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2016年2月 3日 (水)

本郷の坂 (2)

炭団坂のあたりは真砂という古い町名。 明治2年に付けた町名だが、浜の真砂(海辺の砂)の様に絶えることなく町が栄えるようにという願いを込めたらしい。 写真の左の辺りに坪内逍遥が住んでいた。

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と、この辺りまで来たところでデジカメのSDカードが入っていないことが判明。 内部メモリにはこれまでの写真は残っていたので後で保存できたが、時々これをやってしまう。 もっともこの後はスマホ(iPhone 6s PLUS)で撮影。 この携帯のカメラがすぐれもので、普通のデジカメよりも綺麗。 しかしファイルサイズが大きくなるので、600万画素くらいにして使っている。

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一旦菊坂に戻り、少し先の左に鋭角に切れ込む路地に入る。 実は炭団坂とはほぼ同一ライン上にあるが、菊坂が開かれる前はもしかしたら繋がっていたかも知れない。 その昔、大木の梨があったことから梨木坂と呼ばれた。 別説では、江戸の終わり頃この周辺は菊の栽培が盛んでそれが菊坂の由来なのだが、この坂のあたりから菊が無くなるので菊なし坂>梨坂>梨木坂となったという。 まあ、前者の方が可能性は高そうだ。

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梨木坂を菊坂に戻り、少し本郷三丁目方面に向かう。 右手に広い坂があるが、これが本妙寺坂。 菊坂を挟んだ真向いの台地にかつて法華宗の本妙寺という寺があった。 この寺に向かって下る坂だったのでこの名が付いた。 本妙寺は明暦の大火(1657年)の出火場所だった。 その後巣鴨5丁目に移転している。 菊坂との交差点から2件目にまるや商店という店があり、そこの菊坂コロッケが人気。

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ちなみに菊坂界隈の文人は極めて多い。 鐙坂の下には樋口一葉、坪内逍遥の居た炭団坂上には正岡子規、高浜虚子、炭団坂下には宮沢賢治、本妙寺坂周辺には石川啄木、宮沢賢治らが居た。 フランスの丘であるモンマルトルには沢山のアーティストが集まったが、やはり傾斜地のなせる何かなのではないかと思う節がある。

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菊坂を上りきる(といっても傾斜は少ないが)と、本郷通りに出る。 菊坂脇を沢が流れていると書いたが、その川を渡る本郷通りの橋がかつてはここにあり別れの橋と呼ばれた。 北に向かって微傾斜があるがこの東大方面の坂が見返り坂。 反対の本郷三丁目交差点までの短い区間が見送り坂。沢の源頭は東大構内である。

その昔、ここが太田道灌(1432~86、室町時代に江戸を治めていた武将で江戸城を築城した)の領地の端で、追放される人がでたりすると、残る人が沢の橋の本郷三丁目側に立って見送り、追放された人が北の方へ向かいながら見送る人を振り返る様子から、見送り坂-別れの橋-見返り坂となったという。

昨今交通機関のスピードが速いので、いつまでも見送ったり、何度も見返ることはなくなった気がする。 そういう心の襞(ひだ)も土地の記憶として感じられるのは感慨深い。

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