千石・大塚の坂 (1)
茗荷谷駅を降りて春日通りを渡る。 筑波大学東京キャンパスを目指して右折すると最初の信号の先にずっと下る坂が見える。 湯立坂だ。 大昔この坂の下は千川で入り江の様な幅の広い川だった。 その為千石の簸川神社にお参りしようにも容易に渡ることができなかった。 その為にこちら岸の氏子は湯立神事をこの坂の下で行っていたという故事に由来する。 湯立(ゆだて)とは湯立神楽ともいい、大釜に湯を沸かして笹の葉を湯に浸して身にふり掛けて神に祈るというもの。 八百万の神の日本ならではの行事を思い浮かべながら下る。
筑波大キャンパスの樹木がきれい。 そして反対側にも古くて広い屋敷があり整備された道路ながらなかなかいい感じである。 坂下には公園があり、占春園がある。 占春園は水戸黄門の弟である松平頼元が構えた屋敷跡。 今は教育の森公園の一部になっている。 よさげな公園なのでまた来てみたい。
そのまま真っすぐに進み千川通りを超えると最初の角の右手には小石川植物園の通用門、左手には簸川神社の鳥居と階段が現れる。
ここから上る坂が網干坂で、小石川を挟んだ反対側には御殿坂がある。 網干坂は白山台地に上る坂で、昔坂下の谷には多くの舟の出入りがあり、漁師がいてこの辺りに網を干したことが由来のようだ。 千川は古くは小石川という名の川で、昭和9年(1934年)に暗渠化された。
現代の坂上からの景色は千川通り沿いの住宅密集地の向こうに春日通沿いのマンション群というものだが、昔は大名屋敷とその間を流れる千川という風景だったのだろう。 坂上を左折し新築マンションの先を再び左折すると氷川坂(簸川坂)の下りになる。
坂の途中に簸川神社の裏口がある。 とても古い神社で祭神は須佐之男命。 創建は不明瞭だが孝昭天皇時代(神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭・・・で第5代天皇)とあるがまあおよそ2000年くらいだろうか。 物語の領域である。 大昔は小石川植物園の場所にあったが、白山御殿建築のために江戸時代にここに移転させられた。
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