« 信濃町の坂 (2) | トップページ | 信濃町の坂 (4) »

2016年7月12日 (火)

信濃町の坂 (3)

左門町から新宿通りに出て右折し、次の信号「津の守坂入口」を右に入ると円通寺坂。 坂の途中にある円通寺辺りが前述の若葉通りの谷の源頭になる。

Dscn2829
現在の坂は緩やかだが、古地図の道は先の方でかなり急な下りになっている。坂を下って行くと、右に分れる小道があるが、そっちが江戸時代からの道。左の本道は昭和の後期に作られた車道。 しかしこの車道がくねっていて一見昔からの道路のように見える。 だがこの辺りは源頭の流れ出しで池などもあったようだ。

Dscn2832
坂を下りきると右も左も道路より高いのがわかる。 つまり谷底を道路は走っているわけだ。 ちなみにこの道はずっといくと、若葉通りになる。

Dscn2835
左に急坂が上る。 東福院坂である。坂の途中にある東福院に因んでこう呼ばれた。 別名の天王坂は、明治以前の須賀神社が牛頭(ごず)天王社と呼ばれ、この辺りが天王横町と呼ばれていたためである。 牛頭天王は須佐之男命の別名。 東福院坂を上る。 結構な傾斜である。

Dscn2838
東福院坂の坂上から来た道を振り返ると、若葉通りの向こうに階段が見える。 須賀神社だ。 上の写真を見るといかに急な窪地になっているかがよくわかる。写真を撮ったあったりがかつてラジオ局の文化放送があった場所。 今は浜松町に社屋があるが、2006年というから10年前までここで放送していたわけだ。 40年以上も昔、セイ・ヤングや走れ歌謡曲などの深夜放送を、1000㎞の彼方で聴いていたと思うと感慨深い。

Dscn2840
須賀神社の49段の男坂を上る。 神社は上って正面ではなく、頂上を右に進む。 ご利益はいろんなものがてんこ盛りでよくわからないが、場所柄かサンミュージックの提灯があったりする。サン・ミュージックは四谷三丁目にある芸能プロダクション。最初のタレントは森田健作である。松田聖子も。麻薬事件ののりピーもここだし、ベッキーもか。創業の相澤社長はすでに2013年に他界。

Dscn2842
須賀神社には三十六歌仙絵という文化財があり、訪問時はレプリカが外に飾ってあった。

Dscn2846
須賀神社は四谷の総鎮守で、元は千代田区の清水谷辺りにあったが江戸初期の外堀工事の折にここに移転した。 上の赤鳥居の右手に女坂がある。

Dscn2848
女坂は男坂に比べて緩やかである。段数はほとんど同じ。 須賀神社下の窪地には妙行寺という日蓮宗の寺院。創建は1457年~1460年だから須賀神社よりも古いことになる。階段下を右に進み男坂下に、そこから再び若葉通りに戻った。

|

« 信濃町の坂 (2) | トップページ | 信濃町の坂 (4) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 信濃町の坂 (2) | トップページ | 信濃町の坂 (4) »