春日・白山の坂 (2)
誠之小学校の前の道を北に進み突き当りの路地に出るとそこが胸突坂。 この名前の坂も各地にある。 ここの傾斜は関口台のそれに比べるとかなり緩やかだが、昔はそれなりにきつかったのだろう。 説明板の新撰東京名所図会の引用に「坂道急峻なり、因って地名を得、左右石垣にて、苔滑か」とある。 前述の石坂からここまでが福山藩阿部氏の屋敷跡、距離にして300mあるから東京ドーム2個分か、大名屋敷恐るべしである。
坂下を真っすぐに進むと右手に急坂が現れる。こちらの傾斜は相当なものだ。 まず自転車は無理、原付でも厳しい位だろう。
この坂が中坂という。 これもどこにでもある坂名だが、胸突坂と浄心寺坂の間にあるから中坂と呼ばれた。 見た目は新しそうだがこれも江戸の坂である。
中坂の坂上を左折し突き当たるとそこが浄心寺坂。 この坂も古い道で中山道から白山へ下る。 坂上に浄心寺があり、と書きたいところだが調べてみても寺の場所は今の向丘、本郷通りの東側で古道もこの坂上で中山道に当たってその先には行っていない。 しかし手持ちの資料にもそこの記述がないので宿題になってしまった。
坂下には円乗寺があってここには八百屋お七の墓所がある。 お七は井原西鶴の『好色五人女』に登場する実在の人物で、1682年の大火の折知り合った男との再会を願う余り自宅に放火したが、その罪で鈴ヶ森(品川)で火あぶりの刑に処せられた。 諸説ありというか、歌舞伎、浄瑠璃、落語などの題材にされるにつれいろんな形に変化していったのでどれが真相かは不明と言われる。
坂を下ると白山通りの白山下。 この辺りは江戸時代から明治時代にかけてのたくさんの逸話や歴史話があるから面白い。
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