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2016年2月13日 (土)

春日・白山の坂 (1)

都営地下鉄三田線と大江戸線が交差する春日駅の出口は複雑で同じ春日駅でも出口によっては全く違う方向に出てしまう。 今回は西片から歩くので三田線の北側の出口。 菊坂下方向に歩き最初の路地を左折すると間もなく石坂の上りになる。

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右左にくねりながら上って行く。 江戸の街パターンで坂の下は町屋、坂の上は武家屋敷だが、この坂の辺りには備後福山藩の中屋敷があった。 昔は広島県は大きく分けて安芸と備後に分かれていて東西でかなり違う気質と風土を持っていたが、その東側が備後福山藩である。

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道幅は広いがくねり方が魅力的な坂である。 坂を上ると台地なので平坦。 道なりに進み、2つ目の路地を左折すると下り坂になる。 新坂(別名:福山坂)である。

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新坂もくねりながら下がっていくきれいな坂だ。 別名福山坂の名はもちろん前述の福山藩の屋敷に由来する。 福山藩の屋敷が出来た頃に新しく開かれた坂なので新坂と呼ばれたが、江戸時代に新坂と呼ばれた坂がいまだにそう呼ばれているのは数多くある。どれも300年選手である。

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坂下の道はいかにも川沿いの道の漢字に湾曲していたので、古地図を確認するとやはり川だった。本流は小石川の方だが支流が今の白山駅のあたりから流れていて、水道橋あたりで神田川に合流していたようだ。

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川の跡には銭湯あり。 これは暗渠歩きの定番ルール。 ここにももれなく銭湯『富士見湯』があった。 東京の銭湯は次々に廃業しているが、ぜひ残してほしいものだと思う。 銭湯は土地の記憶である。

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富士見湯前を北上し途中の路地を右に入って道なりにしばらく行くと、右手が台地になっていてかなりの高低差。間もなく曙坂の階段が現れる。 坂下には上部折れてしまっているがなかなか見事な石碑がある。石碑には昭和22年竣工とある。 この竣工日付は昭和になって階段のきれいな坂に作り替えた時に建てられたもので、坂自体は昔からあったようだ。

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階段の坂は車が通らない点で特別扱いしたい。 できればコンクリートよりも石積みがいいのだが、今となっては石は高いので致し方ない。 坂の上には文京区立誠之(せいし)小学校がある。 珍しい名前だが、その訳は脇にあった説明板にあった。 ここは福山藩の江戸藩校「誠之館」があった場所。  廃藩置県で廃校になったが、その後誠之小学校として1875年に復活したとある。

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