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2016年2月 1日 (月)

春日・小石川の坂 (3)

春日通りを渡り竹早高校側を本郷方面に歩く。 春日通りは小石川台地の背骨を走る。 台地の北側は千川が流れていたが、今は千川通り。 南側は神田川で、台地の際を神田上水が流れていた。 上水は常に若干標高の高いところを流すように作られる。 そうでないと田畑や住宅地に水を供給できないからだ。 この小石川台地に切れ込むのが茗荷谷である。 実際に歩いてみると人が住み始めた数千年前の地形に触れる事が出来る。 実際にあちこちに縄文時代や弥生時代の遺跡は埋まっているが、さすがに東京は調査をすればその後開発に移る。

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東京学芸大附属竹早高校の先のセブンイレブンの角を鋭角に入ると三百坂への路地になる。 高校の敷地沿いに歩くと少しずつ高度を下げていく。 ここは学芸大の附属の前は女子師範学校だった。 しかしもっと昔、江戸時代は校庭一帯は茶畑。

しかしこの路地は江戸時代から続く道だった。 坂下に茨城の常陸府中藩(今の石岡周辺)の藩主松平播磨守の上屋敷があり、この藩の下級武士は集合に遅れると300文の罰金だったのでここを三百坂と呼ぶようになったという面白い由来である。

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三百坂を下り路地を抜けてさらに高度の低い方向へ進むと千川通りに出る。 前述のようにこの通りはかつての川筋、船がこの辺りには普通に入ってきていた。 千川通りの北側は再び台地に上って行く地形になる。 小石川植物園はこの台地の斜面にある。 共同印刷の昭和っぽい建物の先を左に緩やかに上がっていく道が吹上坂である。 途中右手の宗慶寺に吹上水という湧き水があってここが吹上坂になった。

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吹上坂を上って行くと再び春日通り、少し茗荷谷方面へ行くと右手に広い道路。 真ん中が遊歩道になっている。 桜の名所で有名な播磨坂である。 三百坂の所で出た松平播磨守の屋敷があったことにちなんで播磨坂と呼ばれた。 この道はとても立派な道だが、実は環状3号線の予定地だった。外苑東通り、目白通り、言問通り、三目通りが環状3号線の一部だが、小石川のあたりは完全に計画がとん挫している。

坂の中腹を少し入ると「石川啄木終焉の地」の碑がある。 マンションの一角にあってなかなか目に着かない場所。 その先の路地を茗荷谷駅方面に上がるのが、団平坂だ。

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文京区小石川図書館が竹早公園の一角にある。 明治の地図を見るとここはもっと急な坂だったようだが今はなだらかである。 米つき商売をしていた団平という人物がここに住んでいて団平坂の名が付いた。 一町人の名前が坂名になるのは珍しい。

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