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2016年7月20日 (水)

曙橋~東新宿の坂 (2)

厳島神社抜弁天を文字通り抜けて道路を南に渡り路地に入ると、専福寺脇の道。 子供たちが描いたと思われる絵が塀いっぱいに描かれている。 そのまま進み蕎麦屋の先の路地を右に入ると西向天神社の裏参道になる。

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裏参道の鳥居をくぐりそのまま進むと目の前に富士講の富士が現れる。 この溶岩を重ねたような富士山は東京都内に50か所以上ある。江戸時代も富士は信仰の対象で、富士講あるいは浅間講と呼ばれる民衆信仰。 品川神社や千駄ヶ谷の鳩森神社など、かつて江戸時代に行けないなら作ってしまえとたくさんの富士が作られた。 江戸っ子ならではの粋なやり方だと思う。

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富士の脇には階段の道がある。坂の名はないが、正面の階段を男坂に例えれば女坂と呼んでもよさげな階段である。 西向天神社は1282年に創建、社殿が西を向いているので西向天神と呼ばれた。 祭神は天神なので菅原道真である。

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江戸時代初期は荒れた神社だったものの徳川家光のころから周辺の氏神としての存在になり、江戸末期には富士講の富士山も築かれた。境内には社殿の北隣に天台宗の寺院梅松山大聖院がある。

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正面の鳥居下の少し北側からその大聖院に上る階段が山吹坂である。 説明柱が設置されている。 「坂上の大聖院境内にある『紅皿の碑』にちなみ山吹坂と呼ばれるようになった。紅皿は太田道灌の山吹の里伝説の中で、雨具がないことを古歌に託して、道灌に山吹の一枝を捧げた女性である」と書かれているが、その伝説を知らないので意味がよくわからない。

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大聖院境内から北側に下る階段が不動坂である。 大聖院は明治時代の神仏分離令で西向天神と分割された。 坂下の石柱に微かに「不動坂」と彫ってあったかなというくらい風化しているのが時代を感じさせる。

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不動坂を下った先では都道が上を通りトンネルで北側に抜けるという高低差のある道の絡みになっている。 この西向天神の西側が江戸時代は西の歌舞伎町辺りから流れてくる川だった。 天神下はちょうど二つの流れが合流するところで南から流れてくる沢の源頭は新三丁目の太宗寺あたりと思われる。

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