坂になる。

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この辺りに鐙の製作者の子孫が住んでいたとか、坂の形が鐙に似ているからとか、諸説あるが、雰囲気のいい坂なので文京区の「文の京都市景観賞」というものが与えられている。 よくわからないがナイスな坂という事だろう。

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鐙坂の坂上には金田一京助・春彦の旧居跡がある。 金田一京助は盛岡の生まれ、それで同郷の盛岡中学の後輩である啄木の面倒をよく見ていた。 文化面ではアイヌ民族の研究で有名。 京助の息子の春彦は辞書の編纂で有名だが、全国各地のアクセントを研究した国学者としても功績が高い。

鐙坂を坂下に戻り、暗渠の道を進むと右手に路地がある。 そのまま進むと階段が見えてくる。 炭団(たどん)坂である。 あまりに急なので階段の坂になっている。

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坂下の左手に古い家屋の跡がある。 これがあればもっと風情があるのだが残念だ。 この坂のあたりには炭団を売る人がたくさん住んでいたとか、あまりに急なので炭団のようにコロコロ落ちたとかの由来がある。 坂上には坪内逍遥の旧家跡がある。 台地の不思議は坂をのぼりつめたときそこに広がるのは、それまでの坂が何でもなかったように普通に平地が広がっていることだ。

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