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2016年7月16日 (土)

市ヶ谷~曙橋の坂 (3)

引き続き四谷荒木町のディープな散策はもっとも低い標高の策の池エリアから弁財天脇の風情ある階段路地を上る。

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坂の途中には一見お断りの料亭などがひっそりとあり、その先で上って来た坂道を振り返ると建物の向こうに防衛庁の通信塔がそびえている。 何度も訪問したくなる魅力的な細路地。 細路地をのぼりつめると荒木町の氏神様である金丸稲荷。

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写真は鳥居をアップで撮っているのではない。 鳥居はなぜか細路地側が正面で、道幅が鳥居の幅の半分以下しかないのだ。 手前左の玉垣(寄進された石の柱群)には伊勢丹とある。 あの伊勢丹だろうか。 この数坪しかない神社に伊勢丹が寄進しているのもなにかありそうな気がした。

神社の左手、社殿から見ると正面だが、そこは車力門通りといい江戸時代に松平摂津の守の屋敷に物資を運び込む道だった。 鳥居の向きについては情報が皆無だが、推量るにもともとは摂津の守の屋敷の神社だったのでそちらの方に鳥居を向けたのではないかと。

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神社前を左、そして左と細路地を行くと写真の石畳の道が続く。 無論車は通れないが、原付は何台か通り過ぎた。 小料理屋が立ち並ぶ入口を抜けると普通の住宅が並んでいる。再び津の守屋敷の深いところへ入っていく。

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ふと、路地から右の細路地を見ると素晴らしい階段が見えた。 思わず階段に足をかけ上ってみた。 仲坂のように名前のある階段ではないので、明治以前にはなく、時系列で地図を確認すると大正時代からの往来らしい。

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階段上からの眺めは、予想通り荒木町の窪地をクリアに感じさせてくれるものだった。 今回の散歩のエリアを明治維新の頃の地図で表すと、今の荒木町とはまったく違ったイメージが浮かんでくる。

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上の古地図の池の中を散歩していたわけだ。南側の丸い池が策の池、そして北側の池の周りには桜が植えられ、江戸っ子が遊びに集まっていたのだろう。 その名残がいまでも荒木町の魅力的な雰囲気として受け継がれているように思う。

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