市ヶ谷~曙橋の坂 (1)
市ヶ谷駅を降りると目の前には釣堀がある。 市谷見附に渡る市ヶ谷橋の釣堀側の石垣は野面積みの石垣で江戸の初期からのそのままの姿を留めている。この市ヶ谷橋は1636年に江戸幕府の命で森長継が建造、 この辺の遺構はまた別の機会にして、今回はそのまま市谷亀岡八幡に向かう。 市谷と市ヶ谷の「ヶ」の有無による違いは何なのかわからない。 隣の駅も四谷にある四ツ谷駅、ここは市谷の市ヶ谷駅だ。
正面の急な階段が市谷八幡男坂。 1479年(文明11年)に太田道灌が鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請(かんじょう)して建立した。 鶴岡八幡宮から亀ヶ岡八幡宮になったところがひとひねりしたか?
左側には車も登れる市谷八幡女坂がある。 生活道路になっている。 ここはやはり男坂を上りたい。 銅の鳥居は渋い。 これだけのまとまった銅を見ることは稀である。
この銅鳥居は1804年に建てられ、新宿区内には銅鳥居はここだけ。 この鋳物の技術は凄いものがある。
鳥居の先に本殿がある。 宝物には太田道灌ゆかりの軍配団扇などがあるが、写真の掲示板前にある力石がすばらしい。 おおよそ江戸後期のものだが、江戸時代の人々が奉納相撲に盛り上がる様子が感じられる。 都内の神社にはこの力石のある所が多い。
神社を下りて、お堀側に向かう。 外堀通り沿いに緩やかに西に向かって上って行くのが高力坂。 その向こうに雪印メグミルク本社が見える。旗本高力家の屋敷があったことが由来。高力家は雪印の右隣のビル辺りだったようだ。
坂上の信号を右に入り、その先の路地を左に入ると比丘尼坂という小さな坂になる。 尾張藩の抱え屋敷(別邸)があって、そこに剃髪した老女(奥方の侍女のリーダー)が居たので比丘尼坂と呼ばれるようになったとある。 雰囲気のいい石垣と階段がいいポイントになっていた。
| 固定リンク | 0
コメント