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2016年7月21日 (木)

曙橋~東新宿の坂 (3)

西向天神の不動坂を下り、都道をトンネルでくぐると丁字路になる。 これが久左衛門坂。 徳川家康が江戸に入府する以前から大久保に住んでいたという島田家の草創、久左衛門が開いたのでそう呼ばれるようになった。400年を過ぎてもまだ名が残るというのはとてつもないことだ。

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久左衛門坂は前述の抜弁天のはす向かいに当たるところが始まりで約100mほど緩やかに下って行く。  下ったところから右の路地に入り、最初の角を曲がりクランクの路地を過ぎると右手に銭湯、目の前に階段の道が現れる。

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現在新宿区には33軒の銭湯がある。(参照: 新宿浴場組合ホームページ) 浴場組合といってもそっちではない。 460円の銭湯がそれだけ現存しているのだ。 この周辺には意外と銭湯が多い。

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さて銭湯脇(というか裏手である)の階段だが、梯子坂といって結構有名である。 とても美しい階段坂で、遠近法を強調したような見え方をする。 また坂上から眺めると、大久保から百人町方面まで望めていい景色である。坂上に標識がある。『豊多摩群誌』によれば「梯子坂、久左衛門坂北方の裏通に在り、東へ登り十間許り、坂道急にして恰も梯子を登るが如し、故に名付く」とある。

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梯子坂の坂下に戻り路地を北へ北へと進むと大久保通りにぶつかる。 しかし大久保通りは数m高い位置にあり、並行して南側に路地が這っている。 そこから一段低い路地を東に進むと再び大久保通りに合流する。 これが椎木坂である。

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現在の巨大な団地戸山ハイツはかつて江戸時代には尾張藩の戸山屋敷だった。 ちょうど大久保通りの北側にあたる辺りにシイの巨木があり、この坂道を覆っていたため椎木坂と呼ばれた。 また別名を向坂(むこうざか)というが、これは古くからこの辺りが砂利取り場でそこから東西に上る坂があって向坂とも呼ばれた。

この辺は昨今外国人がとても多く、歩いていたらご婦人に話しかけられ、「あの窓に干してある赤い布は韓国人の赤フンだよ、やだね~」と言われた。 いささか差別的な言動に怪訝な顔をしていると「外国人は夜中までうるさくて敵わないよ」と不平を続けていた。 当然初対面の知らないおばさんだったが、向こうから自分がどう見えているかについてはまったく興味がなさそうだった。 確かに歩いているとすれ違うのはアジア系、中近東系の人が多かった。 新宿はかなり国際的な融合が進んでいると思う。 特にこの辺りは東京はアジアなんだなと感じるくらいだった。 ある意味ここもディープなエリアと言えるだろう。

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