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2016年2月 7日 (日)

湯島の坂 (1)

湯島の坂はJR御茶ノ水駅から。御茶ノ水駅は東西二つの出口がある。水道橋側の御茶ノ水橋口と秋葉原側の聖橋口。今回は聖橋口から出る。サンクレールやニコライ堂の東京復活大聖堂がある。改札左前が聖橋交差点。真っすぐ神田川に沿って下るのが相生坂の片割れの淡路坂。

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淡路坂の由来はここに江戸初期の旗本鈴木淡路守の屋敷があったことから来る。相生坂は二つの坂が並んでいる場合に付く名前。現在の区割は神田川で分れるので南側の淡路坂は千代田区、しかし北側の相生坂は文京区である。

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聖橋を渡る本郷通りと相生坂は立体交差しているので、東京医科歯科大側の歩道から階段で降りる。階段下を左に曲がると湯島天神の築地塀(ついじべい)が圧倒してくる。築地塀は主に公家や寺院に見られる工法。赤坂の三分坂の宝土寺や浅草の待乳山聖天もこの塀だったが、ここの規模は凄い。坂の下には神田川、そして丸の内線が走る。

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坂の端の足元に小さな坂名の石碑があるがこれは路地側の昌平坂の名になっている。昌平坂の坂上にも坂名の石碑があるが折られてしまっていた。自動車がぶつかったのだろうか。昌平坂は相生坂から神田明神下に抜ける路地。昌平というのは湯島聖堂に祀られている孔子の故郷の地名。昌平坂は聖堂の周りに過去にいくつかあり紛らわしいが、元は団子坂だったこの路地が今は昌平坂。角の小さな石碑はどっちを指しても間違ってはいないわけである。

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昌平坂を上って神田明神前に出ると、正月明けで受験前だったためとてつもない混雑で明神の境内の坂を探訪するのは諦めた。神頼みするのは当人よりも周りの人間の方が多い様で、並んでいる人の中で最も多かったのは親の世代だった。我が家も何とか子供二人を大学までやって一人前にしたので気持ちはわかるが、何も直前に来ることはないだろうと思った。もっとも直前まで来てしまったから神頼みなのかもしれないが。

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神田明神の雑踏を抜けて本郷通りを北上する。この道は明神前を含めて湯島坂という。湯島坂を北西に進み、東京ガーデンパレスの手前を右折すると短い路地の坂道。

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樹木谷坂である。この辺りの地形は蔵前橋通りが川筋。大昔はいわゆる谷地のような風景だっただろうと思われる。その川筋に向かって降りていくのがこの樹木谷坂。別名を地獄谷坂。徳川家康が江戸に来た頃、この坂下、つまり蔵前橋通りは樹木の生い茂る谷筋だった。その谷筋に下る道ということで付いた名前。

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谷筋の蔵前橋通りも当時は西に向かって上って行く坂だった。後述の妻恋坂の新道なので新妻恋坂と呼ばれたが、開通したのは昭和になってからである。

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谷に下れば向こう側は上りになるのが常。蔵前橋通りの北側にも坂道がある。横見坂である。これも今はわずかな坂道に過ぎない。この坂から西の方を横見すると富士が見えた。それでいつからか横見坂と呼ばれるようになった。

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蔵前橋通りと本郷通りが合わさる変則交差点がサッカーミュージアム前。そこからサッカーミュージアム方面へ下るのが傘谷坂。ミュージアムの先までが下りでその先は上りになる。薬研型の坂。傘を裏返した時の形から昔はこういう地形を傘谷と呼んだのかと思ったら、この辺りには傘作り職人が多かったからだと説明板に書いてあった。

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