湯島の坂 (2)
湯島の坂は本郷台地の東の端に当たる。 伊達政宗が掘ったお茶の水の神田川の北岸の湯島聖堂、その北側にある鳥居マークは神田明神でその東側である外神田側は急激に落ち込んでいるのが色別標高図の模様からよく分かる。明神の北側の蔵前橋通りは淡い色になっていることから昔は農業に適した谷地だったと推定できる。そこから北は湯島神社まで崖の地形が続いている。ここに多くの坂が集中していることは言うまでもない。
蔵前橋通りの坂の中で比較的急な坂になるのはこの東の崖周辺でそれが清水坂を見るとよくわかる。下の写真は上から見たもので、向こう側も登り坂になっていて、蔵前橋通りが谷合であるのが分かる。
清水坂、由来は比較的新しい。大正時代に入って湯島天満宮とお茶の水の間の往き来が不便だったので、ここにあった清水精機という会社が土地を提供して坂道を整備したため、街の人が清水家の徳を称えて清水坂と呼んだのが起源である。3本の路地の傾斜と高低差で江戸以前の地形がわかる面白いエリアである。
清水坂の中腹を東に入るとそこが妻恋坂。妻恋神社がある。稲荷神社だが、日本武尊を祭神に持ち江戸の稲荷社の中では筆頭の位置にある神社だった。坂はというと傾斜はほとんどないといっていいくらい緩やか。それでもこの神社があることで引き締まった感じがする。
妻恋神社の先の左手に階段がある。これが立爪坂である。別名芥(ごみ)坂。最初と最後に階段がある坂道だが、昔は爪を立てないと登れないほどきつい傾斜だったという。
坂上を左折しその先を右折すると三組坂に出る。この一帯はラブホテルの多いエリアで散歩していると時折お忍びの二人連れに遭遇してなんとも言えない間合いを感じる。三組坂は明治以降の新しい坂。三組坂とは家康死去の折に御付きの中間(ちゅうげん)・小人(こびと)・駕籠方の三組の御家人がこの辺りを拝領したが、それにちなんで後世にこの名を付けた。
三組坂の中腹を北に入る路地がガイ坂である。ガイ坂とは芥(ゴミ)の意でここにゴミ捨て場があったためと伝えられる。 三組坂辺りは東西の高低差が激しくそれ湯島天神まで続く。
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