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2016年7月15日 (金)

市ヶ谷~曙橋の坂 (2)

比丘尼坂下を右に行くとすぐに靖国通りに出る。 目の前が防衛庁で台地になっている。戦前は陸軍士官学校、江戸時代は尾張藩の上屋敷で敷地内には琵琶湖を模した池のある庭園「楽々園」があった。また戦後は米軍極東司令部だった時期もあり、マッカーサーがここにいた。 自衛隊になってからは三島由紀夫がここで自殺している。 防衛庁の向かいは坂町。

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いかにも江戸時代からの道らしく曲がりながら緩やかに上って行くのが坂町坂の商店街。 坂町坂の西には御先手組(おんさきてぐみ)の屋敷が集まっていた。御先手組は今でいう機動隊の様なもの。 古地図を見ているとこの御先手組があちこちに集合住宅を作っているのがわかる。 今でいう公務員住宅だろう。

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坂町坂の上部は直線だが、全体的に緩やかにくねっている。 元は下の方は江戸の初期には蓮池という大きな池で水鳥が集まっていて徳川家光も狩猟をここで楽しんだようだが、後に埋め立てられ町屋になった。下の方を下坂町、上の方を上坂町と言っていたが明治以降は坂町でひとつになった。

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坂町坂の坂上から西に向かい三栄町を抜けると津の守坂(つのかみざか)の坂上に出る。坂下の正面に防衛庁のビルが見える。 津の守というのはいかにも江戸っぽい名付けで、江戸時代この坂の辺りは今の岐阜県の美濃高須藩主松平摂津の守の屋敷だった。 その殿様の名前の下の方を取って津の守坂である。今はディープなエリアとして知る人ぞ知る四谷荒木町のあたりはその大名屋敷の庭だった。

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津の守坂は別名小栗坂という。津の守坂の東側には新宿歴史博物館がある。 以前に訪問したがなかなか素晴らしい区立博物館でお勧めだ。 ただし場所がわかりにくい。 しかしこの市ヶ谷、曙橋、四谷三丁目、四ツ谷に挟まれたエリアは昔も今もディープである。

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津の守坂から裏手に入ると写真の階段「仲坂」がある。 魅惑的な階段で、いかにも四谷荒木町の窪地に入っていく感じがある。 この仲坂を下りたあたりからその先の津の守弁財天あたりが最も低いエリア。

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上の写真が津の守弁財天、竹柵がしてあるのはそこに池があるからだ。 この池の名前、かつてはかっぱ池と呼ばれたこともある。 ここに湧き水による滝があったそうだ。  明治になってからは王子の名主の滝、目黒不動尊の不動の滝、新宿十二社の滝と並んで「津の守の滝」として親しまれた。

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今の池は水たまり程度だが、昔はもっと流れがあったようだ。 かっぱ池というのは通称のようだが、江戸時代には策(むち)の池とも呼ばれ、滝も4mの高さがあった。 津の守弁財天自体はもともと池のほとりにあった祠だったが、昭和31年に町の人によって弁財天として祀られた。

実は江戸時代はずっと大名屋敷の中庭だったので、この池を町民が愛でる事はなかったが、廃藩置県で大名屋敷が無くなり庶民の出入りができるようになってから深く親しまれるようになった。 その時代になっても大名に好意をもって津の守の名をあちこちに残す江戸っ子気質はやはり粋である。

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