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2016年7月11日 (月)

信濃町の坂 (2)

かつての川沿いの商店街を歩く。 若葉通りという名が付いている。 この沢跡を峰まで上ると新宿通り、江戸時代の甲州街道(青梅街道)である。 江戸時代の街道はこの甲州街道も中山道も武蔵野台地の尾根筋を通っている。 新宿通りの北側は四谷荒木町の窪地。 あちらには津の守弁財天の湧き水の池があるが、こちらには源頭らしきものは見当たらない。 しかし若葉通りから脇に入ると、若葉湯という銭湯があった。 沢筋に銭湯である。

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新宿区にもまだこうした銭湯が残っているが、ここもアットホームな昔ながらの銭湯のままらしい。 この若葉湯のある通りが戒行寺坂である。

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このエリアには寺が多い。 1ブロックに1寺くらいある。戒行寺坂沿いにも5軒の寺院がある。 坂を上ると右手に戒行寺がある。もちろん坂名の由来はこの寺だが、坂の別名は油揚坂(あぶらげざか)。 坂の途中に昔、豆腐屋があり、質の良い油揚げを作っていたのでそう呼ばれたとある。 大した豆腐屋である。

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写真の左の門が戒行寺。 『鬼平犯科帳』のモデルになった長谷川平蔵(1746~1795)の供養の塔がありこの寺に眠っている。 江戸時代に罪人の更生を画して世に尽くしたなかなかの人物。

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坂上の永心寺の先を左折すると暗闇坂の坂上。 この坂はなかなかの雰囲気で好きである。 路地は車は通れない。 360cc時代の軽自動車ならなんかなりそうだが、車両通行止めである。

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坂下から見上げると直線ながら右上の墓地がそこはかとない恨めしさを感じさせる。 若葉通りの川筋は西に向かって2本の支流を持っていた。その2番目の沢の源頭がこの辺りになる。 明治初頭の古地図では闇坂の下には池があり、ここから沢が流れ始めている様子がわかる。

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坂上に戻り、四谷左門町の於岩稲荷を訪ねる。 本来の神社の名前は田宮神社という。東海道四谷怪談で有名な田宮家の娘であるお岩が信仰していた屋敷内の神社を移したものである。 お岩夫婦はこの信仰で江戸初期に豊かに暮らしたのが事実だが、200年後に戯曲になった時にはおどろおどろしい話になっていた。 ここの神社はその後信仰を集めたが、1879年(明治12年)に焼失し、中央区新川に移転し現存している。 その後もここは田宮家の住居であったが、戦後1952年にここに再び神社が開かれたといういきさつ。

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四谷左門町のお岩話しは本当は円満な夫婦の話だが、そのすぐ近くに上の写真の女夫坂がある。 下り坂と上り坂が連続しているため女夫坂または夫婦坂と呼ばれる。昔はもっと勾配があって,両方からの落ち込み坂で,これを夫婦坂と呼んだものらしい。この辺りの火事で改修され,勾配は緩やかになった。

信濃町から四谷周辺は散歩するとそのディープさが味わえる通(つう)向けのエリアだと思う。

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